一方、自主学習では、まだ起こっていない遠い未来の危機や困難を予想することは滅多にありません。親や教師は、今まさに子どもが直面している大小さまざまな困難にのみ注目し、今の子どもにできる方法で対処するよう励まし、自然に生まれた結果をもとに指導します。
例えば、「宿題が終わらなければ、自分で先生にそう伝えないといけないよ」「今ご飯を食べなければ、次の食事まで何も食べられないよ」と伝えます。宿題と睡眠、食事と遊びのどちらがより重要か、子どもの代わりに大人が判断することはありません。
大人が用意するのは、子どもが落ち着いて宿題ができる時間と、安全に眠り、ご飯を食べ、遊ぶための場所だけです。
子どもは必ず楽なほうへ流されるとも、必ず一生懸命に努力するとも決めつけず、子どもは今いる場所で、今できることをするものだ、と考えるのが自主学習です。親や教師自身も、自然でまっさらな心の状態で子どもに接しなければいけません。子どもを放っておくのではなく、ただ子どもを信じ、大人は大人の役割を果たしながら、子どものことは子どもがやるべきだと考えるのです。
子どもは一つ一つ選択し、経験してこそ、自ら進んで努力しようと思う目標を見つけられます。こうして人と協力する能力や、事務作業をこなす能力を身につけ、さらに心から誰かを大切に思い、尊敬できるようになるはずです。
大人がするべきこと、子どもがするべきことの内容は、大人と子どもで話し合って、両方が納得できる答えを見つければいいでしょう。
あなたは「子どもが時間を無駄にしたらどうするんです?」と尋ねました。
私は「あなたが時間を無駄にしたらどうするんです?」と聞き返しました。するとあなたの表情がさっと曇ったので、きっと不愉快な思いをさせたのだと思います。でもこれは本当のことです。子どもも大人も1日は24時間しかないのに、子どもだけが時間を無駄にしているなんて言えないでしょう?
あなたは子どもを叩かない母親なので、子どもを叩く親以上に不安を覚えるのだと思います。なぜなら目標を達成させるために子どもを叩く親は、少なくとも子どもが怖がってすぐにいうことを聞く姿を見ているからです。
でも暴力をふるえば、将来必ず子どもの人格形成や親子関係が犠牲になるとわかっているから、あなたは子どもを叩きません。かといって自分の望みどおりに子どもを育てる方法を知っているわけではないから、心配で不安になるのですよね。
近代になって、他者主導型学習の研究者は、面白いことに気づきました。子どもは、心から喜んで学ばないと、知識が身につかないばかりか、心の中に葛藤が生まれてしまうというのです。そこで学習者が進んで学ぶよう、さまざまなメソッドが考えられました。
例えば、周囲の環境を整える、集団心理に働きかけるといった方法です。こうすれば、確かに子どもは喜んで学ぶかもしれません。「優秀な」働き手を生み出すこともできるでしょう。こうしたメソッドが書かれた本はいくらでも見つかります。
しかし、これは私が良いと思う教育方法ではありません。なぜなら他者主導型の教育を受けた子どもには、「自分が本当に学びたいことを発見し、自分の能力で何かを達成した経験と自信」がないからです。
自主学習では、大人が子どもをサポートし、子どもと意見を交わすことで、子どもは小さいころからいつも自分で選択し、挑戦し、対応し、変化してきたという自信と勇気を持つことができます。これらは、やがてこの世を生きるための自分だけの知恵になります。結果的に社会に振り回されることなく、自分らしくいることができます。