「クラスに女子が多かったですから
『下ネタは絶対に厳禁』
『なにかやらかしたら高校生活終わり』
という緊張感がすごくありました。いつの間にか、女子と全然話せなくなりました。最終的には女子と目も合わせられなくなってしまって、少し青春をこじらせていましたね(笑)」
その頃にはよく、図書館に行って読書をしていた。ホラー小説も好きだった。中学時代はスティーブン・キングを読んでいたが、高校ではディーン・R・クーンツをよく読むようになった。ハワード・フィリップス・ラヴクラフトをはじめとする「クトゥルフ神話モノ」の小説もよく読んだ。
少年時代を通して読書好きだったが、ずっと運動部にも所属していた。
小学5年生のときに卓球部に入り、中学時代も部活で卓球を続けた。高校ではサッカー部に入って汗を流した。
「小さい頃から『自分は集団生活が得意ではない』と気づいていました。でも、集団生活は人生においてとても大事なものだとも考えていました。集団生活は自分の人生から完全に排除できない。ならば集団生活に慣れようと思い、あえて運動部に入りました。部活を通じて集団生活の、楽しさ、ありがたさ、そして怖さを学びました」
高校時代はまじめに勉強をして、ストレートで大阪大学に入学することができた。
「大学受験はとても運がよかったですね。担任の先生には
『お前が受かるとは……』
と驚かれました(笑)。
兄弟が多いのでお金がかかる大学はやめておこうと思っていたので、自宅から通える国公立大学に受かってよかったです」
大学へは実家から原動機付自転車で通った。大学では今までやったことのない、ラクロス部に入った。
「当時はラクロスのルールすらよく知りませんでした。勧誘をしている先輩たちに、
『関西では小中高でラクロスをやっている学校はないから、全員初心者スタートだよ!!』
と言われて、だったらやってみようと思って入りました。そういうところの思い切りは妙にいいんです。ラクロス部の友達や先輩はいまだに何人かつながっていますね」
大学には5年間通って卒業した。
卒業したら、映像系か出版系の会社に就職しようと思っていたのだが、なかなか決まらなかった。
「大学を卒業して、実家でダラダラと履歴書を書いていたら、親に『金貸してやるから出ていけ!!』って言われてしまいました。とくにあてもないまま、独り立ちすることになってしまいました」
小学時代から付き合いのある友達がすでに東京で働いていた。澤村さんはその友達をたよりに、彼が住んでいる小田急線の千歳船橋駅の近くに移り住むことにした。無職だったから、親に借りている虎の子のお金が減らないよう慎ましく暮らした。
「上京して2カ月くらいたった頃、新聞広告でとある出版社のアルバイト募集を見つけました。さっそく面接に行くことにしました」
面接を受けたのは、都内にある中堅どころの出版社だった。面接に現れた編集長は真っ黒に日焼けした40歳くらいの男性だった。その横には金髪のツンツンにした不良っぽい人が座っていた。奥からは腕にタトゥーをいれた人がのそっと出てきた。正直、
「こわいなあ……」
と思ったが、面接には合格した。そして翌月から働くことになった。
「それまでにアルバイトは、本屋や生協のレジ打ちしかしたことがありませんでした。出版の知識も能力もまったくないので、なかなか仕事はできませんでした。また今までの人生では出会ったことのない、変な人ばかりがいて大変でした」
出版社での最初の2年間はかなりキツかった。うつ状態になってしまったり、心労から遅刻してしまったりしてクビになりかけた。