ある男系論者の友人に、自由恋愛で結婚することと、生涯円満に添い遂げられることとはまったくの別問題であり、結婚して生活を重ねてみないとお互いを理解しあえないのも事実だろう、その意味では、皇族女子と旧宮家の男子との見合い結婚もおかしくはないはずだ、燃えるような恋をして離婚する例も数多くある、と言われたことがある。好きでもない相手と結婚させられるのは、今では時代錯誤だが、あるいは眞子さまにそうした話があったのかもしれないとも思った。
戦後、自由恋愛が常識となり、皇室もその影響のなかにある。皇族男子のお相手が次々と一般国民からも選ばれるようになり、皇室の自由恋愛が、一般国民にも広く支持されるようになった。そうした傾向は、天皇の娘たちの嫁ぎ先にもみられるようになって今日に至っている。冒頭で挙げた紀子さまの言葉「気持ちの尊重」は、そうした流れに沿った言葉でもある。
そんななか、家のつりあいなどを尊重する旧家や上流階級の間では、まだ自由恋愛への一定の抵抗感があるのも確かだ。眞子さまの結婚問題をみるに、お相手との生活格差のほかにも、まだまだうまく言語化されない常識やタブーの問題があるようだ。そうした常識やタブーは憲法や皇室典範の条文には書かれていない。歴史のなかで積み重ねられてきたものなのだ。憲法や皇室典範の条文だけに頼ると、大きな間違いを犯すかもしれないのだ。
そもそも皇室典範第12条には「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と結婚したときは、皇族の身分を離れる」とあり、結婚相手の身分や資産はもとより、その職歴も家族構成も問うてはいない。つまり現在の法令では、憲法24条の「結婚の自由」が適用されなくても、眞子さまは誰と結婚してもよく、結婚すれば皇室を離れて一般市民となれるはずなのだ。
憲法と皇室典範の条文だけみれば、眞子さまの結婚に違法性はない。しかし、皇室も、宮内庁も、多くの国民も、これを許される結婚とはみていない。天皇家の恋と結婚の常識とタブーに触れたからである。ではどんな常識とタブーにふれたのだろうか。天皇家の恋と結婚には、どんな常識とタブーがあるというのだろうか。
たとえば、皇室と外国人との結婚の問題などは、どうなのだろうか? もし眞子さまがイギリス貴族のどなたか、あるいはアメリカ財閥のどなたかと恋愛結婚するのであれば、国民はどう反応するだろうか? 案外、歓迎の声が上がるかもしれない。しかし、皇位継承者である悠仁さまがイギリス貴族やアメリカ財閥の女性と結婚すると主張したら、歓迎の声が上がるだろうか? 常識やタブーは、時代や状況のなかで変わるからだろう、明瞭なようで、不明瞭だ。
では眞子さまはどのような常識やタブーを侵したのだろうか? 次回以後、近代の天皇家の恋と結婚をめぐるいくつかの事例のなかで、常識やタブーの変遷について考えてみたい。
(文=小田部雄次/歴史学者)
●小田部雄次(おたべ・ゆうじ)
1952年生まれの歴史学者で、静岡福祉大学名誉教授。専門は日本近現代史。皇室史、華族史などに詳しく、著書に『皇族―天皇家の近現代史』(中公新書)、『肖像で見る歴代天皇125代』(角川新書)、『百年前のパンデミックと皇室』(敬文舎)などがある。