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二章禁断の愛の始まり
2ー10
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「でもまあ、減らず口を叩けるまでには回復してくれてよかったよ」
最初、矢崎を見つけた時は驚いた。
カイの家から出て家に帰る途中に、繁華街付近の公園に人影を偶然見つけたのが切欠。こんなどしゃ降りの夜更けに何やってんだと好奇心で見に行けばこいつが倒れていた。
かなりの高熱で体が冷たかった。時おり何かにうなされているようなうめき声をあげて、さすがの俺も放っておく事はできなかった。近所の野次馬などの目を感じて救急車を呼ぶわけにもいかなかったので、とりあえず家に連れて帰ることにした。
帰宅すると、俺がびしょ濡れで気を失っている矢崎を担いで帰ってきた事に親父と母ちゃんがまず驚く。ついでに未来も「お兄ちゃん、美形イケメン持ち帰るなんて聞いてないよ。ホモに走ったの!?」と大騒ぎ。んなわけあるかバカ!と適当にやり過ごしてすぐにベットに寝かせて着替えさせた。俺の部屋は瞬く間に矢崎の看病部屋に変わり、俺が寝ずに面倒を見ることになった。
幸いなことに丁度母ちゃんの親友の黒崎夫妻が遊びに来ていたので、事情を話すと率先していろいろ手助けしてもらったのが大助かり。
黒崎夫妻の旦那さんの一樹さんは内科医で、奥さんの早苗さんも看護師という頼りになる二人だ。その夫妻はありがたいことに高熱の矢崎の面倒を迅速な対応で診てくれて、肺炎一歩手前の風邪だと診断してくれた。危ない状況ではあったが、インフルエンザでもないし肺炎にまでならなくてよかった。
「寝ずの番しててすげぇ眠いけど、お前がそこまで回復してくれてやっとホッとした。ちなみにお前と一緒にいた子猫はとりあえず穂高に保護してもらってるから安心しな」
こいつがいいって言うならカイの家にでも二匹目ゲットとか言って飼ってやりたいな。
「なぜここまでする。オレはお前にひどい事しまくった。お前はオレを憎んでいるんじゃないのか?」
矢崎はまだ俺に警戒心を解かずにこちらを睨んできている。まあ、そう思うのは当然の事だよな。
「憎んでないと言えば嘘にはなるが、別に大して気にしてないってのが正直な話だ。俺、嫌なことはすぐ忘れるし、それにそういうのに慣れてるってのもある。助けたのはお前を更生させるためだっていうのも理由だが、お前が俺の前でくたばられても困るからだ。更生させるって事は、お前が元気で減らず口叩いてくれてないとやりがいもねーしな」
「なんだそれ……くだらねー。オレがどうなろうがお前になんの関係があるんだよ。更生とか理由にしてどうせ何か企んでんだろ。そういうのもううんざりだ」
矢崎はいつもと違って病気のせいかメンタルのせいか知らないが、覇気が感じられなかった。表情も暗くて目も虚ろだった。こいつらしくないなと思いつつも俺はいつも通りの態度を続ける。
「あのなー……俺はお前の言うとおり数学のテストで0点取るようなバカなんで難しいことはわからんし、お前がいう企みとやらを考えられるほどの知能もない。さっきも言ったが、人を助けるのに理由があるのか。お前がどんな人間だろうが、なんだろうがどうだろうが俺は助けるよ。根っからの悪人じゃない限りはな」
「テメエ……」
矢崎が腑に落ちない顔で俺を睨む。
「言ったろう?お前は本当は根は優しい奴だって。他人思いだって。その見立ては決して間違っちゃいない。きっと、まわりの大人達が悪かったんだろうな。お前の本当のよさを、本質を理解しようとしなかった。背後の権力ばかりが目について、矢崎直として認めてあげようとしなかった。だからやり場のない怒りをまわりに発散することでしか自分を保てなかったんだな」
こんな矢崎を可哀想に思う。いじらしいとも思う。
傍若無人にならざるを得ないくらいこいつはいろいろ溜め込んでいたんじゃなかろうか。そう思うと、こいつを憎む気なんておきない。
「なに、言ってんだよ……」
「何度も言う。お前は、根は優しい奴だよ。だって自分の体温を野良猫に分け与えられるくらいなんだから、お前は他人思いだ。優しさをちゃんと持ち合わせている」
俺は矢崎の目をじっと見て静かに訴えかけるように言った。
「また……テメエは……へんなこと、ばかり、言って…………」
矢崎の声が震えている。これ以上は矢崎のプライドを崩してしまいそうなので、タオルを矢崎の頭にかけて立ち上がる。
「とりあえず飯作ってくる。食え」
「……貧乏人が……食うような……メシを……か?」
矢崎はタオルで顔を隠しながら言う。声は依然と震えたまま。
「お前が普段食ってるような高級フレンチでも満漢全席でも高級料亭のメシでもないけど、舌がこえすぎてるお前には丁度いいと思うんだがね。少しくらいは食ってけよ」
そうして俺は部屋を後にした。
奴も一人になりたいだろうからな。
料理が出来て持っていく頃に少しだけ待って、扉の隙間から気配を立てずに覗けば矢崎はまだ震えていた。泣いていた。
涙を流していた矢崎の顔が恐ろしいほど綺麗で、俺は思わず面食らってしまったが、いつも通りの態度で接する事に徹した。動揺なんてしたら奴は意地を張って心を閉ざしそうだからな。
*
『きっと、まわりの大人達が悪かったんだろうな。お前の本当のよさを、本質を理解しようとしなかった』
そう架谷が言っていた台詞が脳内でループする。胸がざわざわして落ち着かない。胸が熱い。
架谷は……少なくともオレの背後の権力や金目当てで見るような人間ではないんだろう。今までの少ないやりとりで、奴はいつも誰に対しても同じ態度で、オレの事も御曹司だからって一目置いた態度ではなく、それを全く変えようとはしなかった。
オレを一人の人間として、矢崎直として見てくれていた。
最初は気にくわない奴だって思ってた。出会って間もないくせに何がわかる。何も知らないくせにオレの事を知った風にほざく生意気な奴だって思ってた。思ってたのに……今はどうしようもなく心は高揚していて、歓喜していた。
「メシ作ったからまあ食えよ」
15分くらいたった頃、架谷がおぼんの上に熱そうな土鍋を持ってきた。土鍋を開ける前から芳しい出汁の香りが漂ってきていて、蓋を開けると出汁の香りと共に湯気が大きくたちのぼった。半熟卵や椎茸が食欲をそそって、オレはつい架谷に訊ねた。
「これ、なんだよ」
「鍋焼うどんだけど。知らないのか?」
「し、知ってる……」
名前はどこかで聞いたことはあったが食べたことはなかった。いつも家では洋食ばかりで時々料亭で和食を食べていたので、麺類系の庶民の料理はほとんど口にしたことがない。おかしな庶民の食べ物は口にしてはいけないって言われていたからだ。でも……庶民が食べるようなB級グルメとかそういう物はいつも気になっていた。
「冷めないうちに食えよ」
「毒入ってねーだろうな」
「あほか。いれるかよっつうか毒なんて買えるほど金もねーし知識もねーっつうの」
矢崎家では必ず毒味をされる。毒に耐性だってつけられて、味気のない料理ばかり食べさせられた。だから毒味のない料理を食べれるのは自宅でだけ。生まれて初めて外で毒味のない料理を食べるんだってことで心臓は高鳴る。カップラーメンやたこ焼きは昔いた親友に食べさせてもらった事があるが、それも毒味をされたもの。手をつけられた料理ばかりしか食べたことがない自分を悲観したくなったが、今はそれもない。
オレはゆっくり箸に手をつけた。
麺類なんて例外を除けばほとんどパスタくらいしか食べた事がなかったので、うまくすすれない。その様子を架谷にくすくす笑われてイラついたが、味は……
「美味しい……」
悔しいがとても美味しかった。こんなの食べた事がないくらい……。
毎日味気のない管理された料理ばかり食べていたせいか、庶民の味がこんなに美味しかったなんて知らなかった。
「それならよかった。あんたの口に合うようで。たくさんあるから食えよ……って」
架谷の動きが止まる。こちらを凝視して固まっていた。
オレのはたはたとこぼれる涙に動揺しているのだろう。オレだってどうしていいかわからない。いつもの発作のような涙がとめどなくこぼれては止まらないのだから。
最悪だ。架谷の前でこんな弱味を見せる真似なんて……。
なんとかタオルでこぼれ落ちる滴を拭っても鼻の奥がツンとして目頭の熱さは止まらない。
嗚咽をこらえるオレを架谷は、
「泣きな」
一言そう言ってオレを懐に引き寄せていた。
抵抗することも忘れていたオレは動けなくて、ふんわり香る架谷の陽だまりのような匂いに包まれていた。
「野郎なんかの、特に俺なんかの胸を貸されてすっげぇ嫌だろうが、一度吐き出してすっきりしろ。お前に今必要なのはそれだ」
「な……んで……」
もがいて離れようとするが、架谷の奴は俺を抱き締めて頭を固定してきた。
「いいから言うこと聞いてろ。俺はウジウジしているお前なんて見たくないんだ。いつもの偉そうなお前でいてくれた方が何かとやりやすい。これから更生させるってのにそんなんじゃ先が思いやられる。とにかく……泣いちまえ。それで……いつもの偉そうなお前を見せてくれよ」
架谷が俺の後頭部を優しく撫でた。髪をとくように何度も何度も。
こんな野郎の胸の中だというのに、それが妙に心地よくて、安心して、温かくて、オレは声を押し殺して泣いた。
流れ落ちる涙が架谷の服を濡らし続けたが、その間架谷はずっと何も言わなかった。ずっと黙ったままオレに胸を貸し続けていた。
無表情……いや、瞳だけはとても優しい目をしていた。
この時、オレは不思議な気持ちだった。
満たされた事のない自分が、今心から穏やかになれて満たされているという事に夢なんじゃないかって。
誰といても、どんなにまわりに人がいても、決して満たされる事がなかった日々に一筋の光が差し込んだ気がした。
それが、まさかの……大嫌いな架谷の野郎だなんて悪い夢を見ているかのようで、でも全然悪くなくて。
オレはこいつといると寂しくない事を知った――――。
それと同時に、心の奥底にいたもう一人の自分が架谷の存在を大きく感じていた。
二章 完
最初、矢崎を見つけた時は驚いた。
カイの家から出て家に帰る途中に、繁華街付近の公園に人影を偶然見つけたのが切欠。こんなどしゃ降りの夜更けに何やってんだと好奇心で見に行けばこいつが倒れていた。
かなりの高熱で体が冷たかった。時おり何かにうなされているようなうめき声をあげて、さすがの俺も放っておく事はできなかった。近所の野次馬などの目を感じて救急車を呼ぶわけにもいかなかったので、とりあえず家に連れて帰ることにした。
帰宅すると、俺がびしょ濡れで気を失っている矢崎を担いで帰ってきた事に親父と母ちゃんがまず驚く。ついでに未来も「お兄ちゃん、美形イケメン持ち帰るなんて聞いてないよ。ホモに走ったの!?」と大騒ぎ。んなわけあるかバカ!と適当にやり過ごしてすぐにベットに寝かせて着替えさせた。俺の部屋は瞬く間に矢崎の看病部屋に変わり、俺が寝ずに面倒を見ることになった。
幸いなことに丁度母ちゃんの親友の黒崎夫妻が遊びに来ていたので、事情を話すと率先していろいろ手助けしてもらったのが大助かり。
黒崎夫妻の旦那さんの一樹さんは内科医で、奥さんの早苗さんも看護師という頼りになる二人だ。その夫妻はありがたいことに高熱の矢崎の面倒を迅速な対応で診てくれて、肺炎一歩手前の風邪だと診断してくれた。危ない状況ではあったが、インフルエンザでもないし肺炎にまでならなくてよかった。
「寝ずの番しててすげぇ眠いけど、お前がそこまで回復してくれてやっとホッとした。ちなみにお前と一緒にいた子猫はとりあえず穂高に保護してもらってるから安心しな」
こいつがいいって言うならカイの家にでも二匹目ゲットとか言って飼ってやりたいな。
「なぜここまでする。オレはお前にひどい事しまくった。お前はオレを憎んでいるんじゃないのか?」
矢崎はまだ俺に警戒心を解かずにこちらを睨んできている。まあ、そう思うのは当然の事だよな。
「憎んでないと言えば嘘にはなるが、別に大して気にしてないってのが正直な話だ。俺、嫌なことはすぐ忘れるし、それにそういうのに慣れてるってのもある。助けたのはお前を更生させるためだっていうのも理由だが、お前が俺の前でくたばられても困るからだ。更生させるって事は、お前が元気で減らず口叩いてくれてないとやりがいもねーしな」
「なんだそれ……くだらねー。オレがどうなろうがお前になんの関係があるんだよ。更生とか理由にしてどうせ何か企んでんだろ。そういうのもううんざりだ」
矢崎はいつもと違って病気のせいかメンタルのせいか知らないが、覇気が感じられなかった。表情も暗くて目も虚ろだった。こいつらしくないなと思いつつも俺はいつも通りの態度を続ける。
「あのなー……俺はお前の言うとおり数学のテストで0点取るようなバカなんで難しいことはわからんし、お前がいう企みとやらを考えられるほどの知能もない。さっきも言ったが、人を助けるのに理由があるのか。お前がどんな人間だろうが、なんだろうがどうだろうが俺は助けるよ。根っからの悪人じゃない限りはな」
「テメエ……」
矢崎が腑に落ちない顔で俺を睨む。
「言ったろう?お前は本当は根は優しい奴だって。他人思いだって。その見立ては決して間違っちゃいない。きっと、まわりの大人達が悪かったんだろうな。お前の本当のよさを、本質を理解しようとしなかった。背後の権力ばかりが目について、矢崎直として認めてあげようとしなかった。だからやり場のない怒りをまわりに発散することでしか自分を保てなかったんだな」
こんな矢崎を可哀想に思う。いじらしいとも思う。
傍若無人にならざるを得ないくらいこいつはいろいろ溜め込んでいたんじゃなかろうか。そう思うと、こいつを憎む気なんておきない。
「なに、言ってんだよ……」
「何度も言う。お前は、根は優しい奴だよ。だって自分の体温を野良猫に分け与えられるくらいなんだから、お前は他人思いだ。優しさをちゃんと持ち合わせている」
俺は矢崎の目をじっと見て静かに訴えかけるように言った。
「また……テメエは……へんなこと、ばかり、言って…………」
矢崎の声が震えている。これ以上は矢崎のプライドを崩してしまいそうなので、タオルを矢崎の頭にかけて立ち上がる。
「とりあえず飯作ってくる。食え」
「……貧乏人が……食うような……メシを……か?」
矢崎はタオルで顔を隠しながら言う。声は依然と震えたまま。
「お前が普段食ってるような高級フレンチでも満漢全席でも高級料亭のメシでもないけど、舌がこえすぎてるお前には丁度いいと思うんだがね。少しくらいは食ってけよ」
そうして俺は部屋を後にした。
奴も一人になりたいだろうからな。
料理が出来て持っていく頃に少しだけ待って、扉の隙間から気配を立てずに覗けば矢崎はまだ震えていた。泣いていた。
涙を流していた矢崎の顔が恐ろしいほど綺麗で、俺は思わず面食らってしまったが、いつも通りの態度で接する事に徹した。動揺なんてしたら奴は意地を張って心を閉ざしそうだからな。
*
『きっと、まわりの大人達が悪かったんだろうな。お前の本当のよさを、本質を理解しようとしなかった』
そう架谷が言っていた台詞が脳内でループする。胸がざわざわして落ち着かない。胸が熱い。
架谷は……少なくともオレの背後の権力や金目当てで見るような人間ではないんだろう。今までの少ないやりとりで、奴はいつも誰に対しても同じ態度で、オレの事も御曹司だからって一目置いた態度ではなく、それを全く変えようとはしなかった。
オレを一人の人間として、矢崎直として見てくれていた。
最初は気にくわない奴だって思ってた。出会って間もないくせに何がわかる。何も知らないくせにオレの事を知った風にほざく生意気な奴だって思ってた。思ってたのに……今はどうしようもなく心は高揚していて、歓喜していた。
「メシ作ったからまあ食えよ」
15分くらいたった頃、架谷がおぼんの上に熱そうな土鍋を持ってきた。土鍋を開ける前から芳しい出汁の香りが漂ってきていて、蓋を開けると出汁の香りと共に湯気が大きくたちのぼった。半熟卵や椎茸が食欲をそそって、オレはつい架谷に訊ねた。
「これ、なんだよ」
「鍋焼うどんだけど。知らないのか?」
「し、知ってる……」
名前はどこかで聞いたことはあったが食べたことはなかった。いつも家では洋食ばかりで時々料亭で和食を食べていたので、麺類系の庶民の料理はほとんど口にしたことがない。おかしな庶民の食べ物は口にしてはいけないって言われていたからだ。でも……庶民が食べるようなB級グルメとかそういう物はいつも気になっていた。
「冷めないうちに食えよ」
「毒入ってねーだろうな」
「あほか。いれるかよっつうか毒なんて買えるほど金もねーし知識もねーっつうの」
矢崎家では必ず毒味をされる。毒に耐性だってつけられて、味気のない料理ばかり食べさせられた。だから毒味のない料理を食べれるのは自宅でだけ。生まれて初めて外で毒味のない料理を食べるんだってことで心臓は高鳴る。カップラーメンやたこ焼きは昔いた親友に食べさせてもらった事があるが、それも毒味をされたもの。手をつけられた料理ばかりしか食べたことがない自分を悲観したくなったが、今はそれもない。
オレはゆっくり箸に手をつけた。
麺類なんて例外を除けばほとんどパスタくらいしか食べた事がなかったので、うまくすすれない。その様子を架谷にくすくす笑われてイラついたが、味は……
「美味しい……」
悔しいがとても美味しかった。こんなの食べた事がないくらい……。
毎日味気のない管理された料理ばかり食べていたせいか、庶民の味がこんなに美味しかったなんて知らなかった。
「それならよかった。あんたの口に合うようで。たくさんあるから食えよ……って」
架谷の動きが止まる。こちらを凝視して固まっていた。
オレのはたはたとこぼれる涙に動揺しているのだろう。オレだってどうしていいかわからない。いつもの発作のような涙がとめどなくこぼれては止まらないのだから。
最悪だ。架谷の前でこんな弱味を見せる真似なんて……。
なんとかタオルでこぼれ落ちる滴を拭っても鼻の奥がツンとして目頭の熱さは止まらない。
嗚咽をこらえるオレを架谷は、
「泣きな」
一言そう言ってオレを懐に引き寄せていた。
抵抗することも忘れていたオレは動けなくて、ふんわり香る架谷の陽だまりのような匂いに包まれていた。
「野郎なんかの、特に俺なんかの胸を貸されてすっげぇ嫌だろうが、一度吐き出してすっきりしろ。お前に今必要なのはそれだ」
「な……んで……」
もがいて離れようとするが、架谷の奴は俺を抱き締めて頭を固定してきた。
「いいから言うこと聞いてろ。俺はウジウジしているお前なんて見たくないんだ。いつもの偉そうなお前でいてくれた方が何かとやりやすい。これから更生させるってのにそんなんじゃ先が思いやられる。とにかく……泣いちまえ。それで……いつもの偉そうなお前を見せてくれよ」
架谷が俺の後頭部を優しく撫でた。髪をとくように何度も何度も。
こんな野郎の胸の中だというのに、それが妙に心地よくて、安心して、温かくて、オレは声を押し殺して泣いた。
流れ落ちる涙が架谷の服を濡らし続けたが、その間架谷はずっと何も言わなかった。ずっと黙ったままオレに胸を貸し続けていた。
無表情……いや、瞳だけはとても優しい目をしていた。
この時、オレは不思議な気持ちだった。
満たされた事のない自分が、今心から穏やかになれて満たされているという事に夢なんじゃないかって。
誰といても、どんなにまわりに人がいても、決して満たされる事がなかった日々に一筋の光が差し込んだ気がした。
それが、まさかの……大嫌いな架谷の野郎だなんて悪い夢を見ているかのようで、でも全然悪くなくて。
オレはこいつといると寂しくない事を知った――――。
それと同時に、心の奥底にいたもう一人の自分が架谷の存在を大きく感じていた。
二章 完
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