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第二章 エバートン家の別荘

16.二日目の戸惑い▼

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 どうやら私が過ごすこの別荘には、私とルシウス以外の人間は寝泊まりしていないようだった。

 時折シーツやタオルの交換でエバートン家の使用人のような人たちが部屋に入って来るが、言葉数の少ない彼らは私が何か質問しても曖昧に微笑むだけで、すぐに部屋を出て行った。

 ルシウスの言葉通り、必要なものは確かに揃っている。
 洗面所には一通りのスキンケアや化粧品があったし、どういうわけか私好みの香りの香水まで置いてあった。いったいルシウスはどうやってリサーチしたのか。もしかすると姉たちもこの滅茶苦茶な計画に加担している?

 ロカルドは今頃どうしているのだろう。

 婚約破棄の書類がカプレット家に届いたら、ルシウス経由で私の元に来るはずだ。おそらくロカルドのことだから、先ずは私の元に異議申し立てに来て、不在を知ると怒り狂って問い詰めるはず。でも、下手なことをするとエバートンから派遣された警備が取り押さえるだろうし、そうこうする内に諦めてくれると良いのだけれど。

(婚約破棄して直ぐに結婚だなんて……)

 名家の子息を手玉に取る気の多い悪女だと噂が流れそうだ。自分がマリアンヌに抱いていたような反感を、学園の友人たちも抱くのだろうか。私はべつに弄んだりしていないし、他人から寝取ったわけでもないけど。

 昨日の話を思い出す。
 どういうわけか、ルシウスは私に好意を持っているらしい。何故大して面識もない彼が私のことを好いているのかは判断に苦しむが、同居している以上、向けられるのが敵意でないことを喜ぶべきだろうか。

 一昨日も昨日もずっと部屋の中に居た。部屋の中にある本棚には上から下まで様々な小説が並んでいて、そのほとんどはミステリーやサスペンスもの。あと半年ぐらいは楽しめそうなラインナップに私は素直に感動した。

 でも、そろそろ外の空気も吸いたいところだ。


「……ねえ、」

 私はソファに座って本を読むルシウスに声を掛けた。一時間ほど前に部屋に来てから、彼はずっと音を発さずに座ったままだ。「話し掛けるな」と指示を出したのは私だけれど、さすがに申し訳なく思った。

「どうしたの、シーア?」
「外に行きたいの。海を見に行っても良い?」
「準備しようか」
「一人で行けるわ」
「そう言って逃げるんだろう?」

 力なく笑うルシウスに胸が痛んだ。

「逃げられないわ…逃げたくても」
「何れにせよ、君を一人には出来ない」

 手を取ってベッドから降ろされる。ここが何処だかすら見当も付かないのに、どうやって逃げるというのか。

 ルシウスに手を引かれたまま階下に行くと、キッチンやリビングを通過して玄関へ進んだ。白い長方形の玄関扉に据え付けられたドアノブを回すと、目の前にはもう砂浜が広がっていた。

「………海、」

 遠くの方で空高く飛んでいるのはカモメだろうか。
 靴を履くのも忘れて私は砂の上に足を踏み出す。

 太陽の熱を受けて少し熱くなった砂が、足裏に触れた。海に来るのなんていつぶりだろう。子供の頃、父の提案で両親と三姉妹で連れ立って来たのか最後かもしれない。

 夢中で歩き回っていたら、突然刺すような痛みが走って私は転んだ。目をやると砂の中に隠れていた瓶の欠片を踏んだようだ。3センチほどの切り傷から赤い血が流れ出ている。

「シーア…!」

 呆然としていると、後ろから来たルシウスが驚いた顔で私の名を呼ぶ。返事をする前にその両腕は私を抱き上げた。

「ちょっと!大袈裟よ、大丈夫だから、」
「黙ってて。家に帰って水で流そう」
「ルシウス…!」

 制止する声など聞こえないように、ルシウスは私を抱いたまま別荘の玄関を潜って、ずんずんと浴室まで進んだ。私の部屋にもシャワールームはあったけれど、どうやら大きな浴室も階下にあったようだ。

 冷たい水が足に掛かる。
 流れ出た血を落とすようにルシウスの指が触れた。

「痛い?」
「……少し、」

 水を止めると、自分のことのように悲しい顔をして俯く。何も言葉を発さないルシウスに再び抱き上げられて、私は部屋のベッドまで運んでもらった。

 部屋を出て行った彼はすぐに包帯を持って帰って来た。大袈裟に巻かれても困る、と抵抗しようとした矢先、ルシウスが不意に私の足を持ち上げる。

「……な、何をしてるの!?」

 怪我をした傷口の上に湿った舌が押し当てられて、私は驚きの声を上げた。そのまま足の指の間を這うように動くから、くすぐったくて身を捩る。

「んっ…やめてよ、そんな場所!」
「じゃあ、どこなら舐めても良い?」
「え?」
「君に触れたい。あわよくば抱きたい。でも、君は俺のことを拒絶する。爪先でも指先でも良いから、触れたいんだ」
「だからって、そんな犬みたいな……っあ、」

 数本の指を口に含まれて吸われると、自分でも聞いたことのないような声が漏れた。恥ずかしくなって足を引っ込めたくても、掴まれた足首はビクともしない。

 熱を持った碧色の瞳は、懇願するように私を見つめる。

「好きなんだ、シーア」
「やだ…舐めないで、いや……っんん」

 触れ合う場所が熱い。私はこれからこの一方的な愛をずっと無視することなど出来るのだろうか。同じ屋根の下で、二人だけで、寝食を共にしながら。

 そんなの地獄みたいだ。

 満足したのか、諦めたのか、ルシウスはやっと私の足から手を離す。見下ろす双眼はやっぱり狼のようで、私はズクズクと痛むお腹を摩りながら、自分はいったいいつまで耐えることが出来るのかとぼんやり考えた。






◆お知らせ

第二章に入る前に書くべきだったのですが、ルシウスが何故こんなに執着気味なのかは後ほど明かす予定です(魅了の類ではありません)。

愛が激重なので大丈夫な方だけお進みください…
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