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第四章

93. 捜索 #

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 敵国であった地の森をレオンスは進んだ。
 強制的に起こされた発情期ヒートは、抑制剤が効いたようで落ち着いていた。仲間だったはずのエドゥアールの部下たちに殴られ、蹴られ、嬲られた体は全身が痛んで悲鳴を上げているが、レオンスは泣き言一つ上げなかった。

 野営地を急襲され、森ごと焼き払われ、二つの部隊が白旗を上げてから二日。
 いや、ブランノヴァ帝国がベルプレイヤード皇国に敗戦してから二日が経ったこの日——レオンスは、フュメルージュ砦周辺を歩いていた。

 焼き払われた野営地周辺は、昨日のうちに隈なく捜索した。灰となった天幕の残骸の下、炭と化した倒れた針葉樹の間、黒く染まった草むらの中……それらの合間に、逃げ遅れた帝国兵の焼けた遺体が散らばっていた。
 その中にシモンの姿はなかった。いや、遺体の中には顔の判別がしがたいものもあったので、もしかしたら、というのはある。けれど、体格や身につけていた服装の残骸などからシモンではないと判断した。
 亡くなった帝国兵を埋葬して弔う時間はなかった。彼らには、終戦処理が終わったら必ず弔いにくると約束して、その場を離れた。遺品を持っていきたかったが、どれだけの量になるかもわからなかったので、それも後回しにした。

 一方で、生き残っていた帝国兵も僅かではあるが発見できた。
 火に飲まれて酷い火傷を負っている者、火傷こそないが逃げる最中に怪我をして動けなくなっていた者などは皇国兵が応急処置をし、瀕死の者はすぐさま軍医のもとへと運んでくれた。皇国の兵士は、力なく倒れる帝国兵にとどめを刺すことをしなかった。

(隊長……。シモン隊長……どこにいるんですか……)

 シモンは、アメデやオーレリーを捜しに行った。そしておそらくアメデやオーレリーは、禁じ手を実行すべくエドゥアールと共に来るように言いつけられ、野営地を出たのだろう。その間に野営地は火に飲まれ、レオンスたちは白旗を上げ、そして時同じくして帝国は敗れた。
 禁じ手が使われてしまったかは不明だが、エドゥアールがそれを実行するならば、敵のいるフュメルージュ砦付近で行う可能性が高い。ならばと、今日からは砦付近の捜索にあたっていた。

「あまり遠くに行かないように。それぞれに我が国の兵はつくが、くれぐれも悪さはするなよ」

 捜索隊に加わったレオンスたち帝国兵は、片方の足首に枷をつけられている。そこから長い鎖が伸び、担当の皇国兵がその鎖の端を持っている。鎖はそれなりの長さがあるので、捜索に不自由はない。
 逃亡や強襲は死を意味すると皇国兵に厳令されるが、捜索隊にいる帝国兵はそのような気持ちは欠片も持ち合わせていない者ばかりだ。皆、祖国の敗北を嘆くよりも、仲間の安否が気になっていた。そして、その仲間を自らの手で捜索してよいという皇国兵に感謝こそすれ仇で返そうなど思ってもいないのだ。

「……あれ」
 
 レオンスの視界に古ぼけた小屋が映った。遠くにあるので全容はわかりにくいが、平屋作りでこじんまりとした小屋だ。屋根の一部は剝がれており、壁もところどころ傾いている。廃墟と言っても差し支えないようなものだった。
 その小屋が、やけに気になった。

「ん、どうした?」
「あの、あっちの小屋って、なんですか?」

 ぼうっと遠くを見つめていた姿が不審だったのか、レオンスを監視していた皇国兵が声をかけた。それに、レオンスは視線の先を指差しながら訊ねる。

「ああ、あれは監視塔の予備品を保管しておくための倉庫だった小屋だな。数十年前までは使われていたんだが、随分と古くなったから、もう今は使われてない旧倉庫だ」
「あそこも見ていいですか?」
「廃墟同然だから何もないとは思うが、見るのは構わない。——おーい、我々はあっちの旧倉庫へ行ってくる」

 レオンスを監視している皇国兵がそう声をかけると、その場を取り仕切っている兵が問題ない旨を返して、レオンスは他数人の帝国兵と監視の皇国兵と共に小屋へと向かった。

 もしアメデたちがエドゥアールの毒牙にかかる前にシモンが助け出していたら、ああいう場へ逃げ込んでいないだろうか。
 そんな期待が頭をよぎっていたのだ。

 期待と不安を混じらせながら、レオンスは皇国兵と小屋に近づいていく。本当は駆けだしていきたかったが、体のあちこちが痛むので、走ることが難しかった。だから一歩ずつ、もどかしい気持ちと共に足を進めた。
 と、小屋に近づくにつれ——レオンスの鼻孔が、僅かな森の匂いを嗅ぎ取った。

「……隊長だ。……シモン隊長が、近くにいる……っ!」
「あ、おいっ!」

 ぽつりと呟いて、レオンスはついに駆け出した。
 走れないと思っていた体は、自然と前へ前へと足を進めていた。一歩踏み出したら、すぐに次の一歩を踏み出す。ジャラジャラと鎖が鳴って、片足は重く、何度も転びそうになり、足は幾度ともつれたが、レオンスは走っていた。体中が痛くて涙が滲んだが、どうしても駆けずにはいられなかった。

 突如駆け出したレオンスを、皇国兵が慌てて追いかける。ベータだという皇国兵はレオンスよりも大柄な男で、回復しきっていないレオンが走り出そうが、あっという間に追いついた。しかしレオンスは彼に気にかける余裕などなく、目の前の小屋へ視線をくぎ付けにしていた。

「いる……! ここだ」

 バンッと勢いよく、小屋の扉を開けると、室内の埃がぶわっと舞い上がった。
 ケホケホと咳き込む声が耳に届く。それはレオンスのものであり、それと同時に他の人間のものが混じっていることにも気がついた。

「……っけほ、けほ……。……レオンス?」
「アメデ? ……オーレリーも、そこにいるのか?」

 二人分の咳き込む声。その声に馴染みがあって、レオンスは二人の名前を呼んでいた。

「レオンス……、本当に君なの……?」

 舞い上がった埃を両手で払いながら、レオンスは目をしばたたかせた。
 小屋に入ってすぐ、埃が積もる床の上にアメデとオーレリーの姿があった。

「よかった、二人とも生きていて……っ。……そうだっ、ヒートは? 体は無事か?」
「うん、なんとか。怪我も、掠り傷だよ」

 レオンスは二人に駆け寄る。二人ともヒートを起こしているようだった。
 その様子に、皇国兵も少し距離をとってくれているものの、床に蹲る二人を注意深く見ていた。

「その人……皇国兵……?」
「あ、ああ。……帝国は負けたんだ。この地も、南の川でも。戦争は、終わったんだよ」
「そう……。じゃあ、僕たち、捕虜になるってことか」

 皇国兵を見るやいなや怯えた表情を見せた二人に、レオンスは状況を端的に伝えた。
 アメデはすぐに理解をし、隣にいるオーレリーも「そっか」と小さく呟いた。

 レオンスは、二人の姿をさっと確認していく。
 二人ともヒートを起こしているが、凌辱された様子はない。ということは、エドゥアールの毒牙にかかる前に何かしらの形で逃げることができたのだろう。アメデはその美しい顔に掠り傷をいくつか作っているが、そのほかに目立った外傷はなさそうだ。痛むところはあるか訊いてみたが、特にないという。

 オーレリーのほうは幾分状態が良くなく、足を捻っていて足首が腫れていた。腕にも痣がいくつかできていて、手首には強く掴まれた痕ができている。その愛らしい顔を彩る瞳にはまだ怯えが映っていて、もしかしたら何者かに暴行された可能性をレオンスに伝えていた。しかし辱めを受けた様子ではなかった。
 おそらく一方的に受けた暴力に今なお、体が竦んでいるのだろう。レオンスは、オーレリーのことをそっと抱き締めて、「大丈夫だから」と声をかけた。オーレリーはレオンスの腕の中で、うんうんと小さく頷いてくれた。

「それで、二人はなんでここに?」
「シモン隊長が助けに来てくれて……」
「っ、そうだ、隊長! 俺、隊長の匂いがして、ここに来たんだ。シモン隊長は? 近くにいるんだろ?」
「うん……。でも……」

 オーレリーから体を離して、レオンスはアメデに訊ねた。
 すると、アメデがそっと視線を小屋の隅へと移す。彼の視線を追って、レオンスもその先を見遣った。

「……シモン、隊長…………?」

 その視線の先、古い毛布が積み重ねられた上に、横たわる軍人の姿があった。
 シモンだ。シモン・ブラッスールが小屋の隅で、ぐったりと倒れている。レオンスが捜していた男が、そこに仰向けになって横たわっていたのだ。
 しかしその顔色は青白く、目は伏せられている。僅かに開いた唇から、ひゅうひゅうと呼吸音が小さく漏れていた。

 レオンスは慌てて、男のもとへと駆け寄った。

「隊長っ、しっかりしてくださいっ! シモン隊長っ! ……シモンさんっ!」

 ここに入ったときに、なぜ感じなかったのか。
 横たわるシモンの下肢は、真っ赤に染まっていた。そこには血溜まりができており、そこから漂う錆びた匂いが、シモンの深い森林の中にいるような安らぐ匂いを薄れさせていた。

 レオンスは思わず、シモンの肩に手をかけて、その大きな体を揺らした。

「レオンス、落ち着いて! 隊長は、まだ生きてるっ。生きてるから!」
「生きてる……? 本当に……?」

 たしかに触れた肩からは、微弱ながらも生きる者の鼓動を感じた。しかしレオンスの声に反応しない。瞼は落ちたままで、ピクリとも動かない。シモンは、本当に生きているのだろうか。

「おい、お前たち、そこをどけ! そいつを運び出すぞ!」

 いつしか小屋には、数人の皇国兵が駆けつけていた。レオンスと共に来た皇国兵が遠くにいた仲間を呼び寄せてくれたらしい。
 担架を持ってきていた彼らは、手際よくシモンの体を担架へ横たえていく。大柄なシモンを担架に乗せるのは鍛えた軍人でないと難しく、レオンスはその様子を見守るしかなかった。彼の体が持ち上がるとき、ぽたりぽたりと、下肢から血が滴り落ちた。それにレオンスは小さな悲鳴を漏らした。

 彼は、本当に生きているのだろうか。
 あんなに夥しい量の血を流してもなお、生きている?

 担架に乗せられ、シモンは運ばれていく。
 なにやら遠くであれこれ指示をする声が聞こえた。捜索隊に加わっている皇国の軍医が駆けつけてくれ、担架と並走しながらシモンの様子を診ていた。シモンが運ばれていく様子を、レオンスは呆然と見ていた。

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