進路に悩むのは、誰にでもよくあることです。敬愛する開高健のエッセーに「生まれるのは偶然、生きるのは苦痛、死ぬのは厄介」という文章がちょくちょく出てきます。キャリアになぞらえれば、「就職は偶然、続けるのは苦痛、辞めるのは厄介」と言い換えられるのかもしれません。人生もキャリアも、悩ましいことです。
諸先輩や友人たちを見ていると、多様な業界に触れたから活躍しているように見えることがあります。でも実態はむしろ逆で、相応の能力を培ったから多様な業界で活躍されているのではないかとも思われます。「金持ちはいいクルマに乗っている。だから俺たちもいいクルマを買って金持ちになろう」という笑い話があります。
解説するまでもなく、いいクルマに乗っているから金持ちなのではなく、金持ちだからいいクルマに乗っているわけなので、クルマをまねても金持ちになれるものではありません。同じように、転職したり業界を替えたりすることがいいマーケターになるための条件ではないように思います。
優秀であるというのは、単位時間当たりの経験値獲得量で示されると思います。逆に言えば、優秀になるためには単位時間当たりの獲得経験値を高めればいいのです。その獲得経験値量に影響を与えそうな変数は、勤める会社、所属する業界、担当する製品やサービス、一緒に働く社内外のパートナー、そして対象となる消費者。それら多くの変数の中にプロフェッショナルとしての自分自身があります。周囲の変数が変わることによって新しい視点を獲得し、成長につながることもありそうです。
同時に、周囲の変数を閾値より下に抑えることで、むしろ自身のラーニング効率を高めやすいこともあります。同じ環境であるからこそ、身に付けられる技術もあるでしょう。
転職すると、新しい組織や業界、仕事内容や人間関係に慣れるために相応の時間や労力を要します。新しいルールやプロセスを覚えるなど、新たに習得する必要があるからです。この期間は、少なくとも一時的には、ラーニング効率を下げてしまうかもしれません。この観点で見れば、ある程度の基礎を確立するまでは環境変化は少ないほうが、1年間で得られるラーニングは大きそうです。
もし目指すべき自身の未来像に対して、年間当たりのラーニングの減少を感じつつも、自助努力では解決しにくいと結論付けた場合、新しい環境に挑戦するのも選択肢となるでしょう。プロセスやルールを覚えるといった初期投資が必要になりますが、その後は高い経験値を効率よく獲得できるかもしれません。一概に転職がいいとも、悪いとも言えないのが難しいところです。
徹底的にピアノを習得した音楽家と、いろんな楽器を習った音楽家。ずっと野球をやり続けたアスリートと、いろいろな競技をプレイしてきたアスリート。自身がプロフェッショナルとして目指す姿はどちらでしょう。何かをマスターすることで、別のことをマスターしやすくなる、という側面もあります。同時に、ある程度の労力を投入しないと、得られないスキルもあります。向き不向きもあるかもしれません。向いていることのほうが、腕を上げやすいようにも思います。