BTS、シティポップ、藤井風が世界で売れる共通点

BTSは「彗星のごとく突然現れた」のではない。韓国エンタメには長く深い歴史が…(撮影:尾形文繁)
K-POPに映画、ドラマ、文学など、さまざまなジャンルで世界を席巻している韓国エンタメ。
なかでも影響力の大きいK-POPは、例えばBTSのメンバーであるV(ヴィ)が韓国の詩集『愛しなさい、一度も傷ついたことがないかのように』に触れたことで、その名が世界中に拡散されるなど、韓国エンタメの強力な応援団としても機能している。
前回の記事では、『K-POPバックステージパス』の著者で、K-POPに携わること20年以上というMCの古家正亨氏に、日韓の仕事の仕方やコミュニケーションの違いを聞いた。
ここからは、日本で韓国の音楽にほとんどなじみのなかった時代から、どのような変遷を経て現在のブレイクにいたったのか。また、BTSの成功の要因を、古家氏の視点から考察する。
 

韓国人歌手は80年代から日本で活躍

僕が韓国の音楽と出合ったのは、1997年のことです。それも大学卒業後に留学していたカナダでの出来事でした。韓国人のクラスメイトに、Toy(注:韓国人歌手ユ・ヒヨルが手がけたプロジェクト。90年代に韓国で人気を博した)というシンガーソングライターのCDをプレゼントしてもらったのがきっかけです。

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聴いたとたん、心をわしづかみにされてしまいました。以来、音楽はもとより韓国そのものの魅力に深くハマり、翌年には韓国に留学をするまでに。

そのため日本における韓国音楽の変遷をリアルタイムで体感しているのは、90年代以降となります。ただ、それ以前にも日本で活躍していた韓国人歌手がいるので、少しお話しすると……。

たとえば、チョー・ヨンピルや桂銀淑(ケイ・ウンスク)。彼らは80年代に、日本の演歌の枠で曲をリリースしていました。その時代は韓国だけでなく、台湾出身のテレサ・テンや欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー)など、日本語で歌を歌ってヒット曲を放ったアジアの歌手が複数いたのです。さかのぼれば、まだまだそのような存在はいます。

韓国人歌手の立ち位置が、「日本語で歌うアジア人」の枠から変わり始めたのは、90年代に入ったころだと思います。日本では、1988年に開催されたソウルオリンピックをきっかけに、韓国に対する理解を深めようという機運が高まり、その後、韓国が本格的に民主化していったことで、韓国の音楽シーンもまた大きく変わりました。

そんな新たな時代の象徴といえたのが、1992年にデビューした「ソテジワアイドゥル」という男性3人組グループです。それまでにはなかったメッセージ性のある歌詞や、ヒップホップをベースとした楽曲で一世を風靡。韓国で“アイドル”という概念がまだ確立されていなかったころに、若者のポップアイコンとして絶大な支持を得て、当時「文化大統領」といわれたほどの影響力を持っていました。

そこから韓国の音楽シーンの裾野がどんどん広がり、日本のアジア音楽マニアの間で話題になるように。電気グルーヴがイ・パクサ(李博士)というポンチャック(韓国伝統のダンス系歌謡曲でK-POPの元祖ともいわれている)の歌手とコラボするなど、局地的なムーブメントも起こりました。

90年代後半から2000年代の初頭になると、SMエンタテインメント(韓国の大手音楽事務所)が、日本進出に乗り出します。当初は苦戦していましたが、2002年にソロ歌手のBoAが、4枚目のシングル「LISTEN TO MY HEART」で大ブレイクすると一気に流れが変わります。