「わたしたちは真の変化を目撃しているのではなく、企業の富と利益を増大させるために黒人の抵抗を利用する、一筋縄では行かない人種的資本主義の拡張を見ているのだ。この場合のウォーク資本主義は、黒人や労働者階級の人々を搾取するもうひとつの形態にすぎない。搾取は彼らの身体の労働にとどまらず、彼らの闘争、政治、思想、精神にまで及んでいる」(245頁)。
ウォーク資本主義が信用ならないものであることは本書の指摘のとおりである。次の問題は、題名にあるように、それが「民主主義を破滅させる」というのはどういうことか、である。著者はこう説明する。
自由民主主義国家は三つのセクターに分かれる。第一のものは政府、警察、司法機関、公立学校、病院などの公的セクター。第二が営利企業。第三が非政府の公共機関。教会、スポーツクラブ、慈善団体など。ウォーク資本主義の特徴は、第二の営利企業セクターが、他の2つのセクターの仕事を代行してしまうという点にある。つまり、国家の全領域が私企業の「それは儲かるのか?」というロジックに従属するということである。
ウォーク資本主義は原理的に非民主的である。これは当然である。アマゾンにしても、ナイキにしても、政治的イシューに大きな影響力を及ぼすわけだけれども、影響力をどう行使するかを決めるのは、CEOやマーケティングや広報のスタッフなど一握りの人間である。彼らが「政治的に正しくふるまうと、どれくらい儲かるか」について思量し、決断を下す。あまり儲からないという予測が立てば、政治的に正しくふるまうインセンティブは消える。一握りの人間が政府の領域にまで入り込んできて、公共の利益がいかにあるべきかを決定することは許されるのか。彼らが仮に善意の人であり、その行為が公共の利益にかなうものであるとしても、その手続きは民主的とは言われない。
2010年にビル・ゲイツとウォーレン・バフェットは大規模な社会貢献キャンペーンを始めた。イーロン・マスク、マーク・ザッカーバーグら大富豪たちの支持を得て、「社会の最も差し迫った問題に取り組むために、自分たちの富の大半を提供することを誓」った(289頁)。彼らが供出した数千億ドルの原資は「『気候変動、教育、貧困緩和、医学研究、医療サービス、経済開発、社会正義』にかかわるプロジェクトに使われることになる」(290頁)。
初発の動機は善良であるが、これだけの規模の慈善事業を担うことのできる国家が見当たらない場合、彼らは国家の代理をつとめることになるということである。
「ウォーク資本主義の下では、社会的不公正や貧困の解決をもう国家に頼ることができない。そこで、社会はご主人さまの食卓から落ちてくるパンくずという慈善に頼ることになる」(291頁)。
資本主義はひたすら貧富格差を拡大している。今、世界の人口の1%に当たる超富裕層が世界の富のほぼ半分を所有している。「世界で最も裕福な10人の富の合計は7460億ドルとなる。これは、スイス、スウェーデン、タイ、アルゼンチンのそれぞれの国のGDPよりも多い」(106頁)。
世界ははっきりと超富裕層とそれ以外に二分されてしまった。そして、この超富裕な資本家たちが「資本主義を道徳的に裁定する者として自らを位置付けている」(110頁)。つまり、彼ら資本主義企業の所有者たちは「公共の福利とは何であり、そのために何をなすべきか」の決定権を国家から奪ってしまったのである。もう選挙によって代表を選ぶというような面倒な手間をかける必要はない。彼らに政策実現をお願いすればいいのである。それが聞き届けられれば、民主主義を経由するよりはるかに迅速かつ確実に「公共の福利」が実現する可能性がある。