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第四部 婚礼

第40話 シェンバー、子どもになる③

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 馬車は順調に進み、一刻後にはガゥイに到着した。
 孤児院に行く前に、ぼくたちは少しだけ市場に寄って行くことにした。ガゥイの市場は変わらず熱気に満ちている。

「すごい! イルマ王子、あんなに屋台がたくさんある!」

 シェンはきらきらした瞳で、屋台に視線を向けた。
 以前、ぼくが言った言葉を幼い彼から聞くなんて誰が思うだろう。辺りを見回せば、人々の視線がシェンに集まっているのがわかる。
 きらめく金髪は後ろで一つに結ばれ、絹のシャツの首元には瞳と同じ宝石が輝いている。紺地の上下は揃いで、際立つ容姿は王族そのものだ。注目を集めるのも無理はない。

「あまり長くはいられないけれど、ちょっと屋台をのぞくぐらいの時間はあるよ。何か欲しいものはある?」

 シェンは黙り込み、うつむいたまま小さな声が聞こえた。

「⋯⋯て、みたい」
「ん?」
「買いものを、してみたい⋯⋯」
「買い物?」

 こくんと頷く姿を見て、ぼくは上着の隠しから小さな革袋を出した。シェンの手を取って、手の平に乗せる。

「これを使って」
「えっ」
「一人でやってみたいんでしょ?」

 少年は、ぱっと目を輝かせた。ぼくは幼い頃からセツと城を抜け出して城下に入り浸っていたけれど、スターディアでは許されなかったのだろう。欲しいものがすぐに用意されるのと自分で買うのは違う。
 シェンは緊張した面持ちで屋台に向かうと、一つ一つの店を興味津々といった顔で眺めていく。

 あちこちの屋台で色々勧められても首を振り、すぐには買おうとしなかった。干した果物をずらりと並べている店の前で、初めて足を止める。シェンは、美しい宝石のような色の果物を少しずつ頼んだあとに、ぼくを見た。

「イルマ王子は、どれが好き?」
「え?」

 ぼくが一つの果物を指さすと、「これも!」と叫ぶ。シェンは迷わず革袋から金貨を出して屋台の主人に差し出した。主人が慌てて首を振る。

「若様、金貨をいただくほど高価な品は置いてないですよ。銅貨はありますか? ええ、それで十分。どうぞこれもお持ちください。美味しいですよ」
「す、すまない。ありがとう⋯⋯」

 小さな手はすぐにいっぱいになり、嬉しそうなシェンの顔が目に入る。こちらまで胸がいっぱいになった。

 シェンは干果を入れた包みを、キラキラした瞳で見つめていた。
 干果は、パヌという果樹の葉に包まれ、藁で口を縛ってある。頬を染めて嬉しそうに包みを見る様子は、まるで宝物を手にしたようだ。

「それだけでいいの?」

 金の髪が揺れて、こくんと頷く。

「君が干果が好きだとは知らなかった」
「干果は長持ちする。これから宴なら、先に食事をしてはいけないだろう?」

 ぼくは、はっとした。だから、屋台の食べ物をずっと吟味していたのか。
 ガゥイに来る途中、ぼくたちは孤児院が完成した祝いの宴に呼ばれたのだと伝えた。一言聞けばその先を考えられる賢さに、思わず唸ってしまう。

「イルマ王子、どうしたんだ?」
「⋯⋯ぼくなら、何も考えずに好きなものを次々に求めているなって」
「それは、浅慮なのでは?」

 利発な子どもにきっぱりと言われて、なけなしの自尊心が、がらがらと崩れていく。真実は時として人を傷つける。

 ぼくが黙っていると、幼いシェンは首を傾げた。じっとこちらを見ている様に思わず、可愛いんだけどね、と呟く。シェンの肩が、びくんと跳ねた。

「だ、男子には可愛いなんて言葉は使わないものだ!」
「そうか。でも、大人は子どもに使ってもいいんだよ。今は、ぼくの方が君よりずっと年上だからね!」

 なかば自棄やけのような気持ちで言うと、瑠璃色の瞳がぱちぱちと瞬く。

「イルマ王子は、ほ、本当に私のことを可愛いと思うのか?」
「うん。可愛い」
「⋯⋯そんなこと、言われたことがない」 
「そうなの? ぼくは子どもの頃、フィスタでよく言われたよ」
「女神の国の民は心が広いのだな⋯⋯」
「⋯⋯おかげさまで」

 言葉が微妙に腹立たしいが、いちいち気にしても仕方がない。
 それにつけても、こんなに聡い彼を人々に何と言って紹介したらいいのだろう。サフィーのような勘違いをされても困る。何が最善なのか、いくら考えても答えは出ない。

 ぼくはため息をついて、シェンに向き合った。

「シェンバー殿下、実は大事な話があるんだ。聞いてくれる?」
「うん。でも、その前に」

 シェンは抱えた包みの中の一つを、ぼくに差し出した。

「はい! これは、イルマ王子の」
「え? あ、ありがとう」
「⋯⋯買い物、すごく楽しかった」

 はにかむように笑う姿にぎゅっと胸が痛くなる。
 ほんのわずかな時間でしかなかったのに。もっと市場を自由に見せてあげたくなる。 

 渡された包みを開くと、中からは平べったい琥珀色の干果が現れた。甘さと爽やかな酸味がある果物は、干すと甘みが増して美味しい。

「食べたことある?」
「いや、これは?」
「マォン。もっと暑い南方でしかとれない果実なんだって。ぼくも最近知ったんだ」

 本当はね、君が教えてくれたんだよ、と心の中で付け加える。

「はい、口あけて」
「え、えっ。わっ!」

 ぼくが口を開けると、つられてシェンも口を開けた。一切れ摘まんで、ひょいと乾果をシェンの口の中に入れる。少年の瞳が丸くなった。

「⋯⋯美味しい」

 ぼくたちは、顔を見合わせて笑った。



 シェンやセツたちと連れ立って孤児院に向かうと、大歓迎を受けた。目の前にあるのは、想像よりもずっと立派で美しい建物だった。神殿との間には、畑も作られている。
 孤児院は一月前に完成していた。ぼくとシェンの婚儀の日に合わせたと、出迎えてくれた院長たちが言う。祝いの宴は、ぼくたちの訪問日に合わせて延期してくれたのだ。

「ご尽力いただいた殿下方の幸ある日に間に合わせようと、職人たちはじめ、皆で力を合わせました」
「おかげさまで子どもたちも、ここでの生活に少しずつ馴染んできています」

 孤児院に入ると、賑やかな声が聞こえてくる。元気に走り回る足音も。

 ぼくは、幼いシェンにひとつだけ頼みごとをした。
 ──自ら名乗らぬこと。ここには伴も少ないし、危険がないとは言い切れない。
 いっそ全部話してしまおうかとも思ったが、こうなった理由も元に戻るかもわからないとは、とても言えなかった。

「大丈夫でしょうか、イルマ様」  
「後は女神に祈るしかない」

 本物は体調を崩して南の離宮で休んでいる。そう言って、今日を無理やり乗り切ることに決めた。
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