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十七章トラウマと嫉妬

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 ボロボロに気絶している甲斐を労わりつつ、部下の車で久瀬家の病院へ搬送させた。怪我の具合は全身複雑骨折の大けがであったが、甲斐なら回復力も早い事は知っているので一か月程度で全快する事だろう。

 もはや人間離れした回復力に驚きはなくなったが、その甲斐をここまで追い詰めた白井の強さは相当だろうと思う。

 恐怖心が本来の甲斐の強さを制限されているせいでここまでボロボロにされたのだろうか。それでも白井の強さは規格外なのは一目瞭然だが、その白井を前にして戦った甲斐はさぞや辛かったはずだ。どうして自分がその場にいなかったのかと悔やまれる。仕事どころじゃなかった。

 オレが甲斐と離れている間、甲斐は何を考えていたのだろう。何に一番苦しんでいたのだろう。

 甲夜から様子を逐一聞いていたが、なんだか浮かない顔をしていたと言っていた。オレと離れているから寂しいと思ってくれていたからだろうか。それとも恐怖症が深刻だから?又は別な懸念が……?

 寂しいとか思ってくれたら嬉しいなと自惚れてしまいたくなるが……あんな精神状態だ。きっとそれだけじゃないような気がする。


 甲斐が緊急手術を受けてしばらく、移送された個室病棟へ向かう。部屋の扉を開けると甲斐は眠っている。先ほど意識が回復したと聞いていたが、疲れてまた眠ったのだろう。

 サイドテーブルの近くにあった椅子に腰かけ、甲斐の手をそっと握る。それだけで、この身に宿っているどうしようもない怒りが少しだけ和らいだ気がした。愛おしくて仕方がない存在が眠っているにも関わらずオレを落ち着かせてくれる。


「ん……」

 甲斐がゆっくり身じろいで目を覚ます。

「大丈夫か?」

 オレが甲斐の顔色などの状態を何度も確認しつつ声をかける。

「……な、お……っ」

 目覚めてよかったと安堵感に肩をなでおろすも、甲斐はオレを見るなり次第に顔を引きつらせ、布団を勢いよくかぶった。オレは呆気にとられていたが、布団の中で震えているのがわかった。

「甲斐……」

 やっぱりまだ、オレに対して恐怖心があるようだ。白井のせいで。

「直……俺……あんたの近くに……いたくない」
「……知ってる。白井とあの女の策略にかかっていたんだろ……」
「それも……あるけど……あんたは……」

 甲斐は思い詰めたように何かを言おうとする。

「や、なんでもない」
「甲斐……?なんだよ、はっきり言ってくれないか」

 なんだか煮え切らない甲斐にはっきり言っていいと促す。甲斐は少し間をおいて話した。

「なあ、あんたは……今の俺と昔の俺、どっちがいい」
「……え」
「150年前のカサタニカイか、今の俺か。どちらが好きかって訊いてんだ」

 甲斐がその質問の答えを強く要求してきた。なぜそんな事を訊くのだろう。そんなのは決まっている事だ。

「どちらも甲斐には違いないだろ。どちらも好きだよ」

 ごく当然な答え。そう思って口にした。

「…………そう。そっか。やっぱり……そうだよな」

 その声は妙に納得したような、ひどく落胆したようにも聞こえた。

「あんたからすれば、昔のカサタニカイも今のカサタニカイもどちらも同じなんだよな」

 ゆっくり布団を退けた甲斐の顔は、オレが見たことがないほどの感情が抜け落ちた表情をしていた。一瞬だけ意を決したような、諦めたような、オレでさえ怖気づきそうな冷たい無の顔だった。

「あんたは所詮、カサタニカイならなんだっていいんだ」

 いつもの甲斐じゃない。明らかに何かが変だった。そう思った時、扉が開いて子供達が入ってきた。


 *


「ママ!」
「母様!大丈夫ですか」

 子供達が心配そうに俺のベットの前にやってくる。この純粋に俺を想ってくれている表情と雰囲気を壊すのは忍びないが、これも

 俺は覚悟を決めたのだ。全てを捨てる事を。
  
 と――。


「……大丈夫だ。心配かけて悪かった。骨は全身折れていたけどすぐに回復する。まあ、心は大丈夫じゃないけどな」

 そう言った俺の顔はとても怖い表情をしている。自分でもわかるほどに冷たい無表情だろう。

「おかしゃ……?」

 俺は一番近くにいた直樹を見おろす。こんな恐ろしい顔は普通の子供なら泣いてしまうだろう。

「直樹、ダメなお母さんでごめんな。いっぱい怒って、直樹のわがまま聞いてあげられなかったよな。これからは別な人にお母さんになってもらいな」
「え、おかしゃ……なにいってりゅの?」
「ママ、一体、どうしたの……?」
「母様、どうかされたんですか」

 困惑する真白と甲夜。首を傾げている甲梨とじわりと泣きそうになっている直樹を前にしても、俺は冷たい顔をやめるわけにはいかない。

「あー……そんな事で泣きそうになるなよ、面倒くせぇ。おこりんぼのお母さんで悪かったよ」
「おこりんぼ……ちがう。おかしゃは……」
「ちがわねぇよ。お前は俺を嫌いなんだろう?おこりんぼお母さんを。これからもそんなお母さんと一緒にいたくないだろうから、これからは別なお母さんに思う存分甘やかしてもらえよ」
「っ、おかしゃ……そんな、どして」

 自分で言った事をふと思い出したのか直樹は涙ぐみながら青い顔をしている。

「甲斐っ、お前さっきからどうしたって言うんだよ。なんでそんな直樹に辛く当たるんだよ」
「うるせぇな」

 直の手が俺の肩を掴もうとするが、それを乱暴に振り払って今度は直を強く睨みつけた。

「もう付き合ってらんないんだよ。てめぇら家族ごっこに。仲良しこよしにな!」

 うんざりした顔で俺以外の全員に向けて言う。

「今生では本当の血の繋がった家族でもないのに、なんで家族ごっこなんてしなきゃならないんだよ。バッカみてぇ。ガキのお守りなんかしたくねえわ」

 途端、直にぴしゃりと頬を強く殴られた。

「っ……」

 初めてだな、両想いになってからこんな風に殴られたの。まあ、殴られて当然な事を言った俺が悪いのだが。

「甲斐、いくらお前でも言っていい事と悪い事があるのはわかるな。事情があったとしてもみんなに謝れよ」
「……謝らねぇよ。俺は本当の事しか言ってねーし。なんで?」

 そう言いながら、俺は鼻で笑いながら布団をかぶった。

「甲斐!!」

 かぶっている布団をどかそうとする直に抵抗する。直の馬鹿力ではさすがに敵わずにすぐに布団をどかされてしまうが、俺は面倒くさそうに耳をほじほじしながら起き上がる。

「あーやだやだうっぜぇ。家族ごっこにまだ付き合わなきゃなんねーの?勘弁してくれよ。150年前の母親がいいと思ってるくせに」
「何言ってやがるんだよ!お前は架谷甲斐には違いないだろ!昔も今も関係ないだろうが!」
「バカか。俺には関係あるよ。そういうどちらも選べない優柔不断な所……嫌いだ。お前なんか大っ嫌い」
「ッ――!」

 直が息をのんで怯む様子をこの目で見て、ああやはり本当にどちらも選べないんだと悲しくなった。

「……疲れてんだなお前……だからそんな事言って……」

 明らかに動揺して傷ついている直を見ても俺の口は止まらない。

「確かに疲れてるな。うざいお前らの相手するのに。優柔不断旦那のせいで」

 子供達は泣き始め、直の瞳に俺への失望の色が濃くなる。

「出て行ってくんね?お前らがいる狭い部屋は嫌いなんだ。家族ごっこはもう卒業してやる」

 それでカッとなったのかもう一度殴られて、勢い余って倒れた俺の両肩を押さえつけて、体をベッド上に縫い付けてきた。

「なんだって言うんだよッ!!どうしたって言うんだよお前は!いつもの甲斐じゃないッ!!」

 怒声をあげる直。それでも俺の口は饒舌に動く。

「いつもの俺じゃない?お前はさぁ、俺の何を知ってるわけ?何を見てきたの?俺は元々こういう性格だっつーの。お人好しぶってただけ。本当は何もかも面倒くさかった。戦いから逃げ出したかった。どうして戦わなきゃなんねーわけ。ぶっちゃけ痛いの嫌いだし、白井とかと戦うのも億劫で、いつもウンザリしてた。お前の事は愛してたけど、お前のメンヘラっぽい所と自分の事を棚に上げてるくせして嫉妬深い所、心底大嫌いだった。可愛さ余って憎さ100倍になりかけてきてるとこ。本性が出てるんだよ今の俺」
「本……性……?」
「俺さぁ、今あの鈴木って女の術にハマってんだ。思考力と判断力を鈍らせて麻痺していく香りを嗅がされたの。お前ならもう鈴木の正体は諜報活動で知ってると思うけど……でも、それだけじゃなかった。心の奥底に思った事すら吐き出しちまうんだって。使い方によっては自白剤の効果もあるらしいヨ~。てことは、これはまごう事なき俺の本音って事。あははははは!」

 もはや子供達も泣いている所か怯えて固まっている。俺がおかしくなったって茫然としているようだ。

「甲斐……お前、本当に……」

 直はこれが本当に俺なのかとひたすら疑いながらも、それが真実なのだと身に染みている様子だった。

「という事でさ、出てけよ。家族じゃないのがいる部屋なんかにいたくないだろ?てめえもガキも邪魔なんだ」





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