また、とてつもなく、とんでもない「イノベーション」の本がアメリカからやって来た。『LOONSHOTS<ルーンショット> クレイジーを最高のイノベーションにする』(日経BP社、サフィ・バーコール著)である。サクッと読めば、「まあ、これまで言われてきたようなことに新しいキャッチフレーズなる『ルーンショット』をくっつけただけ」の本のように見える。
しかし、よく読み込んでいくと、これは単なるビジネス書にとどまらず、膨大な科学的・歴史的知識と国家論・産業論をベースにした「国家・社会の科学技術戦略のあり方を問うた」書であることがわかってくる。しかも、この書物自身がバーコールの言うルーンショットでさえある。
まず、このバーコールの造語である「ルーンショット」を解説しておくと、「ルーンショットとは、誰からも相手にされず、頭がおかしいと思われるが、実は世の中を変えるような画期的アイデアやプロジェクト」を指す。この何とも不思議な定義である「ルーンショット」をベースにした本書の本質を理解するには、バーコールの多様で多才な経歴を知っておかなければならない。
著者サフィ・バーコールは、1968年にプリンストン大学の物理学者の父と、同じくプリンストン大学の天体物理学者である母の間に生まれた。13歳から16歳の間にプリンストン大学の物理・数学の教室に通い、20歳でハーバード大学理論物理学学士となっている。
その後1995年にスタンフォード大学で理論物理学の博士号(PhD)を取得し、国立科学財団奨学金、ハーバード大学創設者にちなんで創設された John Harvard Scholarship、カリフォルニア州立大学バークレー校の Miller Post-Doctoral Research Fellowshipなどの学業成績優秀者に贈られる奨学支援を受けつつ、超伝導理論、ランダム・マトリックス理論、粒子天体物理学の分野で研究を重ねた。
その成果は、物理学会で最も権威のある雑誌 Physical Review Lettersなどに発表され、高い評価を受けていた。バーコールの出発点は若き気鋭の物理学者だったのである。
しかし、1998年に彼は突然、物理学の道を捨ててマッキンゼーに入社してしまう。マッキンゼーではコンサルティング業務に3年間携わった。このときの仕事とスキルの適合に関するマッキンゼーの真摯な態度と投資を実感した経験は、本書にも十分に生かされている。
2001年、マッキンゼーを辞めると、最も権威のあるがん研究機関の1つ、ダナ・ファーバーがん研究所(ハーバード大学医学部傘下)のLan Bo Chen博士とともにシンタ・ファーマシューティカルズを共同創業する。シンタ社は「がんおよび免疫異常による炎症性疾患」に特化した創薬ベンチャーで、彼はその後13年間CEOを務めた。しかも、2007年には同社をナスダックに上場させている。
起業家としての手腕も並大抵のものではない。この極めて確率が低く時間のかかる新薬開発事業の経験を通じて、彼は「人の命を救う医薬品は、ビジネスを変貌させるテクノロジーと同様、いかれたアイデアを唱える孤独な発明家に端を発することが多い」ことを学ぶ。本書で主張するルーンショットの重要性はこの経験に根ざしている。
さらに、2011年にオバマ政権下のPCAST (大統領科学技術諮問委員会)の委員に就任している。このときの国家戦略として科学技術を考える経験が、巨大組織におけるルーンショットの育成の「ブッシュ・ヴェイル バランス」確立のベースになっている。彼がPCASTで学んだのは、第2次世界大戦中にヴァネヴァー・ブッシュが設立したOSDR(科学研究開発局)のあり方だった。