フランスの作家モーパッサンの作品に「紐(ひも)」という短編がある。
まじめな実業家がひょんなことから、無実の罪を着せられる。道ばたで紐を拾っただけなのに、誰かの財布を盗んだという噂が立ってしまったのだ。なんとか無実を証明しようとしたが、噂はとどまるところを知らず、誰もが彼を泥棒だと信じ込んでしまう。町中の人が彼から距離を置き、村八分の状態になる。
放っておけば、そのうちみんな忘れたかもしれない。噂が立つのは仕方のないことだし、気にせずいつもどおりに過ごしていれば、人々も普通に接してくれるようになったかもしれない。
だが、彼はあきらめられなかった。意地でも真実を認めさせようと奮闘し、誰にも聞き入れられないせいで心身を病んでしまった。体はどんどん衰弱するが、彼はどうしても町の人が許せない。
死ぬ直前まで「紐だ。ただの紐だ」と、うわ言のようにつぶやいていた。
不運な出来事が起こったとき、それをあきらめて受け流すのは難しい。どうしても不満や怒りが湧いてくる。
不満を言うのは簡単だ。あまりに簡単なので、多くの人は不平不満を言うのが日常になっている。誰かが待ち合わせに遅れた、隣人がうるさい、急いでいるときに限って駐車スペースが空いていない。
不満をぶちまけるのは、一種の快感だ。
ソーシャルメディアを見れば、ありとあらゆる不満が並んでいる。みんなが攻撃的になっている。巻き込まれまいとしても、知らず知らずに影響を受けてしまう。
他人の愚痴を見るうちに、心が少しずつむしばまれ、世の中の悪いところばかりが目につくようになる。
不満というものが、脳にどっかりと居座ってしまうのだ。
不平不満を口にするうちに、あるいは他人の不平不満を見聞きするうちに、どんどん不満が増えてきた経験はないだろうか。
一方、感謝しようと努めるうちに、感謝すべきことが以前よりたくさん見えてきた経験はないだろうか?
不平不満は、簡単で価値のないものごとの典型だ。
不満を言うだけなら誰にでもできる。そして不満に身をまかせるうちに、頭の中に無価値なゴミがたまり、自由に使えるスペースがどんどん減っていく。
不満ではなく、感謝に注意を向ければ、世界の見え方はがらりと変わる。
「不足思考」(後悔、ねたみ、将来への不安)がいっぺんに消え、「充足思考」(順調だ、恵まれている、将来が楽しみだ)へとシフトする。自分がすでに持っているリソースや資産やスキルを正しく評価し、存分に活用できるようになる。
この図を見てほしい。
足りないものに目を向けると、足りないことばかりが増えていく。逆に、すでにあるものに目を向ければ、心はどんどん満ち足りていく。
感謝は強力な触媒だ。感謝の心は、ネガティブな感情から力を奪う。そして、ポジティブな感情が広がりやすい環境をつくってくれる。