58歳で脱サラ元記者が「小さな本屋」へ転身のなぜ

「2017年、『本屋』を始めます。」と印刷した名刺を渡し、店主にあれこれ話を聞いてまわった。トークイベントやブックフェアなどにも顔を出しているうち、だんだんと本屋を取り巻く環境やビジネスのノウハウが見えてきて、気づけばほかの選択肢は考えられなくなっていた。

その後、古本だと買い取りの値付けが難しいと判断。「新刊があったほうが店に勢いが出る」と指南してくれた人の影響もあり、利益は減っても最初から値段の決まっている新刊を扱おうと方針を固めた。

店は中2階がある独特の空間にひかれ、築約60年の元材木倉庫を借りた。偶然の出合いからのひとめぼれだった。全面的にリノベーションが必要だったので、新聞記者時代に知り合い、大学でも教鞭をとっている建築士に依頼すると、大学生のワークショップとして作業が進んだ。

リノベーションにあたって特段こだわりはなく、「自分でリクエストしたのは、中二階を畳敷きにしてほしい、ということぐらい」。あとは学生らの活発な議論を頼もしく見守りつつ、全面的にお任せした。

むき出しの構造をいかして、壁一面に設置した書棚が圧巻。中二階は畳敷きになっていて、コーヒーと一緒に買った本を読むこともできる(撮影:尾形文繁)

この調子で店の名前やロゴ、ポスターなども、自分が頼みたい人にお願いしていった。「こうやって考えると僕がオリジナルで考えたものって、それほどないかもしれないね」、そう苦笑いするほど気負いがない。背景には新聞社でデスクをしていたとき、得意な分野に記者を振り分けたほうが良い記事ができた、という実感がある。

2017年2月には資本金100万円、社員は落合さん1人で会社を設立。法人化したほうが社会的な信用を得られやすいと考えたことと、雑貨やコーヒーの販売、ワークショップの企画・運営、レンタルスペースなど、売り上げの柱を複数、持ちたかったからだ。

起業のノウハウは東京都中小企業振興公社のTOKYO起業塾で学んだ。SNSの活用法などアイデアを得たが、失敗事例の講義では開業後1年以内に3割、5年以内に6割の会社が消えるという廃業率のデータを見て恐れおののいた。初期投資にかかった費用600万円は退職金などで工面し、リスクを避けて借金はしなかった。

こうして着々と開店準備を進めた落合さんだが、妻は「なぜ本屋なの?」と最初から反対していた。本はインターネットで購入する人が増加。書店調査会社・アルメディアによると、2020年5月現在、全国の書店数は減少を続け、実店舗に限ると1万店を割り込んでいる。そのような仕事をなぜわざわざ選ぶのか、いぶかしがるのも無理はない。

退職以来、髪の色も自由に楽しんでいる。一度、赤に染めて保育園のお迎えに行ったときは、息子の友達から「どうして赤なの?」と聞かれ、12月だったのでとっさに「クリスマスだからだよ」と答えたというエピソードもある(撮影:尾形文繁)

妻はフルタイムで働く看護師だが、子どもはまだ小さい。経済的に安定するためにも、子どもとの時間を考えても、落合さんには定年後、収入は減っても会社に残ってほしいと思っていた。

しかし落合さんは妻に話しても反対されると予想し、開店準備を進めて外堀を埋めようとした。

「夫の人生なので、やりたいことはやらせてあげたい」。妻はそう思いつつも、夫婦での話し合いが不十分なまま事が進んでいるようで納得がいかなかった。そのためよくケンカをしたが、結局、落合さんは押し切ってしまう。

2017年3月に退職。約1カ月後には開店の日を迎えた。初日に並べられた本は約300冊。予定の3分の1ほどしかそろわなかったが、見切り発車でもスタートを切りたかった。初日は24冊が売れた。妻もレジ作業を手伝ってくれたが、納得してもらうにはまだ時間が必要だった。