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第四部 婚礼

第41話 シェンバー、子どもになる④

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 シェンが体調不良で来られないと告げると、院長や町の長たちは、すぐに労りの言葉をかけてくれた。幼いシェンに視線が走る。

「すまない。本人は祝いの席だからと大層来たがっていたんだが、私が止めたんだ。今日は代わりに町を見たいという子を連れてきた」
「イルマ殿下にお越しいただけて光栄です。若君もようこそおいでくださいました。どうぞ、こちらへ」

 外観から王族なのだろうと判断したのだろう。ぼくが語らないことを彼らは詮索しない。商人の町の者たちは人の心の機微に聡く、ぼくはほっと息を吐いた。

 案内されたのは食堂で、たくさんの子どもたちが席に着いていた。どの子の目も輝いて、そわそわと食卓の上を見つめている。
 卓の上には野菜のスープとパンが並んでいた。さらに焼きたての肉が切り分けられ、香ばしい香りをたてている。肉の隣りには、干した果物の蜂蜜漬けもあった。今日の日の為に用意されたことがよくわかる。

「院長、ぼくたちもここで一緒に食べていいだろうか? 子どもたちと同じものを」
「よろしいのですか? では、席をご用意致します」

 院長から挨拶を求められたけれど、僕は辞退した。子どもたちをこれ以上待たせるのは気の毒だ。隣の神殿からやってきた神官が祈りを捧げ、食事の開始が告げられると、食卓は一気に賑やかになった。



 シェンは、じっと子どもたちを見つめていた。

「どうしたの? ぼくたちも食べよう」
「⋯⋯あの子は、なぜ食べない? さっきから、パンを少しだけしか」

 視線の先には、痩せ細った子どもがいた。彼は指でほんの少しだけ千切ったパンを、時間をかけて何度も口に運ぶ。

「ずっとまともに食べてこられなかったんだろう。すぐに食べ終えないようにしているんだ。ここに来る前の子どもたちに、飢えから守ってくれる者はいない」

 シェンは、目を丸くしたまま黙り込む。
 食卓に並ぶのは、スターディアの王族なら、望めばすぐに手に入る品だ。だが、一生口に出来ない者たちも大勢いる。

「⋯⋯見てごらん」

 隣にいた子どもが何か話しかけ、パンを千切っていた子は、スープを口にした。ぱっと笑顔になり、隣の子どもが笑う。

「一人でも二人でも、救える命があればいい。ここは、これからガゥイの希望になるんだ」

 食事を頬張る子どもたちの顔は、喜びに溢れていた。賑やかな食事の様子に、ぼくはフィスタの孤児院を思い出す。ゴートは時折、フィスタから手紙をくれる。そこには子どもたちの日々の様子が細やかに書かれていた。

「⋯⋯シアたちは元気かな」
「シア?」

 完璧な作法で食べていたシェンが、瞳を瞬いた。

「ああ、フィスタにいるんだ。会うたびに成長していてびっくりする」
「⋯⋯その、シア⋯⋯は、イルマ王子の大切な人なのか?」
「うん? そうだね、大事だ」

 シアもマウロもエレも大事な子だ。孤児院を訪問すると、いつも喜んで迎えてくれた子どもたち。中でもシアは、黒の森に赤児が捨てられていたと猟師が必死に連れ帰った子だった。よくも獣に襲われずにすんだと、鼻の奥がツンとする。眼の前の子どもたちにフィスタの子どもたちが重なって、じわりと視界が滲んだ。

「何だか、ここにいると色々思い出してしまうな」
「そんなに⋯⋯」

 頷くと、シェンの肩が落ちて、急に元気をなくしたように見えた。急にどうしたのだろう。

「⋯⋯シェンバー殿下、疲れた? 大丈夫?」

 少年は左右に首を振り、黙り込んだ。ぼくには、わけがわからなかった。




 ぼくたちは食事の後、子どもたちと外に出た。
 空は晴れ渡り、神殿との間に広がる畑には、野菜がすくすくと育っている。年嵩の子どもたちが先に立ち、畑の手入れを始めた。幼い子どもたちも、土で遊びながら雑草を抜いている。上の子たちは下の子たちの面倒をよく見ていて、まるで一つの大きな家族のようだった。

 シェンは、子どもたちをじっと見つめていた。

「⋯⋯イルマ王子。さっき市場で買った干果を、孤児院に置いていってもいいだろうか?」
「構わないよ。でも、いいの? せっかく、初めて自分で買ったのに」
「いいんだ。あの子たちに食べてほしい。でも、イルマ王子の分は持って帰るから」

 ぼくは思わず、シェンの頭を撫でた。

 びくん、と肩を震わせて、シェンはぼくを見た。びっくりしている様子に、慌てて手を離す。

「あ、ごめん。驚かせて」
「いや、いい」

 ぷいと視線を逸らされてしまった。ああ、失敗した。幼児ではあるまいし、気軽に触れるべきではなかった。晴れ渡った空とは裏腹に心が沈んでいく。何となく気まずいぼくたちに、院長が声をかけた。

「子どもたちはもう少し、外で作業をします。殿下方にお見せしたいものがあるのですが」

 ぼくが頷くと、シェンがすぐに院長についていく。強張った背中を見ながら、小さくため息が出た。
 院長の部屋に案内されれば、机の上に包みが置かれている。

「シェンバー殿下が頼んでくださっていたものが、ようやく届きました」
「⋯⋯シェンバー殿下? どういうことだ?」

 幼いシェンの口から怪訝な声が漏れる。思わず、その口を塞ごうと体が動く。院長はにっこり笑って、シェンの前で包みを開けた。

「本⋯⋯」

 ぼくたちは、息を呑んだ。そこには、何冊も本があった。紙の本はとても高価だ。平民に手が届くようなものではない。フィスタの孤児院でも、貴族たちに声をかけて集まった寄付でようやく少しずつ手に入れたのだ。
 院長に断って手にとれば、そこにあった本は、簡素な絵に易しい言葉がついたものが多かった。
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