この事例では「金魚を飼いたい」という4歳の娘の要求と「金魚を飼ってくれない」という母親の要求が対立している。しかし、2人の共通目標は「親子で仲よくする」で一致している。こうした状況をイスラエルの家庭では「経営教育の場」と捉えるという。この対立をより高次なレベルで両立させるというゲームをさせるのである。
母親はまず、娘に「金魚を飼いたい」「金魚を飼いたくない」という対立する要求(手段)はどんな要望(目的)のためにあるのかを考えさせる。すると、娘の要望は「金魚を見たい」、母親の要望は「金魚の世話をしたくない」だったと判明する。そして娘は「じゃあ、幼稚園の帰りに金魚屋さんに連れてって」という解決策をみずから思いつくのである。
こうした解決の仕方は、イスラエルの子ども向けアニメ番組「Roni's Thinking Games」などにも見られる。例えば、「おもちゃが1つしかない場合に、友だちと楽しくすごすにはどうすればよいか」といったことを論理的に考えさせるのである。
また、1990年には、イスラエルにおいて、Ofra Segevという教育者と教育省が主導して、幼児に対して対立する要求を高次の要望と区別させる教育をおこなった。その結果、幼児たちは他者との衝突を論理的に解決できるようになり、暴力はほとんどなくなったという。
起業を含む広い意味での「経営」は、2人以上の人間が集まったときに必要となる。そのためには、他者との対立を高いレベルで解消し、自分の目標に対して他者の協力を得なければいけない。イスラエル国民やユダヤ系移民たちは、こうした、起業家教育よりも広い意味での「経営」教育を家庭内で日常的におこなっているのである。
これらに加えて、ユダヤの家庭教育の基礎にあるのが、「ユダヤの格言」としても有名な聖典『タルムード』である。タルムードには、宗教運営上の規則などに加え、「植物の種はすぐに食べずにまず植えて増やす」などビジネス上の教えに通じるものも多い。イスラエルをはじめとするユダヤ系家庭では、人生においてどのような道に進む場合にも、それを「経営」するようにタルムードを通じて幼少期から叩き込まれる。
イスラエルでは、大学での起業教育や政府主導の起業プログラムが整わなくても、「経営」が身近にある。では、こうした家庭教育を日本においておこなうにはどうすればいいだろうか。
イスラエルの事例から得られるヒントは「人は誰しも自分の人生の経営者だ」という意識を持てば、日常生活がすべて経営教育の素材に変わるということだ。まずは、大人がそうした考えで経営を日々実践することがカギとなるだろう。そうすれば、人生のさまざまな場面を「経営」の問題として捉え直す機会を大人が子どもに与えることもできるようになる。
企業経営や起業という選択肢もまた、日常での日々の経営実践と家庭教育の延長線上に浮かびあがるはずだ(なお、筆者の新著『13歳からの経営の教科書』はこの考えが出発点にある)。
最後に、1つの個人的な事実を提示する。
筆者もまた、短いながら、自分の人生を経営している。筆者は中学校卒業後、家庭の事情から高校進学を断念し、中卒自衛官となった。
自衛隊、コンビニ、工事現場などで働いた日々から10年ちょっとで慶應義塾大学商学部准教授となった。実は「30歳で慶應の教授になる」は中卒で働いていて東急東横線に乗っていたときに思いついた目標だった。
計画の2年遅れであるものの、これを実現したのは、自分の能力ではなく、私の人生経営のビジョンに共鳴してくださった多くの方のご助力によるものだ。もちろん職はただの手段であり、いまだ筆者は志半ばだ。だが、この事実は「経営」が起業だけでなく人生そのものに役立つことを示していないだろうか。
経営の心と技は、NPOなどを立ち上げる社会起業、会社や組織を革新する社内起業、研究や芸術分野の文化起業など、人生のすべての場面で活用できる。この経営の心と技が浸透することで、日本に住む人すべてが豊かに暮らせる未来につながると筆者は信じる。