【完結】虚構【遺書】

|慟哭《どうこく》の|色褪《いろあせ》ぬ夜風が身に沁みる。

さて。今日は何を書こうか。

ひと呼吸おいては、体を動かす。
生きるとは書くことである。わたくしから筆をとったら何も残らない。
黒糖のパンをみかけた。中にはバターが含まれた。
こんがりと。パンの艶やかなること。芳ばしい。
パンは嫌いではない。むしろ好きなほうだ。
口に含むとほんのりと薫る。牛乳で流し込むことはしない。

そのたんせいな味わいを。かおるバターを楽しむ。
幸福とはこんなささいな場所にもいたのかという気持ちにひたる。

放り出された男がひとり。何をしたのかはわからない。
夫婦でつながれていたはずの女性が憎々しげにほえた。
もう帰ってくるんじゃないよと聞こえた。
恐怖に打ち震える肉体は、サンヘドリンへとやってきた。

野良犬とハイエナがこれらの者の屍を食らうのか。
烏の行水。この言葉をきいて。不思議とそまつな言葉だと思う。
人が人たるゆえんを剥奪した言葉。いっしゅんで理解した想いとは。

夜風に揺れる花束が。心もとなく揺れている。
ぽっぽっー。夜汽車は荷台を震わせる。前進と後退はあるのか。
いまは亡き祖母とでもいうべき存在に思いを馳せる。

賛美歌。ハレルヤ、ハレルヤ。この賞賛に意味などは無い。
失われた記憶。それこそが価値がある。
時間と空間に意味など無い。疾走という名の面影がちらほらと輝く。
人はさまざまな思いを告げている。それを聞くのも聞かぬのも自由だ。
寂れた町並み。寂れた記憶。余暇と博愛すべき人たちよ。

夜汽車は揺れながら、警笛を打ち鳴らしている。
誰よりも食べてゆくことに必死な時。人の言葉とは寝耳に水である。
驚嘆こそすれ。その生き様が己の人生に糧になることはない。

人生。山あり谷あり。針のむしろのように思える。
それでも、いつかは、トンネルを抜け出て、幸福があると聞く。
わたくしは無いと思う。失われた時とは返らないからである。

七つの時とは七たびのかん難が訪れるのか。
人はそれほど強くはない。幼子が泣いている。
取り残されたのかと聞く。
ざわめきだつ町並みに赤子を残したものは誰か。
紆余曲折とは、ときおり見せるその顔立ちに身の毛がよだつ。
幼子はどうなったのかは、いまは誰も知らない。

ふと気がつくとやすらぎがそこにはある。
人はやすらぎなくしては生きられない。
家とはその人のもといであろうか。確かにもといだと答える。
生活のちゅうすうが。いきざまがねづいているのだから。
よぎなくされた人々が行き着くさきは、マドレーヌ。
甘い菓子パンのようであった。
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