大正政略恋物語

母の願い・亀甲

（３）

　楓は言葉を発しながら、初めて会った時からの健斗とのやり取りを思い出していた。彼の変化と共に、また、楓も変わった。楓を変えてくれた健斗のことを、どうしても千鶴子に分かってほしいと思ってしまう。千鶴子を思いやる心の傍らで、楓の身勝手な想いが走り出してしまう。

「私も旦那さまも、最初にお会いした時は、お互いに分かり合うことは難しいだろうと思っていました。旦那さまは全ての女性を嫌っており、また私は、どなたに嫁ごうとも変わらないと思っていたのです。ですが、今では旦那さまの隣に立ち、旦那さまをお支えしたいと思っております」

　しかしそれは楓の本心だった。最初こそ齟齬があったが、楓は真実、健斗の力に、公私ともになれればいいと思っている。今は『私（し）』のみだが、辰雄たちに受け入れられたのちには、公の場でもそうできるといいと思っている。

「旦那さまは大変お仕事熱心な、とてもよい方でございます。私の着物の話にも耳を傾けて下さり、遠く海を越えてやってきたのにもかかわらず、日本の文化を理解しようとしておられます。今日の私のこの着物も、旦那さまのお見立てなのです」

　楓は自らの着ている熨斗文に薔薇の文様の着物の袂を撫でて、千鶴子に示して見せた。

「薔薇は旦那さまの母国の花なのだそうです。私にその花の着物を与えて下さったお気持ちを、私はしっかりと受け止めて、お支えして行きたいと思っております。そのことが、大旦那さま、大奥さまのご安心につながると、信じております」

　楓は千鶴子に向かって微笑んで見せ、そして次に卓を離れて頭を下げた。

「健斗さまは大奥さまのご子息とは似ても似つかないお方かもしれませんが、大旦那さまのお仕事を引き継いでご努力されていることだけは、ご理解いただけませんか」

　楓は無理を承知で、千鶴子に願い出た。懇願し、頭を下げたままでいると、戸惑ったように楓さん……、と名を呼ばれた。

「ご子息を喪われた大奥さまのお気持ちが私にわかるとは思いません。しかし、旦那さまもまた、実の親兄弟と別れてこの国に来ていることだけは、ご理解頂けませんでしょうか」

　楓の言葉に、千鶴子がはっとしたような顔になる。千鶴子は唇を震わせて瞠目した後、ああ、そう、そうだわ……、と小さく戦慄き呟いた。

「……確かに、私は息子の影ばかり追っていたけど、あの子は、国に何もかもを置いてやってきたのよね……。わたくし、あまりの姿の違いに嘆くばかりで、あの子の辛さや努力を見ようとしていなかったかもしれない……」

　自分の気持ちを見つめているようなその言葉は、千鶴子が確かに健斗を見た瞬間だった。

「わたくし、なんて酷いことをして来たのかしら……」

　眉を寄せ、うっすら涙をにじませて呟く千鶴子に、楓は立ち上がって寄り添った。

「大奥さま、気に病まれないでください。健斗さまは大奥さまのご心情とご理解なさっていらっしゃいます。その上で、大奥さまを気遣っておられます。大奥さまのお気持ちさえ癒えれば、旦那さまと良い関係が築けると思います」

　楓の言葉に、千鶴子も涙をぬぐう。

「そうなのね……。そうだと良いわ……」

　千鶴子の言葉に未来を見、楓は穏やかに微笑んだ。
　




「楓に助けてもらいながら、新たな企業とも契約を結べました。私は美しいものに価値があり、それが売れるのだと思っていましたが、楓が教えてくれる着物の知識を基に考えると、日本の織物には美しい以上の価値があることに気付けたのです。今では楓の支えなくして私は成り立たない。ですので、近々新しい顧客さまも招いて、楓のお披露目パーティーを催そうと思っています。養父上義母上にもご出席いただきたく」

　客間に残った健斗は、先日来の仕事の報告を行っていた。辰雄は上々の成果を聞いて、機嫌が良いようだった。

「お前は本当によくやってくれている。道雄（おとうと）が商売をやっていたからとはいえ、扱うものが違えば業界の常識も違ってくる。その上、国が変わっては、苦労は多かっただろう。感謝してるよ」

「会社にとって社長とは、結局、事業の展望を間違いなく示すことだと思っていますので、そう言う意味では私は幼い頃から道雄（ちち）に鍛えられていましたから、感謝をするとしたら、父にですね」

　健斗の言葉に辰雄も深く頷く。

「ああ、道雄にはいくら感謝してもし足りないくらいだ。息子を遠い海外に寄越すこと、兄（ジョージ）が居るとはいえ、道雄が立ち上げた事業を君たち二人に支えて欲しいという夢を絶たれたこと、そして夫人の心労が大きかったことを考えると、私はお前に全てを教えつくし、成功してもらわないといけないんだ」