稲庭うどんの歴史は古く、江戸時代の寛文5年(1665年)ごろ、稲庭村小沢集落に住んでいた佐藤市兵衛という人物が地元産の小麦を使用し、干しうどんを製造したのが始まりとされている。当時は秋田藩主に献上されるものであり、その製法は一子相伝、門外不出の技として代々、佐藤家当主に伝えられてきた。そのため、1972年に製造技術や粉の配合を当時の当主が家人以外に公開するまでは、一般に食されることがなかったというから驚きだ。讃岐うどんのように生活に根づいた庶民的な食べ物ではなかったのである。
さて、ここからは3番目の候補とされているうどんを北から紹介していこう。まずは群馬県の“水沢うどん”で、渋川市伊香保町水沢付近がその名産地だ。400有余年前の江戸時代に江戸幕府公認の寺院を意味する朱印状を送られたことでも有名な水澤寺(水澤観音)の付近で、参拝客向けに振る舞われたのが起源とされる手打ちうどんである。
群馬県は古くから小麦粉の生産が盛んであった。その小麦粉、塩と水沢山の湧き水のみを使用し、水沢の地でつくられたうどんのみが“水沢うどん”を名乗ることができる。生地をしっかりとこね、鍛え、寝かせるといった作業を繰り返し行うのだが、店によっては24時間寝かせてつくり上げるところもあるようだ。
讃岐うどんのようなしっかりとしたコシの強さと弾力、そして茹で上げた際にところどころに透明感がある白い麺が特徴である。のど越しの良さもポイントで、冷たい“ざるうどん”で食べるのが基本。醤油ダレやゴマダレなどのつけ汁で食べるスタイルが定番となっている。讃岐うどんと比較されることも多く、讃岐うどんを“男うどん”、水沢うどんを“女うどん”と評する向きもある。
次は、愛知県名物の“きしめん”だ。厚さ1㎜、幅が7~8㎜ほどの平たいうどんのことで、県内全域で食べられる愛知県のソウルフードである。そのルーツは諸説あるが、もっとも有力なものの一つとして江戸時代、東海道・芋川(現在の愛知県刈谷市)の名物だった“平打ちうどん”が挙げられる。
同地でつくられていた平らなうどんは“芋川うどん”と呼ばれ、江戸時代初期から名物として知られていた。愛知県できしめんが広く浸透した理由として、一般的なうどんに比べて麺が幅広で薄く平たい形状であるため、つゆの味が染みやすく、しっかりとした味付けが好きな県民の好みに合ったからではないかといわれている。
特徴としては、茹でると麺の透明感がアップする点だ。コシは弱く、つるつるとした軽い食感が魅力で、滑らかに食べられる。柔らかいながらも、ほど良い弾力があるのもポイントだ。パンチのある濃いめの出汁がよく合う。濃厚な味付けの汁にツルツル麺は、これ以上ない組み合わせといえよう。夏場は“ザルきしめん”にするのもOKだ。
その形から、うどんとは別ジャンルというイメージもあるが、代表的な名古屋めしのひとつで、全国的な知名度から三大うどんの候補となっている。きしめんの名の由来は、紀州(現在の和歌山県・三重県南部)の名物“紀州麺”とする説や、徳川家の将軍がキジ狩りに訪れた際に献上され、気に入った将軍が“キジ麺”と命名したことによるとする説など、さまざまある。
3番目は富山県氷見市周辺で発展を遂げてきた“氷見(ひみ)うどん”だ。歴史としては江戸時代からつくられている手延べうどんで、ルーツは石川県北部の輪島でつくられている能登そうめんといわれている。そのため、ひも状の細めの形が特徴的な乾麺となっている。
手延べ製法ではあるが、讃岐うどんや水沢うどんのような手打ち製法も取り入れることで、細麺ながら歯切れのよい独特のコシと弾力、まるで餅のような粘りある食感が生まれている。つまり、手打ちのコシも手延べののど越しのよさも楽しめるうどんなのである。