11月17日15時30分、ラスベガス大通りにあるフェスティバルグラウンズ(お祭り広場)に待機していた数万人が先頭から数十名ずつのグループに分けられ、出走を始めた。ラスベガスにとっては市を挙げての一大イベント、「ラスベガス・ロックンロールマラソン」の開幕だ。
日本ではまだあまり知られていないが、ロックンロールマラソンは沿道各地で音楽バンドやチアリーダーが応援しレースを盛り上げるというイベントで、1998年6月21日に米国カリフォルニア州サンディエゴで最初のレースが行われ、現在は世界30以上の都市で行われている、世界中で今大人気のマラソンだ。ラスベガスのロックンロールマラソンもそのひとつで、出場者約4万5000人、その規模は世界最大。ラスベガスの市民も一体となって参加する。
前日には大会のスポンサーが世界最大の展示場「ラスベガスコンベンションセンター」で一堂に会し、ウエルネス(広い意味での健康)関連のグッズなどを販売。出走予定地の「お祭り広場」ではコンサートが行われ、前夜祭は熱狂の渦に巻き込まれる。大きなイベントにビジネスを結び付けるところにラスベガスらしさがある。
出走当日。コースはフルマラソン、ハーフマラソン、10キロマラソンの3コ―ス。筆者も10キロマラソンに参加した。
ラスベガスは南北に走るラスベガス大通りに沿って町が広がっており、ラスベガスブールバード(大通り)とフリーモントストリートが接触する町の北側が「ダウンタウン」、ランドマークとなっている「ストラトスフィアータワー」から南のマンダレイベイまでの約4.2マイル(約6.7?)の繁華街を「ストリップ(細長い一片)」と呼んでいる。10キロマラソンは、このストリップの北部にある「お祭り広場」からダウンタウンを経由して、再びストリップの中心街へと向かうコースとなっている。
筆者は脊柱管狭窄症を抱えており、すぐに腰痛で走れなくなると覚悟していたので、スタート直後までの臨場感をレポートできればと思っての参加だった。体中に湿布を貼り、加圧タイツに腰痛ベルトを巻いての挑戦だが、走るというより、ただひたすら歩くといったほうがいいかもしれない。
当然、最初はどんどん抜かれ、もしかすると「ひとり取り残されるのでは」と思ったが、周囲を見ると、意外に家族や友人同士で話しながら歩いていたり、80歳過ぎの高齢者が杖をつきながら歩いたりしていた。車椅子での参加者もおり、義足に車輪をつけて歩いているランナーもいる。
ゆっくり歩いている参加者にも、ラスベガスの市民からは「グレート」「グッドジョブ」といった声援が飛ぶ。そんな応援の声を聞いていると、いつしか気分がハイになり、テンションが上がるのが不思議だ。
ラスベガスは、1946年に何もない砂漠の真っただ中にベンジャミン・シーゲルがカジノ併設のリゾートホテル「フラミンゴ・ホテル」を建設したことから、その歴史が始まる。その後、カジノの一大拠点として世界中にその名をとどろかせたわけだが、今はむしろエンタテインメントの街として大きく変貌を遂げている。一つひとつのホテルがテーマパークとなっており、さしずめ街全体が巨大な“エンタテインメント都市”になっている。
スタートからダウンタウンを折り返し、ストリップに入る頃にはすでに日が落ち、ラスベガスはライトアップされた華やかな夜の顔となっている。そんなラスベガスの繁華街の夜の顔を見ながら走ることができるのもの、このマラソンの醍醐味となっている。