前回、前々回の記事で、自己を正しく認識すること、その精度を高めることがいかに重要性か、私個人の経験も踏まえながらご紹介しました。自己認識を高めることは、キャリアを発展させるうえで欠かせないことです。逆に自分を客観的に捉えられないと、自分を過大評価したりしてしまいがちです。
自己認識の精度を高めていくと、自分には自分だけにしかない特長があることに気づかされるはずです。それは、走るのが速い、絵がうまい、計算が得意といったようなわかりやすいものに限らず、思考のクセや個性とも言えるものであることが多いでしょう。一見、「これは才能なのだろうか?」と思うかもしれませんが、磨けば自分にしかない武器になる「才能のタネ」は、誰しもが持っています。ただ、これを見つけるにはちょっとしたコツがあります。
意外に思うかもしれませんが、自分の才能のタネを知るうえで、最もよい方法は、自分がイライラした瞬間を見逃さないことです。怒りはネガティブな感情だと捉えられがちですが、実は、イライラの裏には自身の才能のタネが隠されています。
例えば僕は、海外の商品やサービスを日本でも展開しようというときに、日本市場に適さない、日本の生活や文化を考慮しない画一的なマーケティング手法で売ろうとしているのを見るとイライラします。僕の場合は、より、その国で暮らす人たちが持つ性質に目を向けようと思うからです。このイライラの理由は、僕が「人や文化の多様性に気づける才能のタネ」があるからだということを示しています。
また、僕は、他者から提出された資料のフォントがバラバラだと「なぜ、揃えないんだろう?」と考えます。「見にくいなあ」と、少しイラッとする。しかし提出した本人は、そんな細かいところまで気にしていないわけです。もしもここで僕が「フォントをちゃんと揃えてよ」と注意したら、言われた側は「はあ……(細かい人だな)」くらいにしか思わないでしょう。「そんなことより内容をしっかり見てほしい」と考えるかもしれません。
この感情のすれ違いは、僕が持つ「細部まで目を配る才能のタネ」、あるいは「統一や調和にこだわる才能のタネ」が原因です。
僕の友人たちの例も紹介します。
Bさんは、飲み会の席で、場をうまくまわせないのに、つまらない話ばかりする人にイラつくそうです。
ただ、僕はそんなふうに感じたことがありません。僕にはなくて、彼にはあるイライラポイントなのです。このイライラは、Bさんがおもしろい話をして場をもりあげることに価値を置いているからこそ出てくる感情です。確かに、Bさんには「会話で楽しい場をつくりだす才能のタネ」があるのを感じます。
別の友人、Cさんは、あるとき仕事で上司に判断を仰いだら、自分の提案を却下されました。内容そのものの価値を見ずに、自分の出世につながるかどうかで判断しているのが見え見えなのに、さも正当な理由があるかのように話す上司に怒りが湧いたそうです。Cさんには「ものごとの本質を見極める才能のタネ」があるのだと考えられます。だから、本質を見ずに、あきらかに自分の都合で仕事を動かしている上司の姿を見て、怒りを感じるのです。