15 / 76
第二章 エバートン家の別荘
15.一日目の告白
しおりを挟むルシウス・エバートンという男について私が知っていること。
少し癖のある黒髪にアーモンド型で碧色の目。ロカルドよりわずかに背丈は低いけれど、肩幅や腰回りは鍛えているのか太く男らしい。そのためか、ロカルドを前にしてもまったく感じたことのない威圧感を、ルシウスからは感じた。まるで牙を隠し持った肉食動物と対峙しているような。
ロカルドの友人として認識はしていたが、私はルシウスについてあまりに無知だった。廊下ですれ違うことはあっても、会釈すら交わさない間柄だったし、そもそもロカルドが学園で私との接触も持たがらなかったためだ。まともに紹介されたかすら、記憶が定かではない。
でも、その名前は鮮明に知っていた。
特進クラスに身を置くロカルドやルシウスは、私を含め一般クラスから羨望の眼差しを受ける。それは一種のカルト的なもので、私たちは彼らの動向をいつも話のネタにして花を咲かせていた。もちろん、ロカルドを婚約者に持った私に対しては厳しい冷遇もあったけれど。
ロカルドに次いで、ルシウスまでもと婚姻関係になったら周囲からは確実に孤立する。農業なんて今時儲かる分野でもないのに、どうしてミュンヘン家もエバートン家も我が家と手を組みたがるのだろう。
父であるウォルシャーが余程上手い口車で彼らを言いくるめたとしか思えない。すべてを知っているであろう父親のことを考えると、また怒りが込み上げてきた。
「……シーア、入って良い?」
小さな声と控えめなノックの音が聞こえた。
入って来ないでと言ったら彼は永遠に許可が降りるのを待つのだろうか。そんな意地悪なことを考えながら適当に返事をすると、片手に銀の盆を持ったルシウスが入って来た。
「朝食を用意したんだ。食べられる?」
「食欲はないの、結構よ」
「水だけでも良いから飲んで」
差し出されたグラスを渋々受け取った。
「毒でも入ってない?」
「先に飲もうか?」
「ええ、お願い」
ルシウスの唇がグラスの縁に触れて、透明な液体が少し流れ込んだ。ごくりと喉を鳴らすと「ほらね?」と私に渡す。私は仕方なく残りの水を飲み干して突っ返すように、グラスを彼の手に押し付けた。
昨日、ルシウスは私と夫婦になる準備をすると言った。この隔離生活はそのためのものであると。私だって馬鹿ではないから、その言葉が単にお揃いのパジャマを着て手を繋いで眠ることを意味するのではないと分かっている。
つまり、身体の関係を持つことであると。
「何を考えているの?」
ルシウスは不思議そうに首を傾げた。
私は心の中が探られないように目を逸らす。
「最悪だなと思っていたの、何もかも」
「君が乗り気でないことは知っているよ」
「ロカルドと婚約破棄出来たと思ったら次は貴方?良い加減にしてほしいわ、私はものじゃない」
「交わす予定だった初夜の相手が変わっただけだ」
「私はロカルドのことを愛していたわ…!」
言葉が飛び出た瞬間、ハッとして口を押さえた。
いくら何でも失礼な発言だ。ルシウスだって家の命令で私の相手をするだけなのに。私たちはお互い被害者であって、ただ彼はそれを知らされていただけのこと。
傷付けるようなことを言うべきではないのに。
「ごめんなさい、貴方の意思ではないのよね。恨むべきは私たちの両親よ。家の問題に子供を巻き込むなんて」
「そういうわけでもないよ、シーア」
「どうして…?」
「カプレット子爵に結婚の提案をしたのは俺だ」
私は目を見開いてルシウスの顔を見つめた。
冗談を言っているのではないかと思った。
「これは家の問題だけじゃない、俺の希望でもある」
「………なんで…貴方が、」
「君のことが好きだから」
「……ルシウス…?」
いったいどうして気でも狂ったの、と笑い飛ばして背中でも叩けたらどんなに良いだろう。私はなぜ彼の提案に乗ってノコノコこんな場所まで来てしまったのか。
いつの間にか背中に回された手が私を抱き寄せる。絡まる視線が外せない。こんなことなら、鉄アレイなんかじゃなくて防犯用のブザーでも忍ばせておいた方がよっぽど良かった。
「触らないで…!」
「急がなくて良いんだ、今すぐじゃなくても」
「貴方のせいなのね!全部知ってて…!」
「最後には受け入れて…お願いだ、シーア」
切ない声音を聞きながら私はルシウスの胸を叩き続ける。
黙って私を騙したくせに、どうして彼がこんなにも傷付いた顔をするのか分からなかった。
73
お気に入りに追加
1,553
あなたにおすすめの小説

【商業企画進行中・取り下げ予定】さようなら、私の初恋。
ごろごろみかん。
ファンタジー
結婚式の夜、私はあなたに殺された。
彼に嫌悪されているのは知っていたけど、でも、殺されるほどだとは思っていなかった。
「誰も、お前なんか必要としていない」
最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。
だけどそれも、意味のないことだったのだ。
彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。
なぜ時が戻ったのかは分からない。
それでも、ひとつだけ確かなことがある。
あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。
私は、私の生きたいように生きます。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
【完結】365日後の花言葉
Ringo
恋愛
許せなかった。
幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。
あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。
“ごめんなさい”
言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの?
※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。

魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。
【完結】夫は私に精霊の泉に身を投げろと言った
冬馬亮
恋愛
クロイセフ王国の王ジョーセフは、妻である正妃アリアドネに「精霊の泉に身を投げろ」と言った。
「そこまで頑なに無実を主張するのなら、精霊王の裁きに身を委ね、己の無実を証明してみせよ」と。
※精霊の泉での罪の判定方法は、魔女狩りで行われていた水審『水に沈めて生きていたら魔女として処刑、死んだら普通の人間とみなす』という逸話をモチーフにしています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる