さて、そんな「配給型」「計画経済型」の医療システムがあった国で、社会主義体制の崩壊に伴い、ありとあらゆる「公共サービス」の分野に「市場経済」の波が一気に押し寄せました。
多くの旧社会主義国では、配給型の医療サービスは維持できなくなりましたが、幸いこの国は「石油」という財源があったので、一律配給型の医療システムでも一定水準のサービスを維持することがかろうじてできています。
しかしながら、というか当然ながら、というか、「医療の公共独占」は崩れました。言ってみれば「規制緩和、官制市場解体、混合診療全面解禁」の壮大な社会実験をしたようなものです。一律平等配給型の公的医療サービスの外側に「資本主義的」というか「市場主導型」の自由診療医療サービスが生まれました。
その結果、どうなったか。医療サービスはものの見事に「階層消費化」しました。
まず、優秀な医師たちはみんな国外に出て行きました。多くはトルコ・イスラエル・ウクライナ・ロシアなどの近隣諸国です。外国に行ったほうが自分のやりたい医療ができますし、しかもはるかに高給で処遇されます。
結果、深刻な医療人材の不足が発生しました。医療人材は専門人材ですからそう簡単には増えません。圧倒的な「供給不足・需要過多」の中で、国内に残った医師たちは「副業」を始めます。
公立病院の医師たちは、午前中は「無料」の「配給医療」に従事しますが、午後になると自分のクリニックを開いて「自由診療」の医療を始めました。なかには病院の中の自分のオフィスで開業する人もいました。自由診療ですから当然「自由価格」です。公立病院も病院として「自由診療」を始めました。
「ここまでは無料です。もしこれ以上の検査を受けたかったり薬を出してほしければ追加で診療代を払ってください」「順番待ちを飛ばして受診したい人は追加料金を払ってください。優先で診療しますよ」
医療の沙汰も金次第。一般庶民は長い待機列に耐えながら「無料の標準医療」を受け、金のある人は順番を飛ばしてもらったり、水準の高い医療を受けることができる。もっとお金があればプライベートクリニックで公立病院の専門医の治療を受けることができる。すごい金持ちや政府要人たちはそもそも国内の医者にはかからない。先進国に出かけて最先端の医療を受ける。
医師は医師で、公立病院で働いても給与はたかが知れていますし(旧社会主義国では、医師や教師といった人たちの給与はその専門性に比して非常に低いのが通例です)、頑張ったからといって収入が増えるわけではない。午前中はそこそこ働いて、副業のほうに精を出す。病院も(「自由診療」で頑張って稼いでも)民間並みの給与は払えないし、辞められても困るので黙認する。そのうちどっちが本業だかわからなくなります。
富裕層向けの「民間病院」も生まれます。「資本主義経済化・市場経済化」した旧社会主義国では、経済発展に伴って貧富の格差が広がります。つまり、昔はいなかったような「富裕層」が社会に生まれます。そういった人たちを相手にしたビジネス(高級レストラン・ブランドショップ・高級リゾートなど)がどんどん生まれます。医療の世界も例外ではありません。
市場経済の持つ「資金吸引力」「資源吸引力」は実にすごいです。民間病院はどんどん近代化し、医療機器も整備されて最先端の医療が受けられる。医師も看護師も、どんどん民間部門に流出する。ただし、有料(というかかなり高額。もともと医療サービスは安くありません)。 もちろん値決めは病院がします。なんたって「自由価格」ですから。
人もモノも金も、民間部門に集中していきます。それに対抗できる、というかついていける公的サービスはまずありません。医療サービスの供給、価格決定権は完全に民間サイドに握られます。金のある人はいい医療が受けられて一般市民は旧態依然としたみすぼらしい配給医療。いい医療・いい医者にかかろうと思えばそれなりの(というか、かなりの)お金がかかる。