また特別機動捜査隊という部署も、高度経済成長期の犯罪の凶悪化を受けて警視庁に新設された「初動捜査班」をモデルにしていた。この初動捜査班が後に「機動捜査隊」と逆に改称されたりするなど、警察組織という点でもドラマと現実の警察には密接なつながりがあった。ただ、この後触れる「警察」ドラマは警察組織そのものが舞台のドラマという側面が強く、直接の原点とは言い難いだろう。
このようなリアリズム志向の流れを変えたのが、72年に始まった日本テレビ「太陽にほえろ!」である。この作品がそれまでと違っていたのは、刑事が主役になったことである。奇妙に聞こえるかもしれないが、今触れたように「七人の刑事」や「特別機動捜査隊」では、どちらかと言えば犯人の動機や事件の背景を描くことのほうに力点があった。それに対し「太陽にほえろ!」では、警視庁七曲警察署捜査第一課捜査第一係の刑事たちがまさに物語の中心になった。
その象徴が、ボス役を演じた石原裕次郎である。戦後を代表する映画スターである石原の出演は大きな話題になった。また、刑事と犯人の格闘といった派手なアクションシーンなど、作品自体にも映画的要素がふんだんに盛り込まれていた。
この「太陽にほえろ!」の成功をきっかけに、石原が設立した「石原プロモーション」はテレビドラマの制作に積極的に乗り出し、大掛かりな爆破シーンが売り物だった「西部警察」(テレビ朝日、79年放送開始)のような、スケール感あふれる刑事ドラマを世に送り出すようになる。それは、テレビ映画の発展の一つの形であった。
もう一つ、「太陽にほえろ!」を象徴したのが、新人刑事である。そこには青春ドラマの要素が色濃くあり、その流れを決定づけたのが萩原健一の演じた初代新人刑事の早見淳ことマカロニだった。マカロニは、あるときは犯人の不幸な境遇に感情移入し、またあるときは銃を撃つことを躊躇する。そうして悩み続けるなかで、刑事として人間として成長していく。
萩原が自ら提案したという殉職も、青春ドラマらしい切なさを増す効果があった。ほかにも青春もののスターだった桜木健一主演のTBS「刑事くん」(71年放送開始)などがあり、“刑事ドラマ=青春ドラマ”という作風は当時のトレンドでもあった。
こうした刑事ドラマと青春ドラマの融合は、二人の刑事がコンビとなって活躍する「バディもの」につながっていく。その先駆とも言えるのが、75年に放送された日本テレビ「俺たちの勲章」である。
主演の若手刑事役は松田優作と中村雅俊。松田は「太陽にほえろ!」の新人刑事・ジーパンを演じた直後、また中村は日本テレビの学園ドラマ「われら青春!」の教師役でブレークした直後で、この組み合わせ自体が“青春刑事ドラマ”と言うにふさわしい。松田が犯人に対して容赦ないクールな性格、中村がすぐ犯人に同情してしまう優しい性格という対照的なキャラクター設定も、バディものの原型的なところがある。
ただ、そこで描かれる青春は決して明るいものではない。むしろ逆である。「俺たちの勲章」の最終回では、事件に関係する自分の恋人へのおとり捜査を命じられて上司に不信感を抱いた中村が、犯人逮捕を妨害する挙に出て自ら辞職する。そこには学生運動の熱気が過ぎ去り、高度経済成長が終わりを迎えたなかで、“しらけ世代”と大人たちから評されながらも組織の歯車になることに反発した当時の典型的若者の姿が垣間見える
80年代になると、刑事ドラマは徹底した娯楽主義へと向かう。その推進役となったのが、2時間ドラマである。元祖に当たるテレビ朝日「土曜ワイド劇場」が始まったのが77年、当初は作風も多彩で視聴率的に苦戦したが、天知茂演じる明智小五郎が活躍する「江戸川乱歩の美女シリーズ」がヒットすると、ミステリーものに特化した路線で安定した視聴率をあげるようになる。