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第七章 未来に繋がる呪いの話
第7話 怨霊達と侵食する穢れ
しおりを挟む首の上を何かが這うような不快感に、碧真は目を開ける。
地面に仰向けに倒れていた碧真は、ふらつく頭を左手で押さえながら上体を起こした。
碧真が体を起こすと、首元から黒いムカデが剥がれて地面に落ちる。幸いにも噛まれてはいないようで、肌に痛みは無い。
ムカデは再び碧真の体の上に攀じ登ろうとする。碧真は舌打ちすると、銀柱を取り出して、ムカデの体に突き刺した。銀柱で地面に体を縫い付けられたムカデはピクピクと痙攣する。
碧真は隣で横たわっている日和へと手を伸ばす。
「日和」
名前を呼んで肩を揺すると、気がついたのか、日和は目を開けた。日和は体を起こした後、周囲の景色を見て不安そうな表情を浮かべる。
「ここ何処? さっきの場所じゃないよね?」
同じ森の中のようだが、景色も微妙に変わり、目の前に居た狭間者の紫来の姿もなくなっていた。
「転移の術で飛ばされたみたいだな」
碧真は自分の足元にある転移術式を見つめる。
碧真達を狙った攻撃術式と転移術式が発動する前に、日和に引っ張られた先にあった術式が発動するのが見えた。碧真達は、あの場に元からあった転移術式を発動させて、今いる場所に飛ばされたのだろう。
通常ならば、足元にある転移術式に力を注ぎ、代償を支払えば、元の場所に戻ることは出来る。
ただ、転移の術は、移動元と移動先に対となる術式が必要だ。
攻撃術式によって、元の場所にあった対となる転移術式が破壊されている可能性が高い。
転移先の術式が破壊されている場合、何処にも転移することが出来ず、おかしな空間に放り出されてしまう恐れがあった。不確かな状態で使用するのは危険だ。
碧真と日和は立ち上がり、周囲を見渡す。
地面だけではなく、木々や岩に罠として仕掛けられている術式が見えた。
壮太郎達は素早く簡単に解呪していたが、碧真では解呪に時間が掛かる。
日和には壮太郎が渡した呪具があるので、不意の攻撃を防ぐことは出来る。しかし、回数に限りがある以上、迂闊に危険な目に遭わせるわけにはいかない。
碧真の思考を妨げるように、何かの呻き声が周囲に重く響く。
視線を走らせると、十メートルほど離れた場所に、黒い霧のようなモノが揺れていた。
黒い霧の中に、赤黒い色が混じる。霧は次第に大きくなって、こちらへ近づいて来ていた。
正体は不明だが、危険なモノだと碧真は判断する。
碧真は後方を振り返り、罠が仕掛けられていない道を確認して、日和の手を引いて歩く。碧真達は、近くにあった茂みの影に体勢を低くして身を隠した。
徐々に呻き声が近くなる。
碧真は葉の隙間から、茂みの向こう側にいる黒いモノを見る。
黒い穢れの霧を纏い、焼け爛れたように赤黒く斑になった体を持つ、人型のモノが二体いた。
碧真は、人外が見えるようになる呪具のブレスレットを外して、地面に置く。赤黒い人型のモノは消え、黒い穢れの霧だけが見えた。
(もしかして、あれが天翔慈家の怨霊なのか?)
妖怪の可能性もあるが、”怨霊”と言われた方が納得できる程に禍々しい穢れを纏っている。
碧真は再びブレスレットを身に着け、怨霊達が通り過ぎるのを息を殺して待つ。気配が消え、呻き声が聞こえなくなった事を確認した後、碧真は日和を振り返った。
碧真が口を開くと、日和が焦った顔で首を横に振る。訝しく思いながらも、碧真は口を閉じた。視線で問うと、日和は震える指先で怨霊達が通った道を指差す。
日和が示した場所を見れば、怨霊がもう一体いた。
(いつの間に現れたんだ?)
突然現れたもう一体の怨霊は、何かを探すかのように首を巡らせる。
碧真は怨霊を警戒しながら、右手で袖口に仕込んでいた銀柱を二本引き抜き、いつでも攻撃に移れるように構える。
怨霊は暫く立ち止まった後、ゆっくりと移動する。怨霊達に見つからずに済んだと思った時、鳥の羽音が耳に届いた。
羽音の方へ視線を向けると、怨霊を挟んだ向こう側の木の上に止まった黒い烏と目が合う。
黒い烏の足から、何かが落ちた。
コツリという小さな物音の後、地面に浮かび上がった白い術式が引き金となり、罠として周囲に仕掛けられていた術式が連鎖的に発動する。
(攻撃術式か!)
碧真は右手に持っていた二本の銀柱を地面に突き刺して、二重の箱型の結界を生成する。
攻撃術式から放たれた夥しい量の矢が、結界を埋め尽くすように突き刺さった。
結界に突き刺さった矢が膨れ上がり、音を立てて爆発する。
結界が砕け散った瞬間、両脇に立っていた木が、碧真の頭上に向かって傾いてくるのが視界の端に見えた。
間に合わないという考えが過った時、眼前にドーム型の白銀の結界が生成され、木に押し潰されそうになった碧真達を守る。
振り返ると、日和の近くの地面に銀色の指輪が転がっていた。壮太郎から貰った呪具を使って、日和が結界を張ったのだろう。
攻撃術式が次々と発動し、白銀色の結界へ衝突する。
白銀色の結界は揺らぐこともなく、碧真達を守る。全ての攻撃術式が役目を終えたのか、辺りが静寂に包まれた。
結界の向こう側で砂埃が舞う。
視界が晴れた時、四体の怨霊が結界の四方を取り囲んで立っていた。
近距離で怨霊達を見た碧真は舌打ちし、日和は小さく悲鳴を上げた。
怨霊達の赤黒い皮膚から崩れた肉片が、結界の上に落ちる。ベチャリと水気を含んだ嫌な音がした後、結界の表面を焼くような音が聞こえた。
(爆発音に釣られて集まってきたのか)
碧真は怨霊達を見据えて思考を巡らせる。
手持ちの銀柱の量は多く、結界の内部で攻撃術式を作り出すことが出来るので、怨霊達を攻撃する手段はある。ただ、結界を解除しなければ、こちらから攻撃は出来ない。
(それに、怨霊達に、俺の攻撃が有効か分からない。もし、攻撃が効かなかったら、結界を解除した瞬間に総攻撃を受ける事になる。……丈さんと壮太郎さんに頼るしかないか)
壮太郎ならば、怨霊達を相手に戦うことが出来る。壮太郎に頼りたくはないが、危険を冒してまで自力で何とかしようという考えは愚策でしかない。
何処に連れて行かれたのかは分からないが、壮太郎は「すぐに戻ってくる」と言っていた。
壮太郎が作り出した飛行移動可能な『羽犬』の呪具を使えば、離れていても、碧真達を迎えに来ることが出来るだろう。
(二人に連絡を取ってみるか)
通信用の呪具のイヤーカフに手を伸ばした碧真は、肌が粟立つのを感じて手を止める。足の力が抜け、碧真は膝から崩れ落ちた。
「碧真君!?」
日和の悲鳴じみた声が、ぼんやりと遠くに聞こえる。
全身から冷や汗が噴き出して、サアッと血の気が引いていく。手足が震え出し、呼吸の仕方がわからなくなって息を上手く吸えない。グニャリと視界が歪む。意識が遠のく中で、碧真は自分の指先に黒いモノが張り付いているのを見た。
(……ムカデ?)
ムカデのような黒いモノが、皮膚の上を這っている。その正体を悟って、碧真は息を呑んだ。
結界の向こうにいる怨霊達が歓喜の声を上げる。
碧真の体を、穢れが侵食していた。
***
日和は言葉を失い、目の前の光景を呆然と見つめる。
碧真が急に膝をついて倒れ、指先が黒く染まった。よく見れば、服に覆われていない腕も首も、肌の殆どが黒い。
(どうして穢れが!?)
碧真の肌を黒く染める穢れ。碧真は俯き、喘息のような苦しげな呼吸をしている。
「碧真君!」
日和は地面に膝をつき、碧真の名を呼ぶ。碧真の右手の指先がピクリと反応した。意識があることに安堵した日和の首に、碧真の黒い手が伸びる。
碧真の指先が日和に触れようとした時、身に着けていたネックレスが白銀色の光を放つ。バチンと音がして、碧真の手が弾かれた。
碧真はギリっと歯を食いしばり、獣が威嚇するような低い唸り声を上げて日和を睨みつけた。目の焦点が定まっておらず、明らかに正気ではない。
身を守る為の呪具が反応したということは、碧真が日和を傷つけようとしたということだ。
──”穢れは、相手の思考や精神を歪め、命や魂を削る”。
以前、碧真が教えてくれた言葉を思い出し、日和は戦慄する。
(どうしたらいいの? このままじゃ、碧真君が……)
バンッと何かが結界に衝突する音が響いた。
見上げると、結界の周囲にいた赤黒いモノ達が、結界を叩いて何か叫んでいる。
「ぐっ……ああぁああああっ!」
肌の上を這う穢れの進行が速くなり、碧真が苦しげな声で叫ぶ。
「碧真君! しっかりして! 碧真君!!」
日和が碧真の手に触れた瞬間、悪寒が身体中を駆け巡った。
碧真の頬を這っていた穢れが剥がれ、侵食の矛先を変えるかのように日和へと伸びる。驚いて碧真から手を離すと、伸びてきた穢れが、日和に触れる手前で止まった。穢れは再び碧真へ戻っていく。
(……もしかして、触れていると、碧真君の穢れが私の方に来るの?)
日和は自分の両手を見下ろした後、深呼吸をする。意を決して両腕を開いて碧真に抱きつくと、日和に向かって一気に穢れが襲いかかってきた。
肌の上を這う穢れに、本能的な恐怖で鳥肌が立つ。
日和の肌の上を這う穢れを見れば、碧真の肌の上を這っていた時よりも進行は随分と遅いように見える。碧真の肌を覆う穢れも、日和へ移った分だけ減っているように見えた。
「……り」
か細い小さな声に、日和はハッとする。
「碧真君!」
碧真の虚ろな目が、日和を捉えた。碧真は自分の体から日和へ穢れが移っていくのを見て息を呑む。碧真は日和の体を手で押した。碧真は思い切り突き飛ばしたつもりだったが、弱った力では日和の体から少し間を空けることしか出来なかった。
「離れろ」
「やだ」
即座に拒否する日和に、碧真は苛立ったように口を開く。
「いいから……離せ!」
「やだったら、やだ!!」
碧真に反抗して、日和は抱きしめる力を強くする。
「……頼むから」
消えてしまいそうな声で、碧真は言う。支えている碧真の体が重くなる。意識を保っていられなかったのか、気絶したようだ。
日和は震える唇を引き結ぶ。
(こんなものに、私や碧真君の命を好き勝手されて堪るか! 絶対に飲み込まれてなんかやらない!!)
涙が薄く滲んだ目で、日和は自分達の体を侵食する穢れと結界の向こうにいるモノ達を睨みつけた。
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