芥川龍之介が描いた「超ダークな平安時代」の迫力

日本人なら誰でも知っている古典『今昔物語』がネタ元となっている、芥川龍之介の『羅生門』。2つを読み比べて見えてきたことは(写真:Pro_KYOTO/PIXTA)

「平安朝」という言葉に、どのようなイメージを抱くだろうか。

ほとんどの人は、『源氏物語』や『枕草子』に描かれているようなきらびやかな世界を思い起こすことだろう。金色の雲に包まれた優雅な庭園、簾の内側に隠れてひそひそ話す女たち、満月を仰ぎながら初恋に想いを馳せる殿方、勤行に勤しむ尼君……。現実とも虚構ともつかない物語の断片や絵巻から切り取られた名場面の数々が、次から次へと現代人の脳裏を過(よぎ)る。

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しかし、それはあくまでも平安貴族の(頭の中の)理想にすぎず、実際面での日々の暮らしはそう雅ではなかったはずだ。たとえ金持ちに生まれたとしても、住んでいる屋敷は寒くて暗い、食べ物は質素で、誰だろうとつねに疫病と共存せざるをえなかった。にもかかわらず、芸術を通して垣間見える「平安朝」は、われわれの目にはキラキラと輝く、洗練された時代として映る。

「普通の人々」に微塵の興味も示さず

貴族プライドの権化とでもいうべき清少納言姐さんは「にげなきもの」という段で、次のように書いている。

にげなきもの 下衆の家に雪の降りたる。また、月のさし入りたるも、くちをし。〔…〕下衆の、紅の袴着たる。このころは、それのみぞあめる。
【イザ流圧倒的訳】
釣り合わないもの。下々の家に雪が降りかかっている景色。そういう家に月の光が差し込んだりして、なんかもう台無し!〔…〕紅の袴を着た下衆女も耐えられない。近頃はそればっかりでうんざりだ。

姐さんにとって、貴族以外は人に非ず、庶民の姿をわずかに見ただけで虫唾が走るほどだったようだが、そうした彼女は特別にお高くとまっていたわけではない。自尊心が強かったというのはいうまでもないが、紫式部、和泉式部、赤染衛門など、同時代を生きたレディースたちもみんな、貴族同士の小さな社会にしか視線を向けようとせず、「普通の人々」に対して微塵も興味を示さなかった。

彼女らが書き残した作品には、恋に思い悩む殿上人の世話を焼き、休みなく動き回る侍女や女房は無数に登場するけれど、畑を耕す百姓、モノを売る商売人などはめったに姿を現さない。道をさまよう乞食や暗闇に隠れてじっと待っている泥棒なんてもってのほかだ。

こうしていわゆる「卑しい者たち」は、グラマラスな日記や物語から注意深く消去され、その結果、現代人が抱く「平安朝」というファンタジーの中にも顔をのぞかせることはない。

では存在すら隠蔽され続け、その日暮らしの生活を余儀なくされていた「普通の人々」の声は、永遠に失われてしまったのだろうか。否、おかげさまで、そんなことはない。宮廷の外に広がっていた、物騒で、生々しい世界の一端を見せてくれる貴重な作品が1つ生き残っている。それは壮大な説話集、『今昔物語集』だ。

日記とは違う『今昔物語』の魅力

収録されている説話のすべてが「今ハ昔」という書き出しから始まっていることを理由に、そのような名称で知られているけれど、正式なタイトルはない。正確な成立過程や執筆された時期も不明で、平安時代の終わりごろに編集されたものだと思われる。

全31巻のうち、現存しているのは28巻。大きく分けて、天竺(インド)、震旦(中国)、本朝(日本)の3部で構成される。つまり、地理についてごく限られた知識しか持っていなかった当時の日本人からすれば、知られている世界が完全に網羅されている。

スタイルも内容も異なる無数の小さな物語のアンソロジー、印刷技術のない時代に生まれた作品なだけに、途中でばらばらになって断片的にしか残らなかったとしてもおかしくないが、『今昔物語集』は1つのまとまりとして現在までしぶとく生き延びてきたのだ。28巻もわれわれに届けられている奇跡こそが、何よりもその人気ぶりを物語っている。