「わきまえろ」発言・性差別問題の本質は、貧困化する日本の経済問題…富を奪い合う社会

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東京五輪・パラリンピック競技大会組織委員会の公式サイトより

 東京五輪・パラリンピック大会組織委員会森喜朗前会長による女性蔑視発言は、日本社会の後進性をあらためて世界に知らしめる結果となった。一連の発言は性差別に関する認識の欠如が原因という認識が一般的だが、それだけが理由ではない。日本におけるこの手の発言の背景には、経済的な事情が密接に関係しており、実は経済問題でもある。

差別発言の根底にあるのは経済問題

 森氏は2021年2月3日に開催された日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会で「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」などと発言したことで批判を浴びた。4日には記者会見を行って発言を撤回したものの、会見中の発言や態度などに再び批判が殺到し、結局は辞任に追い込まれた。

 森氏は「女性が入っている会議は時間がかかる」という発言に加え、「組織委員会の女性はわきまえている」という発言も行っている。「男性」や「わきまえている女性」は周囲の状況を配慮して発言を遠慮しているのに、「わきまえない女性」にはそうした遠慮がないという意味である。

 一連の発言は「女性は黙っていろ」という趣旨なので、明らかに女性差別的だが、「余計な発言をするな」「空気を読め」というのは、若者など相対的に立場の弱い男性に対してもよく発せられる言葉である。日本社会はこの手の発言が実に多く、相対的に力の強い人が弱い人に対し、威圧的・抑圧的に振る舞うことで秩序が成立していることがよくわかる。

 では、なぜこうした抑圧的な振る舞いがまかり通っているのかという点については、「古い意識から脱却できていない」という社会的な理由で説明されることが多い。実際、今回の出来事についても、意識改革が必要というのがコンセンサスと見てよいだろう。

 もちろん、旧態依然とした意識から脱却できないことが原因のひとつであることについて異論はないが、それだけは不十分だと考えている。社会的な「しきたり」には経済的な理由が関係していることが多く、今回のケースもそうである可能性が高い。逆に言えば、経済的な理由が関係しているのだとすると、意識改革を進めると同時に、経済面での対策も同時平行で進めなければ、十分に効果を発揮しない可能性もある。

 こうした威圧的・抑圧的な発言というのは、経済的に苦しい状況に陥り、限られた資源を皆が奪い合う状況において発生しやすい。現代的な民主主義あるいは資本主義というのは、基本的に成長が持続し、富の絶対値が増え続けることが前提となっている。

 実際、男女平等や多様性といった概念が徹底しているのは、経済的に極めて豊かな国や地域である。残念なことに、近年の日本経済はその基準を満たしておらず、経済的な苦境が、こうした前時代的な社会慣習の温存につながっている。

富が有限な社会で台頭する「わきまえろ」の概念

 前近代的な農村共同体はその典型だが、生産性が低く、経済規模の持続的な拡大が見込めない社会では、基本的に富の総量は一定であり、皆がその富を奪い合う形で競争が行われる。このような環境下で「万人の万人に対する闘争」を行えば、安全な暮らしは保証されない。

「万人の万人に対する闘争」は、政治学的には「自然状態」と定義される。近代国家の概念というのは、「自然状態」を脱却するために編み出されたというのが理屈上の解釈(社会契約説)だが、現実は少し違う。近代思想が生まれるはるか以前から社会には秩序が存在しており、その延長線上に近代国家が位置している。そして、前近代における秩序の源泉となっていたのは、暴力を背景にした従属関係であった。