父親の葬儀で知った「人は何のために働くのか」

だが、キアコンは選ばれなかった。実は澤田はこのとき、ホッとしていた。澤田が求めていたのは、ダイエーをいい会社にしたい、という思いだった。ダイエー社員と一緒に汗をかきたいと思っていたのだ。

「でも、ファンドというのは、僕がお金を預かって、それを元手に投資をするビジネスなんです。ダイエーを数百億円で買ったら、それを1000億円、2000億円、3000億円に膨らまさないといけない。ずっとお金と向き合わないといけないんです」

ファンドの意味をよく理解できていなかった。最後は勝ちたくない、とさえ思っていた。このとき、ダイエーのための再生計画を懸命につくっていた澤田を、間近で見ていたリーガルアドバイザーの弁護士、瓜生健太郎の言葉が、澤田は忘れられない。

「澤田さんはお金のために働く人じゃない。澤田さんは、人のために働く人であるべきだ」

澤田は数百億円をそのままきれいに投資家に返し、ファンドと決別した。自分がやりたい仕事を改めて考え、人のお金を使わないで再生のお手伝いをする会社が浮かんだ。こうして2005年、リヴァンプを創業する。

小売りや流通を中心に、30を超える会社の企業支援を手がけた。そして設立から10年。「小売業をやらなければいけない」と社長に直訴してから実に20年。驚くべき話が澤田のもとにやってきた。伊藤忠グループの新生ファミリーマートの社長をやってほしい、と。

「オレが言っていたことが20年経ってようやくわかったか!と思いましたよね(笑)。でも、冗談抜きに古巣から声がかかったことはうれしかった。雇われじゃないか、と思われるかもしれませんけど、これは特別です。伊藤忠からの話じゃなかったら、絶対に受けていない。本当に天命だと感じてオファーをお受けしたんです」

澤田は27歳で父親を亡くしている。まだ59歳。教育者だった。好きだった山歩き中の転落死だった。

「驚いたのが、葬儀でした。人口2000人ほどの小さな村で、約2000人の方が来てくださったんです。しかも僕に、『お父さんには本当にいろんなことをご指導いただいた』『何から何までお世話になった』と初めて会う人たちが声をかけてくださって」

衝撃を受けた。父親は、自分の知らないところで多くの人たちを支援していたのだ。

「死んでから人に感謝されるのは、すごいことだと思いました。亡くなったときにこそ、人は評価されるのかもしれないな、と。たくさんの人に感謝してもらえるような生き方をしたい、と」

父親が利害関係のない周りの人たちに慕われたのは、きっと日頃から周りの人の幸せを優先するという「利他」の精神で生きた証しだろうと澤田は思った。

「いまも僕には、自分さえよければいいという『利己』の部分がたくさんあります。でも、実際には、人のことを幸せにしないと、自分は幸せになれないんですよ。人に感謝すること、人のために尽くすことが、いかに大切か。親父の死が、それを教えてくれました」

どうしても小売業をやりたかった

5月に刊行した拙著『職業、挑戦者』の一連の取材で、澤田は何度もこう強調した。

「改革の取り組みは、自分だけがやっているわけではない。自分だけがやったかのような書き方だけはしてほしくない」

改革が簡単でないことは、最初からわかっていた。

「コンビニはこれから大変だぞ、と思っていましたから。マーケットは飽和している。簡単じゃないですよ。でも、簡単じゃないから面白いと思うわけです」

ファミリーマートの筆頭株主は伊藤忠商事。先にも書いたように、澤田が20年も前に伊藤忠を辞めた理由は、「どうしても小売業をやりたかったから」だった。その澤田が20年後、伊藤忠にとっての最重要企業の1つ、ファミリーマートの社長を委ねられることになるというのは、まるで奇跡を描いたドラマのようである。

澤田にとっては、20年経ってやってきた天命ともいえる仕事だったが、受けるにあたって絶対に譲れない条件が1つだけあった。求めたのは、これだけだった。

「やるんだったら。自分の思うようにやりたい。そうでないと意味がない」

これだけのスケールの会社を経営トップとして執行するのは、おそらく最後だろうということもわかっている。しかも、コンビニ業界はいま、かつてないほどの逆風が吹いている。その逆風の最中に、コロナ禍にも襲われた。

だが、「加盟店さんのすごさ、すばらしさを改めて知った一方、おかげで課題もたくさんあぶり出された」と語る澤田は、いまも最前線で陣頭指揮を執り、奮闘する日々を送っている。