「世の中は不条理」と考える人ほどプラス思考な訳

人生は必ずしも思い通り、計画通りにいくわけではありません。むしろ、いかないことのほうが多いかもしれない。思ってもみないことが起こる。だから問われてくるのは、そういうときにどう対応できるか、なのです。

私自身、苦しさは当たり前なのだと思えるようになった30代から、人生が変わりました。ラクして生きられるなんてあり得ない、努力は必ずしも報われない。そう思っていれば、そのつもりで動けるようになる。覚悟して生きられるようになるのです。

自分の可能性にフタをするな

「そんなこと、できるわけないじゃないか!」「映画やドラマじゃあるまいし」「うまくいくなら、とっくに誰かがやってるはず」……。

何か新しいことにチャレンジしようとしたら、こんなふうに反対された、という人は少なくないかもしれません。そして次第に、自分の可能性にフタをするようになる。奇跡なんて、自分に起こりっこない。あれは遠い世界の人たちの話だ……。

しかし、本当にそうでしょうか。実際には、たくさんの人たちに奇跡のようなことが起きている、という事実と向き合う必要があります。私はそれを、取材でたくさん耳にしてきました。

これ以上あり得ないタイミングで、いい出会いがあった。驚くべきところでアイデアが降ってきた。絶体絶命のピンチで救世主が現れた……。一度でもそういう経験をした人たちは、自分の可能性を信じるようになります。

実は、私自身がそうです。会社が倒産し、路頭に迷ってもおかしくなかった。ところが望んでもいなかったフリーランスの仕事に就くと、やがて売れっ子ライターと呼ばれるようになり、著名人に何千人も取材したり、40冊以上も本を書くようになった。

20代の頃の私を知っている人からすれば、まさに奇跡だと思います。

「ノミの天井」というエピソードを聞いたことがありますか?

40センチでも50センチでも跳びはねるノミを、高さ20センチの透明な瓶に入れて、ガラスのフタをする。ノミは高く跳ぼうとするが、20センチで天井に当たってしまうので、そのうち、19センチくらいまでしか跳ばなくなる。

すると、ガラスの天井を外しても、天井があると思い込んでいるノミは、19センチしか跳ばない。本来なら、30センチでも40センチでも跳ぶ能力があるのに、です。「これはこういうもの」「あれは遠い世界の人たちの話」と諦めるのは、まさにこのノミと同じだと私は思います。自分の可能性に、フタをするべきではないのです。

プロ野球選手として活躍し、引退後は名監督として名を馳せた人に取材したことがあります。プロ生活のスタートはテスト生。しかし、1年目で球団から解雇の話が出て、崖っぷちに立たされます。それでも努力は天才に勝ると信じていた彼は、人の2倍練習しました。努力は実を結び、輝かしい実績を残すことになりました。

彼は、こう言っていました。「まさかまさかがあるのが人生。自分の知らない自分は必ずいる」と。それを信じられるのは、誰あろう自分だけ、なのです。

たくさんの人に取材をする仕事を通じて、次第にわかったことがありました。そのひとつが、「世の中には、幸せになれない人がいる」ということです。

生まれつき不幸で、幸せを手に入れられない、という意味ではありません。目の前にある幸せを見ようとしない人が多いのです。周りから見ると実は案外、幸せな状況にある。にもかかわらず、本人は幸せではないと思い込んでいるのです。

言葉を換えれば、幸せを定義できていない。だから、あてどもなく“青い鳥”を探し続け、いつまで経っても幸せになれない、というわけです。

逆に、必ず幸せになれる人もいます。それは、自分でしっかり幸せが定義できている人です。自分はこうなれば幸せ。それが達成できれば、幸せと断言できる人です。そういう人は外からどう見えようが、誰が何と言おうが関係ありません。