42歳で脱サラ就農した男が見つけた「意外な仕事」

農業で収入が安定するまでは、貯金を切り崩して生活することになる。そのため山田さんは貯金の額から、5~6年なら一家で暮らしていけると判断。ギリギリまで粘るのはリスクが高いと考え、「3年で食べていけるめどが付かなければあきらめる」と決めた。その約束をもとに妻も自身の仕事を辞め、一家での移住に賛成してくれた。

有機栽培のオリーブで高付加価値

移住後は妻の親戚の家を借りて住み、農地も親戚を通じて貸してもらえることになった。土地を借りるには“よそもの”では難しいことが多く、親戚の助けがありがたかった。

計算上は3ヘクタールの土地にオリーブの木2000本を植えると採算が取れるはずだった。しかし実際に借りられたのは、その30分の1にすぎない10アールの畑。普通に栽培して農協に卸す、という方法では食べていけない計算だった。

「後発の自分がほかの人と同じことをやっても勝ち目はない。狭い畑でも採算が取れるようにするには商品に付加価値を付け、高い値段で買ってもらうしかない」。そう考え、オリーブの有機栽培に目を付けた。東京にいたころ、「値段ではなく、とにかく良いもの」を求める人たちがいることを知った。その経験から、「国産でオーガニックのオリーブオイル」にはニーズがあると確信したのだ。

とはいえ、農学部出身だが本格的に農業に従事するのは初めて。一般的にはオリーブを栽培している会社などで働きながら栽培法を学び、独立するそうだが、山田さんには3年という約束がある。そもそも苗木を植えてから収穫できるまで3年かかるのだから、とにかくトライ&エラーでやるしかなく、「今思えばバタバタと効率が悪く、間抜けなこともしていた」と当時を振り返る。

オリーブ栽培にとって脅威となるのはオリーブアナアキゾウムシという害虫だ。枝や実を食害し、木を枯らしてしまうこともある。オリーブ農家では致命的なダメージを負う前に農薬で駆除するのが一般的で、山田さんのように無農薬で栽培しようという人はいなかった。

当初、島の人たちに有機栽培について話すと、鼻で笑われた感じがした。後から知ったことだが、都会から有機農業を志して地方へ来たものの、うまくいかずに去っていくのはよくある話だった。山田さんも、島の人たちに「またか」と思われたに違いない。

害虫の生態の観察を始めた

それでも、山田さんは有機栽培に挑戦するしか活路を見いだせなかった。そこでオリーブアナアキゾウムシについて知ることから始めようと資料や論文を集めつつ、自分で飼って生態を観察し始めた。

天敵のオリーブアナアキゾウムシは見つけたら捕獲し、殺さず飼育している(写真:山田オリーブ園)

畑で捕獲しては殺さず持ち帰り、常時100匹ほどを飼育する。ずっと観察していると天気や温度、時間帯によって行動のパターンがわかってきた。その知識をもとに畑を見て回れば、どこに潜んでいるのか予想がつき、捕獲の精度が上がった。「1匹ずつ捕獲するのだから、単純と言えば単純な方法だけれど、やろうと思ってもなかなかできないこと」。

こうして無農薬でのオリーブ栽培は軌道にのり、2011年12月、国内で初めて有機JASの認定を受けた。栽培開始から3年がたった2012年には、初めて実を収穫。山田さんはまず、農作業や島での生活をつづっていた自身のブログで、生の実を販売すると呼び掛けてみた。

理想のオリーブオイルを作るために苗木から木を育て、収穫、搾油まですべて自分たちの手で行う(写真:山田オリーブ園)

「この値段で売れるなら食べていける」という値段をつけ、インターネットを使った直接販売が可能かどうか、試してみたかったのだ。