深川あやかし屋敷奇譚

笹目いく子

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人喰いつづら(三)

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「まるで「舌切り雀」か「おむすびころりん」のような話じゃないか」
「葛籠が登場する以外はちっとも似ていないじゃありませんか。強いて言えば、大きな葛籠には魑魅魍魎が詰まっている、っていうところくらいでしょう、何となく似ているのは」

 泥徳和尚が去った後、葛籠を舐めるように見回しながらのんきな感想を漏らした仙一郎に、お凛は呆れて言った。
  
「で……いかがですか?」

 一応尋ねてみると、ん、と主はきょとんと首を傾げた。

「だから、葛籠ですよ!何か感じます?妙な声とか聞こえるんですか?今の持ち主は旦那様なわけでしょう。欲しがれー、欲しがれー、っていう地獄のような声がこう……。旦那様、おかしな気分になったら早く教えて下さいね。すぐにお江津さんや富蔵さんと逃げますから。それと、葛籠に入りたくなってきたら、その前に皆の次の奉公先を見つけておいて下さると有難いんですけれど。出来たら私らがどんなにいい奉公人だったかも一筆添えて頂いて……」
「──お凛や、お前はつくづくしっかり者だよね……」

 遠い眼差しで慨嘆する仙一郎に、「よく言われます」とお凛は恥じらいながら微笑んだ。

「……ま、今のところは静かなもんだから安心おし。きっと困っているんだろう。だってほら、私はこの通りの美男子で、金も名声もあるし、美女にも事欠かないしね?欲しいものなんて怪異くらいのもんだよ。誘惑しようにも願望はすべて満たされているんだから籠絡しようがないだろう」

 名声なんてあったかしらというお凛の生温い視線を浴びながら、青年はそうだそうだとひとり得心している。さしもの呪いの葛籠も、特大の怪異をさぁどうぞ!と連れてくるわけにはいかないというわけか。確かに、天狗が欲しいとかダイダラボッチが欲しいとか要求されても困るに違いない。この奇妙な人間に何をくれてやったらいいのかと、葛籠が呻吟しているところが頭に浮かんだ。

「やっぱりただの葛籠なんですよ。和尚様は稀に見る強運をお持ちだったってことでしょう。千両を当てて動転なさって、茶碗を失くしたり、常日頃からの旦那様への憎しみがつい込み上げたりしたんじゃありませんか?」
「常日頃から殺したいほど憎まれているのかい、私は……?」

 ぼやく仙一郎を残し、お凛は茶道具を片付けお盆を持って立ち上がった。
 たっぷりと積まれた炭でぬくぬくと暖められた居間の景色は平穏そのもので、仙一郎が撫で回している黒い葛籠は、見れば見るほどただの箱としか思えない。まったく、大騒ぎして馬鹿馬鹿しい。
 さ、掃除の続きをするとしよう。葛籠からもう関心を失ったお凛は、さっさと部屋を後にしたのだった。

***

 その葛籠の消息を求めて、一人の男が屋敷を訪ってきたのは、それから二日後のことだった。
 すでに葛籠のことなど忘却しつつあったお凛は、屋敷前の生垣の両脇にちょこんと植えられた鳥総松とぶさまつの周りを掃き清めているところだった。
 鳥総松とは、門松の先を切り取って土に植えたもので、これが根付くのは縁起がいいとされている。
 お江戸では、松の内の最後の七日までに門松を取り払わねばならない。かつては十五日までが松の内で、取り払った門松はどんど焼きにするのが風習であったのだが、寛文二年から松の内は七日まで、門松もそれまでに取り払い、どんど焼きも禁ずるというお触れが出されたのだ。
 お江戸はとにかく火事が多い。乾燥した門松はただでさえ油を多く含むから燃えやすく、どんど焼きにした際に火の元となることも珍しくなかった。その五年前には、江戸の大半を焼失させた振袖火事の異名を持つ明暦の大火も起きていたことから、目出度い松の内さえ九日も縮めるという大改革が決行されたのだった。以来、火事は幾度も起きてはいるが、明暦の大火を越える規模のものは免れているのだから、果敢なご改革も意義があったということなのであろう。
 そういうわけで松の内が終わる前に大工を呼んで、まだ緑の美しい門松を取り払ってもらうのは少々侘しいものだった。だが、屋敷の前の生垣の両脇に鳥総松の緑がちょこんと生えている景色は、厳寒の睦月の寒さにほっと安らぐぬくもりを添えるようで、何とも愛らしかった。

「……もし、お尋ねいたしますが……」
「ひっ!?」

 鼻歌まじりに箒を動かしていたお凛は、水に濡れた雑巾のように背中にべたりと張り付く声に飛び上がった。
 振り向けば、青白い顔をした男が北風にふらつくようにして立っている。五十になるかどうかという、大店の旦那かと思われる押し出しのいい姿であるのに、頬はやつれ、虚ろな目の下には死相のごとく隈が浮いていた。

「こちらのお屋敷に、天眼通の旦那さんがお住まいと耳にいたしましたのですが……」
「へ、へぇ。確かに主はそう呼ばれているようですが……」

 慌てて気を取り直して答えたお凛に、男はかっと目を見開くなり縋りつくようにして体を寄せてきた。

「お、お願い申し上げます。私、日本橋小網町『大角おおすみ』の店主で文斉ぶんさいと申します。旦那さんにぜひとも伺いたいことがございます。どうかどうか、お取り次ぎを願えませんでしょうか。後生です」

 大角屋と言えば、お凛でも耳にしたことがある江戸きっての廻船問屋で、油問屋や酒問屋も営む豪商だ。女中ごときに頭を下げる文斉の腰の低さにお凛は内心仰天しながら、慌てて主へ知らせに走ったのだった。

「大角のご店主といったら大人物じゃないか、気が引けるなぁ」などとおよそ気後れとは無縁な仙一郎が言ったほどであるから、よほどの大商人なのであろう。しかし、奥座敷で仙一郎と向かい合った文斉は、海千山千の商人というよりも私塾の師匠のような雰囲気を漂わせる、ひどく生真面目そうな人物だった。
 その文斉は、挨拶もそこそこにこんなことを切り出した。

「大変不躾とは存じますが、最近こちらのお屋敷に、葛籠を持ち込んだ人はありませんでしょうか?」
「……葛籠、でございますか」 

 仙一郎は金魚みたいに目を見開いて、鸚鵡返しに言った。

「そうです。一抱えほどの葛籠なのです。古いもので……黒漆に家紋の下がり藤を入れてございます。実は、昨年の末に盗まれまして、そのまま行方が知れずにいるのです」

 茶を運んできたお凛は息を飲んだ。居間の床の間に大入道の石とやらと並んで鎮座している、例の葛籠が頭に浮かぶ。

「ほう、盗まれたんですか?それはお気の毒なことで」仙一郎が目を見開くと、店主は悄然と肩を落とした。
「お心遣い痛み入ります。気がついたら、夜の間に蔵を破られておりまして……」
「そりゃあご災難でしたねぇ。盗賊の仕業ですか」
「さぁ‥…犯人は皆目見当もつかないのです」

 居心地悪げに文斉が目を伏せる。仙一郎は滑らかな顎をさすって考え込む素振りをしたが、

「はぁ、葛籠ですか。うーん、そういうものはあったかなぁ」と言うのでお凛は耳を疑った。
「付け届けに色々箱は届いていますが、葛籠はなかったと思いますがねぇ……」

 それを聞いた途端、切羽詰まった形相で身を乗り出していた文斉は頬を強張らせた。

「じゃあ、やっぱりございませんですか?」
「ないですねぇ、そういうものは……」気の毒そうに仙一郎が繰り返すと、蛸のようにぐんにゃり意気消沈してしまった文斉である。
 一体どういうつもりだろうか。眉をひそめて抗議の視線を送ってみるが、青年は悪びれる様子もなく、お役に立てませんで、などとしゃあしゃあと言ってのけている。

「旦那さんの元ならば、もしや、と思ったんですが……いや、お騒がせ致しまして申し訳ございません」
「──何故、私のところへ届けられているとお思いになられたんで?」

 仙一郎が掬うような目つきで文斉の顔を覗き込んだ。

「失礼ですが、その葛籠というのは、何かいわく因縁つきの、摩訶不思議なものなんでしょうか……?」

 大商人が、怯んだように顎を引いた。

「怪異絡みのものを蒐集しているとお耳に挟まれて、私をお訪ねになったんじゃないんですか?それとも、財宝が詰まってでもいるんでしょうか。でもそれなら、私のところへ持ち込むよりも質屋かどこかへ持ち込まれているんじゃありませんか?」

「いえ、その……」

 口ごもる文斉の揺れる瞳に、畏れとも焦燥ともつかない奇妙な表情が張り付いて見える。

「そんなことは、ないのですが……しかし、あれは大切なものでして。そのう……幸運をもたらす縁起物と伝えられております」

 ふーん、と表情の掴めない瞳を文斉に向けると、次いで主は親切そうな笑みを作った。

「盗みであれば、ご懇意の町方のお役人様にご相談なすった方がいいと思いますが。夜盗が跋扈するなんて大問題ですからね。早々に手を打った方がよろしいかと思いますよ。生憎我が家は質屋ではございませんので、いわく付きのものは持ち込まれても、盗品を持ち込もうという人はいなかろうと了見しますが……いや、もちろん先刻ご承知とは存じます。言わずもがななことを申しまして」

 弁舌滑らかにつるつる言うのに連れて、男の額が固くなって行くようだ。

「はぁ、ごもっともです。まったくもっておっしゃる通りです。そのう……とんだ勇み足でございました。お恥ずかしい限りです」
「ちなみに」主がじりっと膝を進めて言う。「その盗み出した相手に、お心当たりは……?」
「──いえ、まったく。見当もつきません」

 はっとしたように背筋を伸ばして応じ、文斉はきまり悪げに目を泳がせた。そして、

「どうも、ご繁多な時節に失礼申し上げました」

 と早口に言い置くと、逃げるように屋敷を辞したのだった。



「……何だってあんなことをおっしゃったんですか?お気の毒に、大角の旦那様、あんなにやつれておられたじゃありませんか」
「あの葛籠を手放すなんて嫌だね」

 子供のようにそっぽを向いてから、お凛の白い目に気づいたらしく主が咳払いして見せた。

「それにほら、旦那さんの言動が腑に落ちないじゃないか。女中が盗んだって話なのに、犯人を知らないってのはおかしい。どうしてとぼける必要があるんだい?町方に任せず、旦那さんが一人で私を訪ねてくるってのも妙だ」

……確かに、そうかも知れない。「そんな不審な旦那さんに、私の大事な葛籠を渡せるもんか」と息巻く仙一郎を横目に、お凛は考え込んだ。
 そういえば、とふっと心に浮かんだことがあった。文斉を見送りに生垣の外まで出た時、男は鳥総松とぶさまつに目を落として足を止めた。

「……ああ、鳥総松ですか。先ほどは気が急いていて気付きもしなかった」

 ぴゅうぴゅうと絶え間なく吹く凍風になぶられながら、健気に立つ小さな青い松をぼんやりと見詰める。

「ーー偉いもんです」
「えっ?」

 聞き間違えたかとお凛が顔を見上げると、文斉は疲れ切った横顔にかすかに苦い笑みを浮かべた。

「こんなに小さいってのに、自分の足で土に根を下ろそうなんて大したもんじゃありませんか。私のような臆病者とは違いますな」

 お凛はますますわからない気分で目を瞬かせた。生き馬の目を抜く江戸の商界に君臨するお人であれば、肝の座り方も常人とはかけ離れているはずだ。それが臆病者とはどういうことだろう。
 しかし、お凛が何かを口に出す前に、じゃあ、と大角の店主はとぼとぼ歩き出していた。
 有り余る富と名声を極めたお大尽であるはずの大商人の背中は、ひどく孤独で寂しげに見えた。

***

 大角屋から別の客人が訪れたのは、それから一刻ほど経った頃のことだった。

「大角の長女、つたと申します」

 奥座敷で丁寧に頭を下げた二十そこそこの娘は、愛嬌のある明るい瞳をして、お嬢さんとしていかにも屈託なく育っているのが感じられた。

「先ほど、盗まれた葛籠のことで父がお邪魔したかと存じます。お騒がせを致しまして、旦那様には誠に申し訳ございません」
「いや、滅相もございません。そのう、お困りでいらっしゃったようなのですが、お役に立てませんで……」

 愛らしい娘にさっそくやに下がった目を向けながら、主は申し訳なさそうにしきりと頭を下げる。

「いいえ、とんでもございません。元はと言えば、今度のことは父が招いたも同然でして」
「はぁ、と、おっしゃいますと……?」

 急にやわらかな頬の線を強張らせて言うおつたに、お凛も仙一郎も虚を衝かれた気分で注目した。
 おつたは膝の上に重ねた両手をきゅっと握り締めると、潔癖そうな白い面に嫌悪とも憤りともつかない表情を浮かべ、やがてきっぱりとした口調で言った。

「葛籠を盗んだのは、私どもの屋敷に奉公しておりました女中なのです。葛籠が消えた師走の暮れの夜、その女中も姿を消しました」

 女中は三十になるお松という。かれこれ七年ほど奉公していたそうで、文斉に信頼されていたらしい。

「お松は父の身の回りの世話を任されていたのですが……父の持ち物を、こっそり懐にしておりました。郷里さとの家族が貧しいとかで、父の根付けだの、煙管だの、硯だの、扇子だのと、まぁ節操なしに色々と盗んでは、質に入れたりしていたようで」
「はぁ……」

 泥徳から話には聞いていたとはいえ、お凛は唖然として嘆息するしかなかった。

「……しかし文斉さんは、そのお松さんをお上に突き出すつもりはなかった……というか、見て見ぬふりをしていらしたんですね?」

 仙一郎が左右に首を傾げながらゆっくりと言った。
 おつたは眉宇の辺りを曇らせると、「そうなのです」と表情を苦くした。

「盗みは三度お縄になったら打ち首、金子十両でも打ち首、金に換算して十両になる場合も打ち首ですからねぇ。文斉さん、人間が出来たお方なんですね、お目こぼししていなすったんですか」
「おっしゃるとおりです。そうして、恩を仇で返された、とでも申しましょうか。父のやさしさが裏目に出てしまいました。私、何度も父に申したのです。早々に暇を出すべきだと……」
「けれど、文斉さんは承知なさらなかった」
「はい」

 おつたの目に浮かんだ憂いが、ふっと深くなったようだった。

「父はあのお松を気に入っておりましたのです。何ですか、ずけずけと物を言うところが気安くていい、などと申しまして」

 文斉は十年以上前にお内儀を亡くし、以来後妻を迎えることもなかったらしい。

「確かに頭も悪くないし、気働きもききますし、綺麗でしたけれど……口が悪かった上に、あの手癖の悪さでしょう」と娘が呆れ顔で言う。

「私にはよくわかりませんけれど、とにかく父がそこまで言うのならと放っておいたのが仇となりました。ですが、もうあれも姿を消したことですし、すっぱり忘れてしまえばいいのにと思うのです。なのに、お松の居所を尋ね歩いて、挙句に旦那様のお屋敷にまでお邪魔するだなんて、未練がましいことでお恥ずかしい限りです」
「──あれ?」

 仙一郎が急に両目を見開いて、飴玉みたいな瞳でしげしげと娘を凝視した。

「ちょっと待ってください。じゃあおつたさんは、文斉さんが葛籠の行方を血眼で探していらっしゃるのは、葛籠を取り戻したいからではないとおっしゃるんで……?」
「はい。お松に未練があるからですわ」
 
 怒ったように白い頬を赤らめて、おつたが頷いた。

「……ってことは、その、おつたさんは、葛籠が戻ってこなくとも構わないわけですか?」
「もちろんです。あんな古い葛籠ひとつ、あろうとなかろうとどうでもいい物ですから」

 あっけらかんとした答えにお凛も絶句した。

「あのう、じゃあ……ひょっとして、葛籠の力については、信じていらっしゃらないんで……?」
「葛籠の力?どういうことでしょうか」

 お凛と仙一郎は顔を見合わせた。

「いえ、その……あの葛籠は、幸運を運ぶものだとか伺いまして……」
「ああ、葛籠に頼むと願いが叶うという、あれですか。まさか」

 くすりと娘がおかしげに笑った。

「そんな馬鹿な話があるわけがございません。そんな迷信を信じているのは父くらいのものです。なにしろ、祖父から散々に言い聞かされて育ったそうでございますから。私、父にも幾度か申したんです。幸運の葛籠などご先祖様の作り話だと。それが時が経つ内に、あれやこれやともっともらしい尾ひれがついてしまったに違いないのです」

 ですから、とおつたは居住まいを正した。

「今後旦那様の元にお松が葛籠を持ち込むことがあったとしても、父には知らぬふりをして頂けないかと、お願いに上がった次第です。お松が現れたと知れば、父は躍起になって探し出そうとするに相違ございません。手癖の悪い女中とどうにかなるなどという醜聞が、大角屋の店主に起きては困るのです。どうか、お力添えをいただけますでしょうか」

 恥を忍んでお頼み申し上げます、と深々と頭を下げる。
 仙一郎は、はぁ、と言ったきり、お凛と顔を見合わせて呆気に取られるばかりであった。 
  
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