当然ながら、こうした判断の最終権限は機長にある。会社側は燃料節約に関して奨励する手順こそ定めているものの、義務づけているわけではないのだ。
だがヴァージン航空は、炭素排出量を削減する方向で、パイロットに行動を促すアプローチを取り入れることにメリットがあると考えていた。しかしその場合、問題となるのは機長が長年慣れ親しんできた習慣を、いかに変えさせるかだ。そこで、インセンティブの重要性に着目したのである。
3つのグループに対する実験
<2014年2月から9月にかけて、ヴァージン航空のパイロットの三つのグループに、毎月、それぞれ異なるレポートを送った。第1のグループには、本人の前月の燃費についてのレポート。第2のグループには、毎月の燃費に加えて、各人に燃費節減目標を示し、目標達成を促すメッセージを添える。第3のグループには、第2グループとおなじく前月の燃料報告、個人の燃料節減目標の奨励に加え、目標が達成されるごとにパイロット本人名義で慈善団体に少額の寄付がされる、との情報を付け加えた(これは、「向社会的インセンティブ」と呼ばれる)。第4のグループは対照群で、単に燃料使用量が計測される、とだけ伝える。こうして7カ月にわたって、いつものように世界中を飛び回るパイロットに、毎月ささやかなレポートを送り続けた。(174ページより)>
この実験設計は、パイロットの年俸や業績評価を左右するものではない。しかし、ヴァージン航空が炭素排出量の削減という「規範」の確立を目指していることを暗黙のうちに知らせてもいた。パイロットは、自分の選択が直接的なマイナス評価を受けることがなくても、燃費データを幹部やリスト氏のようなエコノミストに見られることは認識していたわけである。
つまりパイロットが選択する行動の影響は、組織の仕組みのなかで結局は本人に戻ってくるということだ。そういう意味では、選択の自由が与えられているとはいえ、新たな規範に従わない限り面目を失う可能性があったのだ。
調査結果はなかなか興味深いものであった。パイロットが燃費を向上させる行動をとるインセンティブになったのは、「同僚の手前バツが悪い」というような“恐れ”ではなく、自分自身が炭素排出量の削減という“社会の期待(あるいは会社全体の規範)”に応える人間でありたいという“願望”だったのである。
<このナッジを、335人のパイロット、4万便あまりのフライト、10万強のパイロットの判断に広く適用することができるだろうか。人間の脳には、こうありたいという自己のイメージを実現するための微細な調整機能が備わっていることから、このナッジは広く適用できるはずだ、とわれわれは前向きに考えた。(175ページより)>
その考え方は正しかったようだ。データを分析した結果、3つのグループはすべて、“燃費を向上させる行動”をとっていたのだ。そればかりか、実験が行われているのは知っていても、同じナッジを受け取っていない対照群のパイロットもまた、同じように燃費を向上させる行動をとっていたという。
<これは、おそらく環境の変化に伴って行動が変化するホーソン効果か、見られていることを意識した効果だろう(ホーソン効果とは、1920年代のホーソン工場の実験で、明かりを替えたことで作業効率が高まったことにちなんで名づけられた)。ヴァージン航空のケースでは、単に燃料の使用量が計測され、われわれエコノミストにデータが送られると知らせるだけで、十分にパイロットが習慣を変えるインセンティブになった。産業心理学では、作業効率を向上させる手法としてホーソン効果が活用されているが、まさにパイロットでその効果が確認できたわけだ。(175ページより)>