香川県・小豆島で「山田オリーブ園」を営む山田典章さん(54)は2010年、42歳で東京の会社員から農業に転身。誰もやっていなかったオリーブの有機栽培に活路を見いだし、独自の挑戦を続けてきた。オリーブオイルなどの加工品は口コミで人気が広がり、全国から注文が相次ぐ。
「もうそろそろ、次かな」――。東京にある教育業界の大手企業で、会社員だった山田さんが何となく、別の仕事を考えるようになったのは40歳を過ぎたころからだった。
1989(平成元)年、新卒で入社したときは終身雇用が当たり前。自分も定年までこの会社で働き続けると思っていた。仕事は面白かったし、やりがいもあり、どちらかと言えば「前のめりにやっていた」ほうだという。
しかし30代半ばをピークに、だんだんと会社から求められていることと、自分の希望やスキルが合わなくなった。それでも仕事として受け入れ、会社に残る選択肢はあった。だが「この先20年、だましだまし続けても、きっとどこかでやめるだろう。それならば、まだ体力がある40代で会社を辞め、新しい挑戦をしたほうがいい」、そう思うようになった。
だからと言って、何かやりたいことがあったわけではない。どうしようかと考えていたとき、たまたま妻の実家がある香川県・小豆島に家族で帰省した。滞在中、実家の農作業を手伝っているうちに、自然相手の仕事は自分にとって「好きと言うより、苦にならない」ものだと気づいた。
このとき思い出したのが、自身が就職するまでのこと。佐賀県で生まれ育ち、外遊びや祖父の農作業を手伝うのが好きだった。自然に関わることを学びたいと、大学も農学部へ進み、土壌の改善などを研究していた。
「そう言えば、そうだった」。
大学卒業後、必然に迫られて就職し、会社員を20年以上続けてきたが、本当にやりたかったのは自然相手の仕事だったのではないか。「それならば、あまりいろいろ考えず、この島で農業ができる道を探してみよう」。
早速、島内の農業改良普及センターを訪ね、相談してみた。すると自治体でもオリーブの新規就農者を歓迎しているらしく、話を聞くうち就農と移住の具体的なイメージがわいてきた。
その気になり、妻に農業を始めたいと打ち明けたが、あまりに突然の申し出だ。妻も東京で会社員をしていて、当時1歳だった子どもの育児休暇中。首を縦に振ってもらえるわけはない。山田さんはいったん引き下がり、東京に戻って仕事を続けた。しかし半年ほど働いたところで「この会社にいるのは違う」と確信。退職の道を選ぶこととなる。
改めて妻には期間限定で良いから、小豆島でオリーブづくりに挑戦させてほしい、と頼んだが「ダメだったときはどうするの?」と突き返された。確かに妻の言うとおりだ。期間限定で挑戦するにせよ、失敗したときにどう撤退し、次の仕事へ進んでいくのか。そこまでちゃんと考えておかなければ移住はできない。
そう考え直し、山田さんは規模が小さな会社で再就職した。初めての転職で、自分がほかの会社でも通用するのかを見てみたかったのだ。結果、約1年勤め、新しい職場でもある程度の仕事は「やればできる」と実感が持てた。「これなら、また東京に戻って来ることになっても何とか仕事はできる。だからやっぱり自分は小豆島でチャレンジしたい」。