11月4日、Netflixが「広告つきプラン」を開始した。
Netflixの成長が失速し、新たに広告プランを始めると聞いたのは今年の春だったが、私は最初信じなかった。広告モデルを蛇蝎のごとく嫌っていた人たちが、ちょっと会員数が減ったからと信念を曲げるはずがないと思ったのだ。
ところが11月に日本を含む各国で広告つきプランが始まるとの日程も伝わってきた。畑違いの事業をたった半年で始めるのかと当惑した。
そして11月4日の未明、スタートした広告つきプランに入り各番組を見てみた。これはまずい、Netflix広告つきプランは到底、広告事業として成功するとは思えない。それが私の感想だった。一部の人々はNetflixが広告プランを始めたら日本のテレビはおしまいだと言っていたが、とてもじゃないがそんな拡大はしないだろう。Netflixを見守ってきたつもりの私としては、広告つきプランは最悪の手に思えた。その理由をいくつかの面から説明したい。
理由その1)強引に進め拙速にスタートしたから
11月に入り日本の業界から聞こえてきたのが、Netflixが広告つきプランで何の説明もなくテレビ局の番組を配信しようとしている、という話だ。既存のプランより配信コンテンツ数は少ないとNetflixは説明しており、日本のテレビ局は当然広告プランに自分たちの番組は入らないと悠長に構えていた。そうではないと聞きつけた一部の局がNetflixに抗議し説明を求めたが、驚いたことに何の反応もよこさなかったという。Netflixは日本の局と共同制作をはじめさまざまに提携し友好姿勢を示してきた。話をする姿勢すら見せないのはあまりにもNetflixらしくない。
それでもなんとか話ができた局に対しては、CMをつけないと約束したという。だがそこまで話がついてない局の番組にはCMつきで配信されている。ほとんどの局がそうなので、現状、広告モデルというテレビ局との競争領域で多くのテレビ番組にCMがついている状態だ。ビジネスのモラルとしてあり得ないことだろう。
中でもショックを受けたのが、NHK朝ドラ「半分、青い。」がCMつきで配信されていたことだ。NHKはこれまでも広告への関与を公共放送として頑なに拒んできた。TVerへの本格的参加もそこがネックになっている。それなのにNetflixは無理矢理CMをつけてしまったのだ。一人の視聴者として、国民の財産を蔑ろにされた気分になってしまった。
それもこれも、準備期間がなさすぎたからだ。そしてこれは日本だけの問題でもないようだ。
海外のメディア動向を伝える南茂樹氏のブログ「DON」では、11月5日付の記事の中で英国での状況を伝えている。大手スポンサーの食いつきが良くないそうなのだ。
「急な開始と高い枠単価、それに伴う要求などに一部の広告主が納得していない」と記事にある。「多くのメディアエージェンシーは、市場に投入されたプロダクツと、契約への要求に感心していない」ともあり、なんとなくピンときた。広告メディアとしてのサービスが悪く、広告主から見て不満なのではないか。
広告費で運営するメディアでは、広告主側に立つ営業と、読者・視聴者側に立つ編集・編成が対立しがちだ。絶妙のバランスで広告主に少しだけ寄らないと広告事業としては成り立たない。