もしこのような結論になるのであれば、学習したコンテンツと類似するコンテンツを生成する可能性のある画像生成AIに学習させる行為自体が、はじめから著作権制限事由ではないとしなければ、筋が通らないことになります。
しかし現行法上、「著作権者の利益を不当に害することとなる場合」に生成AIへの学習データとしての利用が含まれているとは考えられていません。従って、「依拠性」の判断は、プロンプトの入力をした者が、その原作を現に知っていたかどうか、が重要な指標となるものと思われます。
ただし識者の中には、学習データに含まれているか否かを「依拠性」の判断に含ませる見解もあります。この点に関しては司法や行政による明確な判断はなされていません。
もっとも、学習データに元の作品が含まれていた場合は、前記の「類似性」が認められるようなコンテンツとなっている場合は多いでしょう。「類似性」と「依拠性」の両方がある生成画像については、現行法上でも著作権の侵害に当たります。
画像生成AIと法をめぐっては、学習データベースとしての著作物の利用、生成コンテンツの著作権の帰属、モデル自体の知的財産権上の問題、さらにディープフェイクに関する問題など、実に多岐にわたる論点が生じています。
そしてそのいずれの論点においても、AIがこれからの社会にどう位置づけられるべきかに関して困難な問題が提示されています。
生成AIの登場により、現行の著作権制度が想定していないほどに高度な創作工程の自動化がなされた結果、これまでの著作権制度をそのまま当てはめて考えることが容易ではなくなってきているという法と技術のミスマッチも生じてきています。
今まさに「創作」という極めて人間的な行為が、AIによる「生成」という営為との対峙を迫られる時代の到来により、法的な意義における「創作」とはそもそもどのような行為であるのかが問い直されつつあるのかもしれません。