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2章.Kyrie
自由の祭典
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その日、食堂の雰囲気はいつもとどこか違っていた。前から回されてきた本には、儀式の内容が記されている。
全員でそこに書かれたお祈りをして、祭司から祝福を受けるため、立ち上がって列をなした。
毎朝聖堂で見ている見慣れた祭司だ。
ミカエルの番となり、頭に手を置かれる。
「――神に従順なものよ、生涯にわたって神に忠実に仕えますように。アーメン」
「アーメン」
そうして生徒が祝福を受けているうちに、テーブルに四つの杯が用意されていた。
杯を持ち上げ、祈りを捧げて飲み干す。酒かと思ったがジュースだった。
四つの杯を飲み干すと、次はパセリの入った皿を持ち上げ祈る。
それは神の民が子羊の血を門柱などに塗るのに使った植物を表しているという。食べるときに浸す塩水は、神の民が流した涙の象徴だ。
ちなみに、神の民を奴隷として扱っていた者たちは赤い印をつけておらず、神がもたらした災いにより、最初の子が皆殺された。神は事前に、印のない家に災いをもたらすと神の民に伝えていたのだ。
それによって長男が死んだ王は、ようやく奴隷を解放したわけである。
そんな調子で聖典にあった話を思い起こさせるように式は進み、歌い祈り、詩篇を朗読し、長い晩餐は終わった。
本日は自由を祝う祭典ということで、食後は聖典や家族に思いを馳せ、食堂でもお喋りすることが許された。
「ミカエル、君は森で誰かと暮らしてたんだよね」
「おう。師匠だ」
「えっと、術の?」
「ちっこい頃からそう呼んでたぜ。親みてえなもんだ」
「ふぅん」
サリエルは手の中のハーブティに目を落とし、小さく問う。
「君は親を知らないの?」
「……まぁな」
「羨ましいよ。オレは親に捨てられたことを覚えてる。たぶん、この目のせいで。こういう日には、決まって思い出してしまうんだ」
今日のサリエルがどこか不安定に感じられたのは、その影響もあるかもしれない。
眼鏡をしたままではあるが、人前で素の部分を垣間見せていいのだろうか。周りに目をやると誰もが自分たちのお喋りに夢中だったので、ミカエルも気にしないことにした。
睫毛の影が落ちる灰色の瞳に目をやり、口を開く。
「おまえもいつか、そんな事忘れちまうような相手と出会えたらいいな」
「、キミのお師匠さん、本当にいい人なんだね。そんなふうに考えたことなかったよ」
灰色の瞳が水気を帯びて煌めいた。
「キミっ、キミと話していると、胸が苦しくなる。キミは強くて純粋で、最初の光みたいだ」
「最初の光?」
「神が最初に創った光。それとも、朝の太陽かな。ミカエルって、神のようなものって意味だろ? キミにピッタリだと思う」
「そうか?」
「うん。キミの場合、キミ自身がキミの神って感じだし。オレ、そんなキミが好きなんだ」
直球で言われると、ちょっと照れる。
「俺もおまえが同室でよかったと思ってる」
ミカエルは仏頂面で返した。
「本当? 嬉しいよ」
自由解散になっているため、徐々に人が減っていく。そんな中、コカビエルはまだ生徒たちと談笑していた。
「オレがいた街は、敬虔な信徒が多かったんだ。盗みをして捕まって、街頭で公開処刑された人もいた。死骸は見せつけるように放置され、酷い臭いを放ってた」
おもむろに話し始めたサリエルは、手元に目を落としている。
「こうなりたくなかったら大人しく規則に従ってろって、言われてるようだった。あれを見てから、できるだけ盗みは働かないようにしたよ」
「おまえの腕が落ちてなくてよかったぜ」
「まったくね」
サリエルは肩をすくめ、ハーブティで喉を潤す。
「ラファエルさんね、初めて会ったとき、街の視察に来てたんだ。聖正教の秩序が保たれているか、確認するために」
サリエルのいた街は、近くの街から移り住んだ人が多くいた。その街はかつて大いに栄え、人々は堕落した生活を送っていたという。
「四十年くらい前、近くの街に、ついに鉄槌が下されたらしいんだ」
「鉄槌?」
「街は一夜で廃墟と化した。何があったのか、そこまでは知らないけど。噂によると、神の意思をまっとうする教皇の命で、忠実な配下――修道士が行ったんだって」
「すげぇ話だな」
ミカエルはコカビエルの様子をチラリと窺い、サリエルに目を戻す。
「その堕落した街から逃げ延びた人が多くいたから、オレがいた街はとくに規律が厳しくて。生きるためにみんな、"敬虔な信徒" をやってたよ」
「その人たち、よく逃げ延びられたな」
「鉄槌が下るまえ、大変な事が起こるって、噂になったらしい。それを信じた人は、逃げて助かったんだろうね。……それで、よく視察に来たんだ。オレのいた街。教皇庁から、力の強い修道士が」
灰色の瞳がすっとミカエルに向けられる。
「ラファエルさんは教皇庁の人間だ。教皇のお膝元。その権威に近い枢機卿の地位にも、そろそろ就くかもっていうくらい」
そのくらいの地位にいると、衛兵が話していたのをサリエルは聞いたことがある。
「そんなやつが、こんな所で油売ってていいのか?」
「キミはそれくらい、教会にとって大きな存在なんだよ」
ミカエルは片眉を上げる。そのとき、生徒に囲まれていたコカビエルが立ち上がり、食堂脇のドアから出て行った。
「じゃあな」
「……うん。幸運を」
ミカエルはクッと口角を上げ、コカビエルを追った。
全員でそこに書かれたお祈りをして、祭司から祝福を受けるため、立ち上がって列をなした。
毎朝聖堂で見ている見慣れた祭司だ。
ミカエルの番となり、頭に手を置かれる。
「――神に従順なものよ、生涯にわたって神に忠実に仕えますように。アーメン」
「アーメン」
そうして生徒が祝福を受けているうちに、テーブルに四つの杯が用意されていた。
杯を持ち上げ、祈りを捧げて飲み干す。酒かと思ったがジュースだった。
四つの杯を飲み干すと、次はパセリの入った皿を持ち上げ祈る。
それは神の民が子羊の血を門柱などに塗るのに使った植物を表しているという。食べるときに浸す塩水は、神の民が流した涙の象徴だ。
ちなみに、神の民を奴隷として扱っていた者たちは赤い印をつけておらず、神がもたらした災いにより、最初の子が皆殺された。神は事前に、印のない家に災いをもたらすと神の民に伝えていたのだ。
それによって長男が死んだ王は、ようやく奴隷を解放したわけである。
そんな調子で聖典にあった話を思い起こさせるように式は進み、歌い祈り、詩篇を朗読し、長い晩餐は終わった。
本日は自由を祝う祭典ということで、食後は聖典や家族に思いを馳せ、食堂でもお喋りすることが許された。
「ミカエル、君は森で誰かと暮らしてたんだよね」
「おう。師匠だ」
「えっと、術の?」
「ちっこい頃からそう呼んでたぜ。親みてえなもんだ」
「ふぅん」
サリエルは手の中のハーブティに目を落とし、小さく問う。
「君は親を知らないの?」
「……まぁな」
「羨ましいよ。オレは親に捨てられたことを覚えてる。たぶん、この目のせいで。こういう日には、決まって思い出してしまうんだ」
今日のサリエルがどこか不安定に感じられたのは、その影響もあるかもしれない。
眼鏡をしたままではあるが、人前で素の部分を垣間見せていいのだろうか。周りに目をやると誰もが自分たちのお喋りに夢中だったので、ミカエルも気にしないことにした。
睫毛の影が落ちる灰色の瞳に目をやり、口を開く。
「おまえもいつか、そんな事忘れちまうような相手と出会えたらいいな」
「、キミのお師匠さん、本当にいい人なんだね。そんなふうに考えたことなかったよ」
灰色の瞳が水気を帯びて煌めいた。
「キミっ、キミと話していると、胸が苦しくなる。キミは強くて純粋で、最初の光みたいだ」
「最初の光?」
「神が最初に創った光。それとも、朝の太陽かな。ミカエルって、神のようなものって意味だろ? キミにピッタリだと思う」
「そうか?」
「うん。キミの場合、キミ自身がキミの神って感じだし。オレ、そんなキミが好きなんだ」
直球で言われると、ちょっと照れる。
「俺もおまえが同室でよかったと思ってる」
ミカエルは仏頂面で返した。
「本当? 嬉しいよ」
自由解散になっているため、徐々に人が減っていく。そんな中、コカビエルはまだ生徒たちと談笑していた。
「オレがいた街は、敬虔な信徒が多かったんだ。盗みをして捕まって、街頭で公開処刑された人もいた。死骸は見せつけるように放置され、酷い臭いを放ってた」
おもむろに話し始めたサリエルは、手元に目を落としている。
「こうなりたくなかったら大人しく規則に従ってろって、言われてるようだった。あれを見てから、できるだけ盗みは働かないようにしたよ」
「おまえの腕が落ちてなくてよかったぜ」
「まったくね」
サリエルは肩をすくめ、ハーブティで喉を潤す。
「ラファエルさんね、初めて会ったとき、街の視察に来てたんだ。聖正教の秩序が保たれているか、確認するために」
サリエルのいた街は、近くの街から移り住んだ人が多くいた。その街はかつて大いに栄え、人々は堕落した生活を送っていたという。
「四十年くらい前、近くの街に、ついに鉄槌が下されたらしいんだ」
「鉄槌?」
「街は一夜で廃墟と化した。何があったのか、そこまでは知らないけど。噂によると、神の意思をまっとうする教皇の命で、忠実な配下――修道士が行ったんだって」
「すげぇ話だな」
ミカエルはコカビエルの様子をチラリと窺い、サリエルに目を戻す。
「その堕落した街から逃げ延びた人が多くいたから、オレがいた街はとくに規律が厳しくて。生きるためにみんな、"敬虔な信徒" をやってたよ」
「その人たち、よく逃げ延びられたな」
「鉄槌が下るまえ、大変な事が起こるって、噂になったらしい。それを信じた人は、逃げて助かったんだろうね。……それで、よく視察に来たんだ。オレのいた街。教皇庁から、力の強い修道士が」
灰色の瞳がすっとミカエルに向けられる。
「ラファエルさんは教皇庁の人間だ。教皇のお膝元。その権威に近い枢機卿の地位にも、そろそろ就くかもっていうくらい」
そのくらいの地位にいると、衛兵が話していたのをサリエルは聞いたことがある。
「そんなやつが、こんな所で油売ってていいのか?」
「キミはそれくらい、教会にとって大きな存在なんだよ」
ミカエルは片眉を上げる。そのとき、生徒に囲まれていたコカビエルが立ち上がり、食堂脇のドアから出て行った。
「じゃあな」
「……うん。幸運を」
ミカエルはクッと口角を上げ、コカビエルを追った。
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