2006年からずっと、定期的に実話怪談イベントを続けている。
15年にわたって毎年開催している公演もある。
その頃、心霊スポットに行った様子などをYouTubeにアップしていた。YouTubeでマネタイズができるようになるずっと前であり、かなり時代を先取りしていたと言える。
2011年には、初の単著『放課後怪談部』(六月書房)を上梓した。5年間コツコツと日本各地から集めた実話怪談をまとめた1冊だった。
「2011年から『怪処』という同人誌を発行し始めました。広くオカルトカルチャー全般を扱った本なのですが、こだわりは
『絶対に現場に行く!!』
というものでした。オカルトにとって『場所』というのは非常に大事です。オカルトにとって場所だけが、唯一の確たる証拠だとも言えます。『怪処』は『オカルトと場所』をテーマに10号まで発行しています」
例えば、心霊スポットはわかりやすく、場所が大事だ。だが心霊スポットは、歴史的背景や、文化的掘り下げがあまりできない場所も多かった。
それならば、珍スポットやB級スポットと呼ばれる場所を紹介すれば面白いと思った。
先駆者としては「珍寺」を取材する小嶋独観さんや、「珍スポット」取材のさきがけである荒川聡子さんがいる。
「珍寺」「珍スポット」などのカルチャーを、「オカルト」という枠組みで組み直したら面白くなると思った。
「『怪処』では日本国内だけにとどまらず、全世界の怪な場所を訪れてルポにしています。実は1冊の取材費めちゃくちゃかかってるんです。例えばフランスの郊外にある1年に数日しか開かない『奇妙な庭』を実際に訪れ取材しました。私以外の執筆者も、アウトプットする場所があろうがなかろうが取材に行く人たちです。発表の場所が見つからず、パソコンのハードディスクの肥やしになっていたネタも、贅沢にたくさん載せました」
『怪処』は地道に話題になり、いつしかテレビ業界の人の目にも留まった。
そこから人気テレビ番組『クレイジージャーニー』(TBS)の出演依頼が来た。
「『クレイジージャーニー』に出演したことで、知名度は爆発的に上がりましたね。カルチャースクールに講師として呼ばれるようになりましたし、年収もじょじょに上がっていきました」
吉田さんは、『実話怪談倶楽部』(フジテレビ)、『怪談のシーハナ聞かせてよ。』(エンタメ~テレ)など、怪談系のテレビ番組では引く手あまたになっている。
2015年頃にはアルバイトを辞めることができた。アルバイトを辞める前も、辞めた後も、年収は200万円程度だったが、フリーランスになった後は実話怪談に集中できるようになった。そしてそれ以降、年々収入は上がっている。
「私の活動と、怪談というコンテンツの一般的な認知度が上がっていくのが、完全にリンクしました。とてもタイミングがよかったと思います」
順調に上がってきたが、2020年にはコロナ禍が発生した。収入面では大きなダメージはなかったが、コロナ禍以降取材方法には変化があったという。
「コロナ禍以降はもちろん現地には行きづらくなりました。その代わり、通話で話をうかがう数は飛躍的に増えました。今は家でヒマをしている人が多いのでインタビューのオファーも受けてもらいやすいですね。怪我の功名です。これはコロナ収束以降でも生かせる取材方法だなと考えています」
またコロナ禍は業界全体に大きな変化を与えつつあるという。
「コロナ禍以降、実話怪談業界は新しいフェーズに入ったと思います。そもそも実話怪談は、配信と相性がよくYouTubeやツイキャス、ニコ生で配信している人はいました。アイドルや芸人さんで気軽に配信する人も多くなりました。コロナ禍になって、配信される動画を見る人はますます増え、配信のシステムも充実しました。今後は配信を中心として業界は進んでいくと思います。