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第四章

92. 生き延びて #

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 レオンスは、救護用天幕のなかで、衛生班の兵と共にアメデたちを捜しに行ったという捜索隊の帰還を待っていた。

 二度にわたって暴行と無理やりの性交を受けた体は、軋むように痛い。
 軍医のクロードや衛生班の兵たちが丁寧に手当てをしてくれ、痛み止めを飲まされたこともあって、幾分は耐えられている。だがそれでも、あちこちに鈍い痛みを抱えていた。
 腕を動かすだけでも顔を歪めるほどに、レオンスはボロボロであった。

 クロードには眠っていたほうがいいと言われたが、目が冴えている。
 レオンスは簡易ベッドの上で横たわりながら、じっと天幕の入り口を見つめ続けていた。シモンに助けられたときには夜の帳が降りていて、月明かりがぼんやりとあたりを照らしていたのに、そろそろ夜が明けそうだった。

「そう不安な顔するなって。あいつらのことは、シモンが見つけてくれるさ」
「はい……。そう、願ってます」

 レオンスが眠れないのは、アメデたちのことが気掛かりだったからだ。
 天幕の中で衛生班に手当てを受けている最中、外でやりとりされていた話をレオンスはうっすらとだが聞いていた。そのときは天幕を隔てているため会話は途切れ途切れにしか聞こえなかったが。アメデとオーレリーという名前と、捜索に行くという単語だけが聞き取れた程度だった。
 その後、大方の手当てが終わったところでレオンスはクロードに訊ねたのだ。
 先ほどの会話はなんだったのかと。

 そこでクロードは一瞬、躊躇いを見せたものの、アメデとオーレリーが見当たらないことと、同じくしてエドゥアールたちの姿もないことを教えてくれた。そして、彼らを捜すためにシモンがアルファの兵たちを連れて捜しに出たことも。

 行方がわからなくなったというアメデとオーレリー。そして、エドゥアールたち。
 その状況から何が想像できるのかは、レオンスが一番よく知っている。
 非道な指揮官の部下たちからレオンスが受けた仕打ちを、彼らが今この瞬間にも受けているかもしれないと思うと、背筋に冷たいものが流れる。
 目をつけられたのは自分だけだと思っていた。レオンスが大人しく、オメガらしく任務をこなせば、アメデたちを標的にはしないだろうと。だが、その考えは甘かったのだ。

 レオンスがシモンの手によって野営地へ戻ってこれたのは、昨夜のことだ。それからすぐにシモンは捜索に出た。
 もう数刻以上が時が経っている。けれどシモンは、いっこうに帰ってこない。

「さすがに少し寝ろ。お前にへばられて、シモンからねちねち言われるのは俺なんだからな」
「でも……」
「でもも、へったくれもねーよ。医者の言うことは聞けって前にも言っただろー」

 睡眠を促す薬を処方されそうになったが、それをなんとか断ろうとしたところ——。

 ドゥン! という轟音が一帯に響き渡った。
 逃げろ、という声と共に、さらにドゥン! ゴゥン! と轟音が響く。

「逃げろ! 天幕の中に留まるなっ!」

 誰の声かわからないが、避難の指示が上がる。
 体を起こしてみれば、天幕の布の向こう側が赤く染まっている。日の出の明るさではない。もっと真っ赤で、恐ろしい色が透けて見えている。遠くからゴウゴウという音が聞こえた。

「出るぞ、レオンス!」

 レオンスはクロードに手を取られ、簡易ベッドから起き上がる。傷や痣に響いて全身が痛んだが、歯を食いしばって、クロードと共に天幕の外へと出た。天幕内にいた衛生班の面々も、次々に外へと出てきた。
 そこには、朝焼けが始まる空の下、野営地の後方付近から炎が上がり、多くの矢が降り注ぐ光景が広がっていた。皇国軍の攻撃によるものに違いなかった。

「痛むかもしれんが走れ! 足がもつれても止まるな。こっちに来い!」

 瞬時に野営地の外へ目指したクロードに、手を強く引かれる。
 足を踏み出すたびに体に痛みが走ったが構っていられない。足を止めたら、待ち受けるのは火の海だ。

 ——生き延びねばならない。
 そのために今は、走るしかない。
 戦うためでも、勝つためでもなく、生きるためにこの場を捨てなければ……。

 必死に足を動かして、レオンスはクロードたちと共に野営地を抜け出し、呆然と立ち尽くしていた。
 そして、しばらくして——。

 エドゥアールはもちろんのこと、シモンも不在ではあるが、第八部隊の隊長と第九部隊の副隊長であるエジットの協議の結果、二つの部隊はこの地で白旗を上げる決定を下した。東の山々を越えてきた誇り高きブランノヴァ帝国の兵たちは、これ以上、この地で仲間を失う意味を見出せなかったのだ。

 直後、サブルデトワール川付近で続いていた戦いも、時期を同じくして降伏したとの情報が届いた。
 春の気配が近づき始めた三月も半ば。帝国軍はついに——皇国との戦に敗れたのだ。





 火の海から逃げ出して数刻——。

「………………何も無い」

 太陽は真上から燦燦と大地を照らしている。そこはあたり一面、焼けた森が続いていた。
 春先まだ早い、寒々とした空の下に聳えていた針葉樹も、その下に茂っていた草むらも、野営地としていた天幕や運んできた食糧も。目の前に広がるのは、焼け焦げた大地だった。
 レオンスが手当てを受けていた天幕がどこにあったかもわからないほど、そこかしこが無残に焼け落ちていて、チリチリと灰が舞い、残り火が燻っている。

(アメデ……オーレリー……。それに隊長……、シモン隊長……。どこにいるんですか……)

 レオンスはしばし、その光景をぼんやりと見つめていた。
 生き残った帝国兵はすべて、皇国兵によって捕らえられ、一ヶ所に集められていた。

 野営地から逃げ延びた帝国兵たちに、皇国兵は過度な戦闘行為を行わなかった。武器を持った兵はそれなりの対応を受けたが、武器を持たない兵たちは降伏を促された。地に膝をつき、両手を上げて頭の後ろに回せば、傷一つ付けられることはなかった。元より、野営地は焼け果て、抗えるほどの武力をレオンスたちは持っていなかった。
 すべてを殺戮しつくさずに、生かせる命を生かしてくれた皇国軍。帝国兵は圧倒的な国力差を見せつけられたのだ。

 多くの兵士は皇国兵によって拘束され、捕虜となった。
 しかし国自体が敗戦したのだ。然るべき措置がとられたのちに、祖国へ帰ることが許されるだろう。そのとき、もはや祖国と呼べる地はないだろうが。

 そして一部の帝国兵は、皇国兵の監視下ではあるが行方知れずの帝国兵を捜す許可を得ることができた。帝国兵のみでの行動は許されないが、それでも構わない。敗れた国から見れば、皇国がレオンスたちに与えてくれたのは寛大な処置だ。
 皇国兵によって指示を受けたエジットが、後ろ手を手枷で拘束されながらも捜索隊となる兵士を選定していく。
 皇国に歯向かう恐れのない者、強力な戦闘能力を有していない者、逃亡の恐れのない者……そういう者が選ばれ、捜索隊となっていく。その多くはベータで、アルファの者は選ばれない。また、騎馬班や歩兵、弓兵をしていた者も選ばれることはなかった。レオンスが見る限り、衛生班と支援班がその多くを占めている。

 レオンスはエジットに向かって告げた。

「副隊長。俺も行かせてください」
「レオンス……。しかし、君はまだ体のほうが……」
「大丈夫です。お願いします。俺も、シモン隊長を捜しに行きたいんです」

 そう告げれば、エジットは逡巡を重ねに重ねてから、一つ頷いた。
 監視の皇国兵からも「その体調でか?」と、心配の声が上がる。しかしレオンスは問題ないと答えた。たとえ止められてでも行くつもりだった。

 自分を助けに来てくれたシモンを、今度はレオンスが助けに行くのだ。

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