今回は、これまで繰り返し語ってきた「生きる」について、戦前に出版され今日まで読み継がれている、子供向けの道徳哲学書『君たちはどう生きるか』を題材にして考えてみたいと思います。
本書は、少年少女に自由で進歩的な文化を伝えるために、作家の山本有三らが中心となって編集された子供向け教養叢書「日本少国民文庫」の最終刊として、1937年8月に出版されたものです。
この叢書は、当時、山本が長男に読ませるための良い本がなかったことから企画されたそうで、1935年から1937年にかけて全16巻が刊行されました。
編集主任を務めたのが、戦前・戦後を通じて編集者として活躍した吉野源三郎です。吉野は、戦後、岩波書店に入社して岩波新書を創刊したほか、雑誌『世界』の初代編集長も務めました。
「日本少国民文庫」の「少国民」というのは、「天皇に仕える小さな皇国民」という意味ですが、言論・出版の自由が制限されていた当時の時代状況にあって、人類の進歩という共通テーマによってまとめられた、驚くほど進歩主義的・自由主義的な内容になっています。
吉野は満州事変が始まった1931年に治安維持法違反で逮捕され、1年半ほど投獄されています。
しかも1937年8月といえば日中戦争が始まった翌月ですから、軍国主義が広まり、社会全体に閉塞感が漂う中で出版された稀有な本ということができます。
本書はむしろ戦後に売れ行きを伸ばし、今年7月には岩波文庫版の発行部数が累計180万部となり、長らく1位だった『ソクラテスの弁明』を超えて岩波文庫歴代1位となりました。
また、初版から80年後の2017年に出版されたマガジンハウスの漫画版も235万部の大ベストセラーになっています。
ストーリーはまったく別ですが、今年7月に、本書をモチーフにした同名の映画を、映画監督の宮崎駿が制作・公開したことも、再び売れ行きを伸ばしている理由のひとつです。
ストーリーとしては、中学二年生の主人公・本田潤一(コペル君)が、叔父さん(おじさん)との交換ノート(おじさんのノート)による対話を通じて、社会や生きることの意味について考え、人間的に成長していくというものです。
たとえて言うなら、中高生向けに書かれた、ソクラテスの対話篇の現代版という感じでしょうか。ここで言うソクラテスとは、もちろん、おじさんのことです。
「コペル君」というあだ名は、地動説を唱えたコペルニクスから来ています。そこには、天動説のように自分中心にしか物事を考えられない人間にならないようにという、おじさんの思いが込められています。
コペル君は、次々と難しい問題に直面する中で、おじさんとの対話を深めていきます。
例えば、「家が貧乏な同級生がクラスでいじめにあっていたらどうするか?」という問題です。見て見ぬふりをするのか、それとも助けるのかという。
上級生から「非国民の卵」として目をつけられた友人が鉄拳制裁を受け、それを助けられなかったことで、コペル君が自己嫌悪に陥って寝込んでしまう場面があります。その時に、おじさんは次のように語りかけます。