1930年代アメリカの科学技術水準と軍事力はドイツに対して決定的に後れをとっていた。ドイツは新型戦闘機や潜水艦Uボートなどの圧倒的な破壊力で大西洋を支配下に置き、核兵器の開発にも着手しつつあった。一方、当時の米軍はこれまでどおりの飛行機・戦艦・武器といった現状兵力の拡大のみを考えていた。
この事実に危機感をもった当時マサチューセッツ工科大学(MIT)副学長だったブッシュはその職を辞してワシントンに移り、軍の誰からも相手にされないような発明や発見を促進する機関(OSDR)の創設をフランクリン・ルーズベルト大統領に進言した。
当然、軍人が支配する巨大組織がそんな組織を受け入れるはずがない。ブッシュは軍人(ソルジャー)とアーティスト(発明家)の巧みな共存を可能とする組織のあり方に優れた能力を発揮して、レーダー開発や核兵器開発を先導し、最終的にアメリカ軍と連合国軍を勝利に導いた。バーコールはこのOSDRのあり方から「ルーンショット」と「巨大官僚組織」の共存を可能とする「動的平衡」というアイデアを得ている。
「ブッシュ・ヴェイル バランス」のヴェイルとは、AT&T社長としてベル研究所を設立したセオドア・ヴェイルからとったものである。ヴェイルもブッシュと同様に、巨大化・官僚化したAT&Tにルーンショット組織「ベル研究所」を設立している。
バーコールは、ノーベル賞およびノーベル賞級の発見・発明を次々と生み出したベル研究所をルーンショット組織として高く評価する。そして、巨大組織AT&Tとベル研の見事な動的平衡を果たしたヴェイルのバランス能力も高く評価して、彼の名前を冠しているのである。
前述のように、ルーンショットとは、「誰からも相手にされず、頭がおかしいと思われるが、実は世の中を変えるような画期的アイデアやプロジェクト」を指す。なるほど、そんなものならば、始めから大きな支援を得ることは難しく、あっという間に葬り去られてしまう「もろいもの」なのだろう。
さらに、そうしたばかげたアイデアが生き延びて、具体的な製品や戦略にまで昇華するには、最終的に大規模な組織やチームが必要なのである。この事実がまた新たな問題を引き起こす。ルーンショットを見事に製品や戦略にすることに成功した企業やチームが、突然、ルーンショットを圧殺する集団に変貌してしまう問題である。
筆者はこうした「いかれたアイデア」を商品や戦略に高めるには「フランチャイズ」の力が必要と考える。
フランチャイズという用語もバーコール独特のもので、イノベーションに関する先行研究を知る者にとってはわかりにくいが、アターバック=アバナシーらの先行研究の言葉を使えばプロダクト・イノベーションに対するプロセス・イノベーションであり、クリステンセンの言葉では持続的(インクリメンタル)イノベーションのことだと理解すればわかりやすい。すなわち、今ある製品や戦略を改善・改良していく力のことだ。
しかし、バーコールはこのフランチャイズ力がルーンショットを圧殺すると主張する。バーコールが挙げているノキアの事例はわかりやすい。
1970年代ノキアは、ゴム長靴やトイレットペーパーを製造するコングロマリット企業だった。しかし、その後、携帯電話・自動車電話事業に進出し、2000年には世界の携帯電話の約半数を生産し、企業価値は欧州一となった。経営陣はこの成功の秘訣が「常識にとらわれずに、ミスが許される企業文化」にあると大いに喧伝した。
しかし、2004年に革新的企業文化を誇っていた経営陣は、社内の少数の技術者たちが提案した「大きなディスプレーと高解析度カメラを内蔵し、インターネットにつながったうえでオンライン・アプリケーションストアを持つ携帯電話の開発」というアイデアを却下した。突飛なアイデアよりも、今ある携帯電話をより高性能で、より安く、より効率的に売り上げるほうがより重要だと判断したのだ。