そして80年代末から90年代の前半にかけて、日本の漫画が爆発的に読者を広げる時代がやってくる。きっかけはある民放のテレビ番組だった。
その番組とは、民放TF1局の「クラブ・ドロテ」。1987年から97年まで、登校前の朝や放課後、学校の授業のない水曜日や週末にいくつもの枠を持った、ティーンエイジャー向けのカルチャー番組だ。
若いMCがトークや寸劇で間を繋ぎながら、シットコム(シチュエーションコメディ)やアニメなどのコンテンツを放送するもので、黄金期には朝から夕方まで8時間ぶっ通しの枠もあった。そこで東映アニメーション制作のアニメ作品が多数放送され、人気を博したのだ。
この「クラブ・ドロテ」が一世代を作るほどに決定的だったと、まさにその世代にあたるファズロ氏は振り返る。
「『ドラゴンボール』『北斗の拳』『聖闘士星矢』『うる星やつら』『シティハンター』などの作品が絶大な人気を誇りました。そこで夢中になった子どもたちが、翻訳された原作漫画を読むようになります。そこで放映されたアニメが原作から大きく改変されていたと知り、漫画の方にハマっていく人が続出したのです」
当時フランスの子ども向けのエンタメ作品では、暴力描写はタブーとされていた。「クラブ・ドロテ」で日本のアニメが放映される際にも、流血や暴力、暴言のシーンはあらかじめカットしたり、セリフをよりマイルドにしたりする改変を施した。それでもなお格闘もののアニメは論争を呼び、親たちが視聴を禁止する家庭もあった。
「ですが私たちの世代が日本のアニメ・漫画に惹かれたのは、まさにその刺激だったのです。力強い絵、息もつかせぬスピード感、攻撃的な登場人物の持つ情感……。漫画が備える挑発的な感性は、フランスに生まれ育った私たちの中にも確かにありました。その共感を与えるのが、遠く離れた国で作られた物語であることに、さらに強く惹かれたのです」
さらに同時期、同じ年齢層を対象に、日本からの家庭用テレビゲームの普及が重なった。この世代の熱愛する作品としてファズロ氏が挙げたのは、鳥山明の『ドラゴンボール』と大友克洋の『AKIRA』。個人的には桂正和の『電影少女』も愛読書の一冊だったという。
「80年代生まれの私たちの世代にとって、これらの漫画やアニメ、ゲームは『自分たちのもの』と感じられる文化になりました。アメリカ発のエンタメを愛していた父や兄のお下がりではない、パーソナルな愛着を日本文化に抱いたのです。漫画を原語で読みたくて日本語を学び、物語の舞台である日本を繰り返し訪れ旅する人、長期滞在する人が出てきたのも、私たち世代からでした」
日本政府がアニメ・漫画を軸にした日本製コンテンツの海外普及を「クールジャパン戦略」の名で推進し始めたのは、2010年。フランスでのアニメ・漫画の大流行は、それに10年以上先駆けていたのだ。
その90年代を境にフランスでは、日本の漫画作品を輸入販売するフランスの出版社が増えた。当初は日本漫画の専門書店による翻訳出版や、フランスのコミックス「バン・デシネ」の大手出版社が主流だったが、参入が相次ぎ、現代では文学系出版社やインディペンデント系出版社など、日本漫画の仏訳版の版元は20社以上に上る。
「現在人気タイトルのライセンスは、出版社間で入札合戦となっている状態です。特にヒットが見込める少年ジャンプ系の作品は、獲得争いが加熱しています。有力作品を見つけようと、フランスのバイヤーたちは日本の漫画界に目を光らせています。東京に事務所を構えて漫画家を発掘し、オリジナル書き下ろし作品をフランス発で出版、それをヒットさせて日本に逆輸入する出版社も出ています」