歴史・時代 織田信長小説一覧
文字数 1,846,958
最終更新日 2024.11.15
登録日 2017.09.13
織田信長の乳兄弟の池田恒興の生涯の名場面だけを描く。
独断と偏見と創作、年齢不詳は都合良く解釈がかなりあります。
温かい眼で見守って下さい。
不定期掲載です。
文字数 593,921
最終更新日 2024.10.23
登録日 2024.06.29
妻木煕子(ツマキヒロコ)は親が決めた許嫁明智十兵衛(後の光秀)と10年ぶりに会い、目を疑う。
子供の時、自分よりかなり年上であった筈の従兄(十兵衛)の容姿は、10年前と同じであった。
見た目は自分と同じぐらいの歳に見えるのである。
過去の思い出を思い出しながら会話をするが、何処か嚙み合わない。
ヒロコの中に一つの疑惑が生まれる。今自分の前にいる男は、自分が知っている十兵衛なのか?
十兵衛に知られない様に、彼の行動を監視し、調べる中で彼女は驚きの真実を知る。
真実を知った上で、彼女が取った行動、決断で二人の人生が動き出す。
若き日の明智光秀とその妻煕子との馴れ初めからはじまり、二人三脚で戦乱の世を駆け巡る。
天下の裏切り者明智光秀と徐福伝説、八百比丘尼の伝説を繋ぐ物語。
文字数 219,490
最終更新日 2024.08.12
登録日 2024.06.07
武田信玄の命令によって、織田信長の妹であるお市の侍女として潜入した忍びの於小夜(おさよ)。
付き従う内にお市に心酔し、武田家を裏切る形となってしまう。
そんな彼女は人並みに恋をし、同じ武田の忍びである小十郎と夫婦になる。
二人を裏切り者と見做し、刺客が送られてくる。小十郎も柴田勝家の足軽頭となっており、刺客に怯えつつも何とか女児を出産し於奈津(おなつ)と命名する。
しかし頭領であり於小夜の叔父でもある新井庄助の命令で、於奈津は母親から引き離され忍びとしての英才教育を受けるために真田家へと送られてしまう。
悲嘆に暮れる於小夜だが、お市と共に悲運へと呑まれていく。
※拙作「異郷の残菊」と繋がりがありますが、単独で読んでも問題がございません
【他サイト掲載:NOVEL DAYS】
文字数 106,777
最終更新日 2024.07.17
登録日 2024.04.15
織田信長の妻・濃姫が恋敵?
茜さす紫野ゆき標野ゆき
野守は見ずや君が袖振る
紫草の匂へる妹を憎くあらば
人妻ゆゑにわれ恋ひめやも
出会いは永禄2(1559)年初春。
古歌で知られる蒲生野の。
桜の川のほとり、桜の城。
そこに、一人の少女が住んでいた。
──小倉鍋──
少女のお鍋が出会ったのは、上洛する織田信長。
─────────────
織田信長の側室・お鍋の方の物語。
ヒロインの出自等、諸説あり、考えれば考えるほど、調べれば調べるほど謎なので、作者の妄想で書いて行きます。
通説とは違っていますので、あらかじめご了承頂きたく、お願い申し上げます。
文字数 620,916
最終更新日 2024.07.13
登録日 2024.04.16
権太の村にひとりの男がやって来た。
男は、干からびた田畑に水をひき、病に苦しむ人に薬を与え、襲ってくる野武士たちを撃ち払ってくれた。
村人から敬われ、権太も男に憧れていたが、ある日男は村を去った、「天下を取るため」と言い残し………………男の名を十兵衛といった。
―― 『法隆寺燃ゆ』に続く「燃ゆる」シリーズ第2作目『本能寺燃ゆ』
男たちの欲望と野望、愛憎の幕が遂に開ける!
文字数 724,782
最終更新日 2024.07.09
登録日 2021.06.09
甲斐武田家滅亡の原因とも言われる「義信事件」。
その答えは今も尚出ていない。
しかし「義信事件」にはもう一つの結末があった。
それは穴山 信君の弟 穴山 信嘉の自害となる。
1558年と1566年に出された禁制の意味。
永禄の変の発生。
武田 信玄と織田 信長の同盟。
穴山 信君の目を通して「義信事件」の背景に迫った。
文字数 8,001
最終更新日 2024.06.13
登録日 2024.06.13
(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)暦道を司る賀茂の裔として生まれ、暦を独自に研究していた勘解由小路在昌(かげゆこうじあきまさ)。彼は現在(いま)の暦に対し不満を抱き、新たな知識を求めて耶蘇教へ入信するなどしていた。だが、些細なことから法華宗門と諍いを起こし、京を出奔しなければならなくなる。この折、知己となっていた織田信長、彼に仕える透波に助けられた。その後、耶蘇教が根を張る豊後へと向かう――
文字数 106,395
最終更新日 2024.05.18
登録日 2024.05.10
世は戦国末期。織田信長の愛娘と同じ『目』を持つ、一人の女性がいました。
戦国乱世に終止符を打ち、およそ250年続く平和を達成したのは『誰』なのでしょうか?
織田信長?
豊臣秀吉?
徳川家康?
それとも……?
この小説は、良くも悪くも歴史の『裏側』で暗躍していた人々にスポットを当てた歴史小説です。
【前編(第壱章~第伍章)】
凛を中心とした女たちの闘いが開幕するまでの序章を描いています。
【後編(第陸章〜最終章)】
視点人物に玉(ガラシャ)と福(春日局)が加わります。
一人の女帝が江戸幕府を意のままに操り、ついに戦いの黒幕たちとの長き闘いが終焉を迎えます。
あのパックス・ロマーナにも匹敵した偉業は、どのようにして達成できたのでしょうか?
(他、いずもカリーシで掲載しています)
文字数 247,080
最終更新日 2024.05.12
登録日 2021.04.18
織田信長より
「厚遇で迎え入れる。」
との誘いを保留し続けた結果、討伐の対象となってしまった依田信蕃。
この報を受け、急ぎ行動に移した徳川家康により助けられた依田信蕃が
その後勃発する本能寺の変から端を発した信濃争奪戦での活躍ぶりと
依田信蕃の最期を綴っていきます。
文字数 43,662
最終更新日 2024.04.13
登録日 2024.03.03
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
文字数 435,350
最終更新日 2024.02.26
登録日 2022.04.03
その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。
父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。
稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。
明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。
◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』『カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16818093085367901420)』でも同時掲載しています◇
文字数 562,014
最終更新日 2024.02.03
登録日 2023.12.23
天正三年(1575)天下布武を旗印に全国制覇を目指す織田信長は、越前の一向宗徒をなぜ切りにして制圧すると、願望であった中国の覇者毛利家打倒に取り掛かった。織田信長の勢力は摂津の荒木村重まで傘下に収めていた。対する毛利家は備前の宇喜多直家まで組み込んでいた。この両大国の間にあるのが、丹波、播磨、但馬の三国だった。織田家と毛利家の争いは、この三国の豪族たちを死闘に巻き込んでいった。この年の秋、信長は近江坂本城主明智光秀を丹波に攻め込ませた。光秀は大軍で丹波に侵入すると、丹波の豪族たちはこぞって光秀の傘下に加わったが、黒井城主荻野悪衛門は公然と反旗を掲げると、黒井城に立てこもった。奥播磨の上月城でも城主赤松政範を頭に毛利家外交僧の安国寺恵海と組んで反織田同盟を画策する。この動きを嗅ぎつけた御着小寺家家老の黒田官兵衛は、織田家武将の羽柴秀吉と組んで、播磨の豪族たちを一気に滅亡させようとした。天正五年に入ると、信長から正式に中国制圧を命じられた秀吉は、赤松一族が待ち構える上月城の制圧に向かう。迎える赤松一族との死闘が始まると、反織田同盟に加担していた三木の別所家が信長に反旗を上げて、秀吉の背後を脅かした。奥播磨が毛利家との決戦の場とみた信長は、嫡男信忠に大軍をつけて、奥播磨に向かわすと、毛利家は小早川隆景、吉川元春、宇喜多直家の軍勢三万八千を上月城に送った。織田と毛利に挟まれた播磨の赤松一族の生き残りを懸けた戦いが始まった。
文字数 172,954
最終更新日 2024.01.20
登録日 2024.01.20
明智光秀の将兵として本能寺襲撃に参加した丹波の地侍本城惣右衛門の「覚書」に我々は三河の家康を襲うと想っていた、記録がある。将兵がそのように想うのは、それに応じる事実があったと考えられる。そこから明智光秀の徳川家康殺害を命じられた心境と葛藤を元に小説にした。天下布武を旗印に全国制覇を目指す織田信長は、天正八年本願寺勢力を紀州に追い払うと、老臣の佐久間右衛門親子を高野山に追放した。その五日後、林佐渡守、安藤伊賀守、丹羽左近の三名を遠国の流した。この処置に信長配下の武将たちが脅えた。信長が古代中国で宿敵の項羽を倒し、漢帝国を築いた劉邦は敵がいなくなると、天下取りに貢献してきた重臣たちを粛清しだした。いつか信長に裸で追放されると覚悟した武将たちは、陰で武装しだした。牙を磨き身構えだしたのは家臣だけではなかった。徳川家康、足利義昭、吉田兼見等公家たちも隙があれば信長を殺そうと考えた。周りの不信をよそに、信長は天下に向かって邁進していたが、陰で己と家臣たちを守るために、信長に死に装束を着せようと目論む者たちが増えていた。
文字数 90,290
最終更新日 2024.01.20
登録日 2024.01.20
北近江浅井家老臣の遠藤喜右衛門は、姻戚関係にある織田信長(城主の長政の嫁市が信長の妹)が上洛に浅井家を利用するだけで、ことが成就すると、浅井家の敵になると確信していた。喜右衛門は大事に至る前に、刺し違えても信長を殺そうと考えていたが、信長は隙を見せなかった。織田家と浅井家が同盟を契った翌日、喜右衛門は岐阜に帰る信長の警護を命じられた。信長は近江と岐阜の国境にある成菩提院に泊まった。今なら信長を討ち取れると、幾多の戦場を駆け巡って老武者の血が騒いだ喜右衛門は、長政に信長殺害を願い出たが、長政は許さなかった。時は過ぎ、織田家と越前朝倉家が不和になると、信長は浅井家に無断で越前に侵攻した。慌てた浅井家は、同盟者の織田家に付くか、昔から恩義のある朝倉家に味方するか、長政は一族を小谷城に集めると、評定を開いた。大多数が朝倉家に傾いた時、喜右衛門が反対した。信長が信用できなくても大量の鉄砲を装備し巨大化した織田軍と戦うと、浅井家が滅亡する。ここは唇をかんでも織田軍と戦うべきではない。しかし、喜右衛門の意見は退けられ、浅井家は朝倉家と意を合わせ、越前に攻め込んだ信長の退路を断った。前方に朝倉軍、後ろに浅井軍に挟まれた信長は間一髪、朽木谷を駆け抜け京に帰った。岐阜で軍勢を整えた信長は、徳川家の援軍を加え北近江に侵攻すると、浅井家は朝倉家の援軍を得て反撃に出た。姉川を挟んで織田、徳川軍対浅井朝倉軍の決戦が始まった。喜右衛門はこの戦に紛れて信長の首を狙った。お家のため命を懸けた老武者の生き様を追った。
文字数 17,267
最終更新日 2024.01.20
登録日 2024.01.20
天正十年六月二日未明、京都本能寺で、織田信長が家臣の明智光秀に殺された。このあと素早く行動したのは羽柴秀吉だけだった。備中高松城で、秀吉が使者から信長が殺されたことを聞いたのが、三日の夜だといわれている。堺見物をしていた徳川家康はその日に知り、急いで逃げ、四日には自分の城、岡崎城に入った。秀吉が、自分の城である姫路城に戻ったのは七日だ。家康が電光石火に行動すれば、天下に挑めたのに、家康は旧武田領をかすめ取ることに重点を置いた。この差はなにかー。それは秀吉が機を逃がさず、いつかくる変化に備えていたから、迅速に行動できたのだ。それは秀吉が、他の者より夢を持ち、将来が描かける人物だったからだ。
この夢に向かって、一直線に進んだ男の若い姿を追った。
木曽川で蜂須賀小六が成敗しょうとした、若い盗人を助けた猿男の藤吉郎は、その盗人早足を家来にした。
どうしても侍になりたい藤吉郎は、蜂須賀小六の助言で生駒屋敷に住み着いた。早足と二人、朝早くから夜遅くまで働きながら、侍になる機会を待っていた。藤吉郎の懸命に働く姿が、生駒屋敷の出戻り娘吉野のもとに通っていた清洲城主織田信長の目に止まり、念願だった信長の家来になった。
藤吉郎は清洲城内のうこぎ長屋で小者を勤めながら、信長の考えることを先回りして考えようとした。一番下っ端の小者が、一番上にいる信長の考えを理解するため、尾張、美濃、三河の地ノ図を作った。その地ノ図を上から眺めることで、大国駿河の今川家と、美濃の斎藤家に挟まれた信長の苦しい立場を知った。
藤吉郎の前向きに取り組む姿勢は出る杭と同じで、でしゃばる度に叩かれるのだが、懲りなかった。その藤吉郎に足軽組頭の養女ねねが興味を抱いて、接近してきた。
信長も、藤吉郎の格式にとらわれない発想に気が付くと、色々な任務を与え、能力を試した。その度に藤吉郎は、早足やねね、新しく家来になった弟の小一郎と、悩み考えながら難しい任務をやり遂げていった。
藤吉郎の打たれたも、蹴られても、失敗を恐れず、常識にとらわれず、とにかく前に進もうとする姿に、木曽川を支配する川並衆の頭領蜂須賀小六と前野小右衛門が協力するようになった。
信長は藤吉郎が期待に応えると、信頼して、より困難な仕事を与えた。
その中でも清洲城の塀普請、西美濃の墨俣築城と、稲葉山城の攻略は命懸けの大仕事だった。早足、ねね、小一郎や、蜂須賀小六が率いる川並衆に助けられながら、戦国時代を明るく前向きに乗り切っていった若い日の木下藤吉郎の姿は、現代の私たちも学ぶところが多くあるのではないだろうか。
文字数 99,791
最終更新日 2024.01.06
登録日 2024.01.06
小説ではなく舞台脚本です。
当時、ゾンビにはまっていた私。「覇王の子」の続編として書きましたが、戦国時代にゾンビを登場させた所、没になりました(笑)
文字数 16,300
最終更新日 2023.10.25
登録日 2023.10.25
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
文字数 291,395
最終更新日 2023.10.19
登録日 2022.10.15
【あらすじ】
美濃の戦国大名、斎藤道三の娘・帰蝶(きちょう)は、隣国尾張の織田信長に嫁ぐことになった。信長の父・信秀、信長の傅役(もりやく)・平手政秀など、さまざまな人々と出会い、別れ……やがて信長と帰蝶は尾張の国盗りに成功する。しかし、道三は嫡男の義龍に殺され、義龍は「一色」と称して、織田の敵に回る。一方、三河の方からは、駿河の国主・今川義元が、大軍を率いて尾張へと向かって来ていた……。
【登場人物】
帰蝶(きちょう):美濃の戦国大名、斎藤道三の娘。通称、濃姫(のうひめ)。
織田信長:尾張の戦国大名。父・信秀の跡を継いで、尾張を制した。通称、三郎(さぶろう)。
斎藤道三:下剋上(げこくじょう)により美濃の国主にのし上がった男。俗名、利政。
一色義龍:道三の息子。帰蝶の兄。道三を倒して、美濃の国主になる。幕府から、名門「一色家」を名乗る許しを得る。
今川義元:駿河の戦国大名。名門「今川家」の当主であるが、国盗りによって駿河の国主となり、「海道一の弓取り」の異名を持つ。
斯波義銀(しばよしかね):尾張の国主の家系、名門「斯波家」の当主。ただし、実力はなく、形だけの国主として、信長が「臣従」している。
【参考資料】
「国盗り物語」 司馬遼太郎 新潮社
「地図と読む 現代語訳 信長公記」 太田 牛一 (著) 中川太古 (翻訳) KADOKAWA
東浦町観光協会ホームページ
Wikipedia
【表紙画像】
歌川豊宣, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
文字数 330,779
最終更新日 2023.09.07
登録日 2023.05.31
この物語は、ChatGPTで仮想空間Xを形成し、更にパラレルワールドを形成したAIシミュレーション歴史小説です。
【詳細ページ】
https://note.com/mbbs/n/ncb1a722b27fd
基本的にAIと著者との共創ですが、AIの出力を上手く引出そうと工夫しています。
以下は、AIによる「あらすじ」の出力です。
【あらすじ】
この物語は、戦国時代の日本を舞台に、織田信長と彼に仕えた数々の武将たちの壮大な物語を描いています。信長は野望を胸に秘め、天下統一を目指し勇猛果敢に戦い、国を統一するための道を歩んでいきます。
明智光秀や羽柴秀吉、黒田官兵衛など、信長に協力する強力な部下たちとの絆や葛藤、そして敵対する勢力との戦いが繰り広げられます。彼らはそれぞれの個性や戦略を持ち、信長の野望を支えながら自身の野心や信念を追い求めます。
また、物語は細川忠興や小早川隆景、真田昌幸や伊達政宗、徳川家康など、他の武将たちの活躍も描かれます。彼らの命運や人間関係、武勇と政略の交錯が繊細に描かれ、時には血なまぐさい戦いや感動的な友情、家族の絆などが描かれます。
信長の野望の果てには、国を統一するという大きな目標がありますが、その道のりには数々の試練や困難が待ち受けています。戦いの中で織り成される絆や裏切り、政治や外交の駆け引き、そして歴史の流れに乗る個々の運命が交錯しながら、物語は進んでいきます。
瑞華夢幻録は、戦国時代のダイナミックな舞台と、豪華なキャストが織り成すドラマチックな物語であり、武将たちの魂の闘いと成長、そして人間の尊厳と栄光が描かれています。一つの時代の終わりと新たな時代の始まりを背景に、信長と彼を取り巻く人々の情熱と野心、そして絆の物語が紡がれていきます。
文字数 32,804
最終更新日 2023.07.04
登録日 2023.07.02
宣教師に「見世物」として飼われていた私は、この国の人たちにとって珍奇な姿をして居る。
それを織田信長という男が気に入り、私は、信長の側で飼われることになった・・・。
荘厳な安土城から世界を見下ろす信長は、その傲岸な態度とは裏腹に、深い孤独を抱えた人物だった・・。
『本能寺』へ至るまでの信長の孤独を、側に仕えた『私』の視点で浮き彫りにする。
文字数 36,601
最終更新日 2023.06.15
登録日 2023.05.30
【あらすじ】
今川義元の大軍が尾張に迫る中、織田信長の家臣、簗田政綱は、輿(こし)が来るのを待ち構えていた。幕府により、尾張において輿に乗れるは斯波家の斯波義銀。かつて、信長が傀儡の国主として推戴していた男である。義元は、義銀を御輿にして、尾張の支配を目論んでいた。義銀を討ち、義元を止めるよう策す信長。が、義元が落馬し、義銀の輿に乗って進軍。それを知った信長は、義銀ではなく、輿上の敵・義元を討つべく出陣する。
【表紙画像】
English: Kano Soshu (1551-1601)日本語: 狩野元秀(1551〜1601年), Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
文字数 10,718
最終更新日 2023.06.09
登録日 2023.05.31
永禄八年、葉月。
伊勢国鈴鹿、高岡城。
この城に、滝川一益率いる織田軍と戦い、見事に退けた武将がいた。
伊勢国神戸友盛家臣、山路弾正少弼。
北勢四十八家が次々に落城の憂き目に遭うなか、彼は頑強に渡り合い、策を弄し、ついには織田軍を撤退させるに成功する。
彼は所望す。「腹が減った。湯漬けをくれ」と。
―――――――
山路弾正=伊勢国武将。生年不明。伊勢国国人神戸友盛の家臣。信長の伊勢侵攻に対し、頑強に抵抗し、策を弄して退けたとされる。二度目の侵攻で、神戸氏は織田信長の三男、織田信孝を養子に迎え入れ和睦。元亀三年、信孝が元服し家督を継ぐさい、謀反の疑いをかけられ自害に追い込まれる。高岡城は現在廃城。
文字数 2,975
最終更新日 2023.05.29
登録日 2023.05.29
日本最大の湖・琵琶湖を有する近江。その北東に小さな村があった。村長の跡継ぎとして生まれた大谷平馬(後の吉継)は、村長として順風満帆の日々を送ると思っていたが、戦で父を失くし、さらに幼なじみをも失くしてしまう。そんな平馬を救ったのは、生涯の友・石田佐吉(後の三成)や、運命の主君・羽柴(豊臣)秀吉であった。平馬はやがて秀吉に「100万の軍勢の指揮を執らせてみたい」と言わしめ、徳川家康からも一目置かれる武将となる。これは、失意のどん底にあった一人の少年が、現代にも語り継がれる名将・大谷吉継へと成長を遂げる再生の物語。
※この物語は史実をもとにしたフィクションです。物語の都合上、史実を改変している箇所があります。
この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。
文字数 12,623
最終更新日 2023.05.28
登録日 2023.05.27
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