「君たちはどう生きるか」に若者が共感する深い訳

この本を読んで、第2回で紹介した、加藤典洋の『どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ。幕末・戦後・現在』に出てくる、宮崎駿の「あるとき、たまたま10歳くらいの子どもたちを見ていた。そしたら、自分は彼らに対し、いま何が語れるだろうか、という考えが浮かんだ」という言葉を思い出しました。

私たちは後に続く世代に何が残せるのか、どのような言葉を語り継ぐことができるのか――それを考えることが、私たち大人に課された責務なのではないかということです。

そして、その答えは、「美しい国」だとか「品格のある国」だとかいう言葉にではなく、より人間の本質に近いところに求めなければならないのだろうと思います。

生きた証しをどう後世に残すか

ここでもう一度考えてもらいたいと思います。

あなたが考える「善い人生」や「善い社会」とは、どのようなものでしょうか? どうしたらあなたが生きた証しを、善い形で後世に残していけるのでしょうか?

多くの名言を残した女優のマリリン・モンローは、自らの生き方を貫く姿勢について聞かれ、「私が私でなくなってしまうのであれば、何になっても意味がない」と答えています。

先程紹介したスティーブ・ジョブズの「他人の人生を生きることで時間を無駄にしないでください」と同じく、この言葉が示唆するのは、自分という存在の当事者性です。

こうした当事者性こそが、唯一無二の自分という存在の確認と他人という存在の是認、さらにはそこから導き出される多様性の尊重につながるのだということです。

「覚悟を持って生きろ」というと大上段に構えすぎかもしれませんが、今、自分が生きていることの意味を反芻しながら、一歩一歩しっかりと「自分の人生」を歩んでいく、その「覚悟」を持てた時、あなたは初めて「あなたの人生」のスタートラインに立つのです。