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第四章

91. 悪夢は続く

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「クロード! どこだ、クロード‼︎」

 麓に設けられたという野営地へ戻ってすぐ、シモンはクロードの名を叫んだ。
 騎馬で現れたシモンの姿に、野営地にいた兵士たちが僅かな動揺を見せる。

「おー、シモンか? お前、特攻隊はどうし……って、おい、それ……」
「説明はあとだ。レオンスを見てやってくれ。ヒートを起こしているが、耐えろよ」
「あ、ああ、それはもちろんだが。いったい何が……いや、とにかく診るのが先だな。おいっ、衛生班!」

 シモンの呼びかけに姿を現したクロードは、初めこそいつもの、のらりくらりとした雰囲気だったが、シモンの腕の中の人物を目に留めてからは瞬時に対応を切り替えた。頬に赤黒い痣を作り、弱々しく呼吸をするレオンスを見ながら、医師としての指示を飛ばす。
 救護用として設けられた天幕へ誘導され、シモンは処置台の上へレオンスを慎重に降ろした。

 シモンがレオンスを保護したときは意識もしっかりしていたが、馬上の移動は彼から体力を相当奪ってしまったのだろう。野営地に着く頃にはシモンの声かけに、辛うじて小さな返事を返すくらいに弱っていた。それでいて、彼から放たれる匂いはいまだ薄れていないので、発情が終わっているわけではない。
 しかし、レオンスが情欲を帯びないのはオメガがもたらす本能よりも、体が生命の危機を感じているからなのだろう。

(アルファは優性などと誰が言ったのか。こんな彼を相手にしても劣情を抱く者など畜生以下だ。私はやつらのようには決してならない)

 情けないことにアルファであるシモンは——そしてクロードをはじめとした他のアルファも——、レオンスのフェロモンに本能が刺激されてはいる。だが、ぐったりと目を閉じて顔を青くしているオメガ相手に、誰も欲をぶつけようとはしなかった。刺激されているのはアルファの本能ゆえだが、抑制が働いているのもまたアルファの矜持ゆえであった。

「……どうだ?」

 シモンはレオンスをクロードに預けてから、天幕の外へ出ていた。
 医療に関して、シモンがレオンスにやれることはない。軍では怪我をした際の応急手当は学ぶが、あくまで一時的なものだ。止血をしたり、傷口を火で焼きつけたりといった荒業でしかない。

 天幕の中ではまだ手当てが続けられているようだが、いったんの報告としてシモンのもとへやって来たクロードに、シモンは沈痛な面持ちで訊ねた。

「ヒートに関しては、発情促進剤を打たれたらしいから抑制剤を飲ませて様子を見てる。体のほうは……酷ぇもんだ。あちこち殴られたり蹴られたりして痣だらけだし、後ろのほうも裂傷があった。それにかなり衰弱しているな。ヒートでだいぶ弱っているし、体力を戻すためにも何か食べさせたいんだが、腹を相当殴られているから内臓のほうも心配でな……。そっちも様子を見ながら、まだ点滴だ。そのうち問題なさそうになれば何か口にさせる」
「そうか……。彼とは話せそうか?」
「ああ。意識もだいぶ戻ってきた。傷の手当てが終わったら声をかける」
「頼む」

 レオンスのことはしばし軍医と衛生班に任せ、シモンは野営地の様子を見て回るために足を踏み出した。
 するとそこへ、第九部隊支援班班長のジャンが青い顔をして駆け寄ってきた。その様子に救護用の天幕に戻ろうとしたクロードも思わず足を止める。

「シモン隊長。大変です」

 今度はなんだと、シモンとクロードはそれぞれ剣呑な表情を浮かべた。

「あいつらの……アメデとオーレリーの姿がないんです。それに、クープラン指揮官と、彼の部下も……」
「……っ。まさか……!」

 シモンがレオンスを見つけたときに伸した男たちは四人だった。
 しかしエドゥアールが帝都から連れてきた部下はほかにも何名かいるはずだった。そして、その者たちとエドゥアール本人、そしてオメガであるアメデとオーレリーの姿が見えないという。同様にして、第八部隊に所属する一人のオメガもいつの間にか姿を消しているという報告がシモンのもとに届いた。

 話を聞けば、ジャンはレオンスが組まされたという偵察隊にも加わっていたという。
 偵察隊はそこからさらに三つの班に分けられ、レオンスは意図的にエドゥアールの部下と、それに歯向かえないようなベータばかりを集めた班となった。ジャンのほか、支援班からはロワイエも偵察隊に加わったそうだが、支援班からはレオンスを含めてその三人だけ。そして三班が分かれて行動することになったものの、ジャンとロワイエは大した成果も得ぬうちに野営地へと戻るように指示を受けたらしい。
 偵察隊とは名ばかりで、もとよりレオンスを嵌めることが目的であったのだろう。

 だが、ジャンとロワイエが帰ってきてしばらくしてから、アメデとオーレリーの姿が見えないことに気づいたらしい。野営地内と、その周囲の捜索はすでに終えたが見つかっていないという。——嫌な予感しかしなかった。

「もっと砦のほうまで捜索に行っても構いませんか、シモン隊長」
「私も行こう。ほかにも兵を集めてくれ。早く動ける者と、オメガのフェロモンを嗅ぎ分けることができる者がいい。それとジョエルとアドルフにも声をかけてほしい」
「了解です……!」

 ジョエルはアメデの伴侶であり、アドルフはオーレリーの恋人だ。
 最悪の予想が当たってしまうのならば、彼らの本能が必要となる。しかしそれは同時に、最愛の人が受けている悲惨な状況を目の当たりにしなければならないことをも意味している。彼らの力を必要としないうちに、姿を消したアメデたちを見つけなければならない。

「クロード。レオンスを頼む。それから他の部下たちのことも。じきにエジットたちも戻るだろう。皇国への進攻は中止だ。もはやこれは戦争とは言えない」
「わかった」

 シモンは、ジャンと共に捜索の準備を急ぐ。
 ここまでそれなりの距離を駆けてくれた愛馬には、もうしばし頑張ってもらわねばならないだろう。馬具の状態を確認し、剣の手入れを素早く行ってから、シモンは再びテネブルの手綱を握った。

 どうか最悪の予想が外れているようにと願った。

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