フレクスナーは、天才の知性が輝くには適切な教育と刺激的な環境が必要であると見抜いた。社会学者の多くも同意するこの特徴を体現していたのが、アインシュタインだ。
アインシュタインは高校の数学で落第し、大学にぎりぎりの成績で合格したとされる。20代後半にベルンで理論物理学の研究を始め、打ち込めるものを見つけたとき、彼本来の途方もない知性が目覚めたのである。
フロリダ州立大学の心理学者アンダース・エリクソンは、天才になるための「10年ルール」を提唱している。「生まれながらの才能だと思われていた資質の多くは、実のところ、最低10年かけて十分練習すれば身に付けられる」というのだ。
エリクソンによれば、長期間集中して熟達に励むことで、長期記憶への自動的・無意識的なアクセスが可能になり、並外れた創造性を発揮しやすくなるという。
私の専門分野の天才たちと話していても、大きな発見を遂げるのに「苦労した」という言葉は出てこない。代わりに聞くのは、それがどんなに「楽しかった」かだ。文芸批評家のジョージ・シアラバが、アインシュタインの言葉として挙げた(実際はアインシュタインの言葉ではなかったのだが)こんな格言がある。「創造性とは、楽しんでいる知性のことだ」。
私の周りの天才たちは、明らかに仕事を楽しんでいる。そこから私はこんなふうに考えた。「生まれつき有能で勤勉な人は、さらに“心の喜び”があって、初めて天才になるのかもしれない」。
心が喜ぶから、天才は、平均して1万時間もひとつのことに集中できる。その喜びは、楽しみや興奮や感動と読み替えてもいい。私が出会った天才は皆、そうした内側から湧き出るような輝きを放っていた。
2、常識の外側から思考することを心がける
天才と話していると、なんだか会話がスムーズに進まないと感じる場面が時々ある。天才の考え方がわれわれ一般人と異なるからだ。
問題に取り組んでいるときの天才の集中力はすさまじく、他人をおいそれと寄せつけない。天才は基本的に、人とはまったく違う彼らだけのやり方で思考する。そんな天才を「チームの一員になれ」と説得するのは、自分より賢い人々を率いるときの最大の挑戦と言えるだろう。
多くの天才は、自分の専門以外にもいくつかの分野に通じている。天才の知性が及ぶ範囲はとても幅広く、彼らは専門でないことも深く理解して楽しめる。私の知る天才たちは、話題が突然飛ぶうえに、思わぬもの同士をつなげて語るので、話についていくのが大変だった。
天才は持って生まれた好奇心の強さで対象にのめり込み、答えが明らかになるまで没入する。問題だらけの霧をかき分け、誰にも見えないものを見通す。すべてがぴったりはまっているのを好む。それから境界の外にはみ出し、ほかの分野の仕組みを理解しようとする。
そうやって思考を跳躍させるから難問を解決できるのだ。それは裏を返せば、意識に入ってくる魅力的なアイデアに気を取られやすいということでもある。