ユウジさんは、妻宛てに届いた内容証明郵便を半年ほど無視していた。その間、弁護士にも相談したが、「訴訟となると訴える側の費用負担も大きい」との理由から、本気で裁判になるとは考えていなかったからだ。
「相手は自分と同じサラリーマンである。裁判を起こすこと自体、どこか躊躇うところもあるはずだ。これまでの発信者情報開示請求や損害賠償請求の示談交渉は、あくまでも脅しにすぎないだろう」――ユウジさんは、この場に及んでも、まだ楽観的に考えていた。
ネット問題に詳しい弁護士は言う。
「被害者もかなりの費用を負担しています。その金額は回収したいものです。内容証明まで届いて、『ごめんなさい』だけの謝罪で済むことは、めったにありません」
これは見方を変えれば、「非を認めて損害賠償金を支払えば、事は公(裁判沙汰)にはならない」ということである。
ただ、1000万円の損害賠償となると、おいそれと支払える金額ではない。そのため「書き込んだことは認めるが、損害賠償金が高額すぎるので折り合えない。支払う意思はある」とするのが、「加害者、被害者側、双方にとってもベストではないがベターチョイスだ」(同)と言う。
裁判所から訴状がユウジさん宅に届いた。被告として名前が挙がっているのはプロバイダー契約者である妻と、自分だった。訴状を見ると、「かなり自分のことを調べられているなという印象を持った」(ユウジさん)と同時に、相手方はどうやって自分が書き込んだことを立証するのか、疑問がふつふつと湧いてきた。
しかし民事訴訟の場合、このケースでは、「自分が書いていない」ことを立証するのは相手方ではなく、ユウジさん自身である。ネットトラブルで、「お前が書いただろう」と言われて、これを否定するための証拠を揃えるのは訴えられた当人なのだ。ここが刑事事件との大きな違いだ。
「さすがに訴状や裁判所からの呼び出し状が届いてからは、『本当に今まで相談してきた年配の弁護士でいいのか?』という不安も出てきました。結局、あれこれネットで検索して、ネット問題に詳しい弁護士に急いで相談に行きました」(ユウジさん)
ネット問題も手掛ける若い弁護士によると、ユウジさんの状況は極めて不利であることと、妻については責任は回避されるだろう――との見通しが示された。
「確かに私が書いたことです。でも、その女性上司も悪評のある人だったので、それを裁判の場できちんと伝えれば、裁判所も納得し、女性上司側も理解するのではないかと思いました」
だが、その見通しはあまりにも甘過ぎた。本格的に裁判が始まり、女性上司側がかなり怒っていることが伝わってきたからだ。
加えて相手方の弁護士が作成したであろう書面を見ると、とても、「自分が書いたものではない」という気力すら沸いてこなかった。証拠こそないものの、とても論理的に、「誰が見ても、聞いても、自分が書いたもの」と説得力のある文章で裁判所に訴えている。もちろん、ユウジさんにはこれを覆す証拠がない。当時を振り返りユウジさんは言う。
「実際、私にとっては信頼できる同僚からの話を書いただけだ。それが真実だと思った……と話したところで、相手側はまったく聞く耳を持ちません。そうしたやり取りが続くなかで、もう裁判をやめてしまいたいという気持ちになりました」
もっとも、相手の女性上司は、会社側に「裁判をしていること」を伝えはしても、その相手が自分であることは報告する様子はなかった。ただ、それもいつまで続くやわからない。
「私の弁護士からは、『和解しますか』『あなたは書いていないが、あなたの家族が契約しているプロバイダーが発信元だったので、その解決を目指すために和解するという交渉をしましょうか』と言われ、裁判中ではありましたが示談交渉をお願いしました」