「非難されたからといって、面と向かって反論するなんておとなげない」――そう感じることが、誰にでもあるでしょう。こういうときによく使われる防衛戦略が「逃避」です。すでに過去の記事(「自己肯定感が低い人」がやってしまう3つの行動、「自己肯定感の低い人」が結構している陰湿な攻撃)でもお話ししたように、私たちは通常、自分の心を守るためにいくつかの防衛戦略を持ち、状況に応じて使用する戦略を変えています。
そのうちの1つである「逃避」という行動自体は、悪いものではなく、危険から身を守るための有意義で自然な反応です。問題は、危険の定義です。自己肯定感が低い人の中には、幼い頃の経験から、「自分には価値がない」「劣っている」「1人のほうが安全」と思い込み、人と意見が違っても、話し合わずに逃避という行動をとることで、自分を守ろうとする人がいるのです。
こうした思いが強い人は、慢性的に逃避行動を起こしている可能性があります。自分が感じている不安と自分の弱みを直視することから逃げ、さらに他者との対立からも逃げてしまっているのです。
逃避の中でも、「自分の周囲に壁をつくる」、いわゆる「退却」の防衛戦略を使う人は、たいてい子ども時代の経験から「人と関わるよりも1人でいるほうが安全」といった信念を抱えています。そのような人は、1人でいると安全であると感じるだけでなく、「自由」であるとも感じます。
なぜなら、1人でいるときにだけ、自由に決定したり行動したりしてもいいと思っているからです。他者が近くにいるかぎり、「自分は他者からの期待に応えなければならない」という、子ども時代からのプログラムが発動してしまうのです。
逃避行動をとるといっても、必ずしも孤独へと逃げ込む必要はありません。仕事や趣味、インターネットへ逃げることもできます。こうした活動への逃避でも、関わりたくないことから目をそらすという目的は果たせます。そして、こういった活動への逃避によって、自分が抱える苦悩も意識しなくて済むようになります。だからこそ、自分が逃避していることに気づかないのです。
確かに、四六時中忙しくしていると、自己不信と不安からうまく目をそらすことはできます。
ただし健全な逃避と不健全な逃避の差は、紙一重。「目をそらすこと」は、ネガティブな状態から解放される非常に有意義な手段ですが、目をそらすことによって実際の問題が大きくなり続けるとしたら、その問題をきちんと受け止めるべきです。
そのための最初のステップとして、まず一度、「私は問題を抱えている」ということを認める必要があります。これは、問題を解決するためのもっとも重要な、もっとも基本的なステップになります。
私たちは、「怖いな」「やりたくないな」と感じる状況や行為を回避しようとしますが、問題は、回避するとそうした気持ちが一層強まるということです。「やりたくないな」と感じるたびに課題を先送りしていると、課題の山はどんどん大きくなり、それに伴い「やりたくない」気持ちが強まっていきます。不安も、回避することが多ければ多いほど強まります。