ハードワークとブラック労働の境界線は何かといえば、逃げ場があるかどうかです。精神的に追い詰められて、なおそこにしかいられない。この世界以外に自分がいることが考えられない。こういう状態になってしまっては、心身共に疲弊し、最悪の場合は死を選んでしまいます。
だから逃げてもいい、逃げ場を作るというのは、実はとても大事なことです。いまどき転職なんて特別なことでも何でもない、いつでも外に出ていいんだと認識することができるかどうか。
そのうえで、「今はこのスキルを身につけるために、多少きつくてもしょうがない」「ここは修羅場だ、しかし今が正念場だ」と思うことです。その意味で、自分を俯瞰して見る目を持つことは非常に重要です。
これは、地図を読むことに通じるものがあります。鳥の目線で俯瞰して見ることができれば、自分がいる会社の外にも世界が広がっていることがわかります。目の前の曲がり角を曲がり損なっても、次で曲がればいい。あるいはいったん戻ってみてもいい。あるいは10年先の自分を想像して、今の仕事が本当に10年後の自分にとって必要かを検証してみることもできます。
最短ルートでなくても、どういう道筋を歩んでいくのかをつねに考えておくこと。そのためにも「軸」は必要でしょう。これは意識的に行わないとできません。漫然と生きないことです。
長い100年人生、自由に生きていいと言われても、戸惑う人は多いと思います。自由に価値を感じられるのは、不自由な時代を知っているからこそ。恋愛はまさにそうでしょう。自由恋愛が楽しかったのは昭和の頃までで、今では単に恋愛強者が恋人を作るだけだという非モテ論争が長く続いていますよね。
自由な恋愛は楽しくない。いっそお見合いのほうがいい。なぜなら結婚相手に多少不満があっても、自分が決めた相手ではないから我慢もできる。
自由恋愛で結婚した場合、相手を否定したら、その相手を選んだ自分をも否定することになってしまいます。自由には自己責任が伴うわけです。
1990年代半ばの就職氷河期を経て、2000年代には非正規雇用が圧倒的に増えました。この頃、ホリエモンや勝間和代氏がメディアを賑わせ、自由に生きて金を稼げばいいという考えが一世を風靡しました。
その頃の若者は、今では40代~50代です。自由にやってきたけど、何も残らなかったというのが現状ではないでしょうか。何かのサロンで自己啓発に励むより、地味だけどいかに平穏な生活を維持できるかのほうが重要だという方向に、日本のフェーズが変わっていっていると私は思っています。
今求められているのは、成功とか成長より、持続性ということです。それはライフ・シフトの思想と反するどころか、むしろ一致しています。たとえば今、経済的自立と早期リタイアを意味するFIREがブームですが、本当に幸せなのでしょうか。FIREで人生を終えた人はまだいないので、その後の長い人生をどう生きたか、それは幸せだったのか、まだ感想は聞けません。
その前のネットバブルで成功してFIRE的な人生を送っている人はどうかというと、過去の栄光を自慢するだけで、正直あまり幸せそうではありません。すると人間は、本質的に社会と関わっていること、何らかの形で貢献していることに生きている喜びがあるのではないでしょうか。どんなに人生が長くなっても、持続して社会と関わりを持ち続ける人生のほうが幸せなのではないかと思います。
社会と関わるとは、人と関わるということです。詰まるところ、より良き100年人生とは人間関係に集約されるのではないでしょうか。お金は食べていく分があればいい。車を何台も持っていたって、乗るのは1台だけです。