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魔女と魔獣 2

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「……この髪が目立つせいか、時々、へんに関心を持たれてしまうことがあるのですわ……」

フードを被っていると褐色にも見える真紅の髪。イザベルのこの鮮やかな血の色の髪は、強い魔力を多量に保有する証でもある。
くらい紺碧の瞳も魔力を帯びると希少な紫色バイオレットに見えたりして、イザベルには見透かすような冷ややかな印象が常につきまとう。
だからなのだろうか? 
誰にも打ち明けたことはないが、イザベルは犯罪者や危ない人を引き寄せてしまうマグネットな体質らしい。
幼い頃からしょっちゅう、時には雇ったばかりの御者にさえ連れ去られかけて、イザベルは自分を守るため怯えや不安を顔に出さなくなった。
無表情で不気味な子。可愛げがない、などなど。言われるまま年頃になってもこのはた迷惑な体質は変わらず。その上、実直そうな令息方には遠巻きにされ、イザベルが好意を抱くチャンスもない。


それでも、デビュタントだった頃は、たまにダンスに誘われた。やっと普通のかたと出会いが……と思いきや、実はそうでなかったのもしばしばだったけど。ーー思いきりののしりながら足蹴にして欲しいなどと懇願されて喜ぶ令嬢がどこにいるのか。
そんな冷たい美貌のイザベルが、デビューして間もなくのこと。

「はじめて、結婚の申し込みをいただいたのですが……」

伯爵家の嫡男だと言う男は、見た目はよかった。だが、上位貴族の申し出は断りにくいのをいいことに、大した面識もなしで一方的に婚約を言い渡してきた。
「愛妾には目をつむれ」などの暴言を吐く女癖が悪い男は、結婚相手として逆らえない若い令嬢を求めていた。
釣った魚に餌をやらないどころか、贈り物や手紙さえ寄越よこさない男との結婚などイザベルは切実にお断りしたかったが、父のメローズ子爵は貴族内のどの派閥にも属しておらず後ろ盾がない。
だから、この婚約が学園で話題になり、「玉の輿ね~」とからかわれたタイミングで、せめてもの意趣返しにとニッコリ笑ったのだ。

『ふふっ……私の趣味は、呪詛探究だけでなく毒薬研究もですわ。ーー夫になる方もワインなどと間違えてうっかり誤飲なさらないことを祈ります。この手の事故など、珍しくもありませんわ』

底なしの深淵を思わせる紺碧の瞳がふっと冷たく光り、他者をすくませるその氷の微笑は魔女と呼ばれるに申し分ないものだった。
ーーそう。効果があり過ぎて、学友は一斉に引いてしまい、あの令嬢は研究と称して身近な人を実験体に……などと噂が飛び交った。結果、当の伯爵家の婚約破棄だけでなく、他家からの縁談話もその後ぷっつり途絶えた。
こうなってしまったからには、噂を払拭するほどの良い条件ーー多額の持参金をそろえるしかない。でも、メローズ子爵は趣味に資産をつぎ込む残念な人で、とてもじゃないが期待できない。
ーーだったら、自力で稼ぐわ。
幸いにも、イザベルの得意とする解毒や解呪の研究は希少な光魔法の代替魔法として有益だと認められている。イザベルは魔導士を目指し、ますます社交界から遠のいた。


こうして、表情を殺して黒釜を淡々とかき混ぜるイザベルは、赤い魔女と呼ばれだした。
宮廷魔導士になった今でも一歩引かれて。魔境で大蛇に出会った日など、パーティを組んだ騎士や同僚は魔獣の群を見るなりイザベルを置いて逃げ去ったのだ。のみならず、王都に帰ってもタチの悪い輩にからまれっぱなしのこの男運のなさ。
ーーこれは、イザベルが今まで誰にも口にしなかった、行き遅れまっしぐらへの裏話である。
噴水の縁に座り込んだ赤い魔女は、大蛇を相手に黒歴史を暴露しながら、気恥ずかしさゆえに両手いっぱいに持った屋台の焼き鳥や菓子を頬張り、やけ食いに走っていた。
ふと気がつけば空は茜色で、両手も空っぽ。あったはずの食べ物はすべて消えている。
屋台から香ばしい匂いが漂ってきて、近くで上がった子供たちのはしゃぎ声にイザベルは自分がどこにいるかをにわかに思い出した。
……らしくないことをしてしまった。噴水の音で周りに聞こえないとはいえ、無防備にも胸の内を喋りっぱなしだ。
「もっといるか?」と大蛇に問われたイザベルは、首をゆっくり横に振った。

「いえ、もう十分ですわ。そろそろ邸に戻りませんと」

腰を上げかけたイザベルの頭を、なぜだか大蛇が尻尾で撫でてくる。
無性に恥ずかしくなったイザベルは、立ち上がって急いで話題を変えた。

「そういえば……ここではどうして、悪漢たちを生かしておくのですか?」

治安は良いはずなのに魔境からの帰路でも盗賊に襲われた。今日のように剣を振りかざし周りを取り囲んだ賊に、大蛇は無慈悲で容赦なかった。

「……この地はテリトリー縄張り外だ」

ーー縄張り……? ふうん。至極魔物らしいと言えば、らしい見解なのかもだわ。
大蛇は衛兵がいる街では人を殺さない。昨夜半殺しにした男は、たまたま通り魔的に襲われて加減が……などと言っていた。
だけど……なんとなくだけど。それだけではないような?

「……あまり気持ち良くないだろう。見ていても」

ーー意外だ。けど確かに、イザベルは魔法であれ武器であれ争いは好きじゃない。
大蛇がふっと笑ったような気がした。

「まあ相手によっては……容赦しない」

ああやはり。そう思うとどうしてだかイザベルは安心した。つられて口元が緩まるのを慌てて引き締める。
この大蛇は残忍だけど、慈悲も併せ持つ。
今も尻尾でイザベルの髪を撫でた後、見守るように肩に頭を乗せてくる。
そう意識した途端、ドキンとイザベルの胸が高らかに鳴った。
ーーあ、どうしてこんなに胸がキュンとするの……?
自分のこの反応に、戸惑いを隠せない。王都の外れにある森道を黙々と歩くイザベルは、ついつい大蛇の顔を何度も盗み見ていた。

「なんだ? 私の顔に何か付いているか……?」
「いえ。蛇だなあと思いまして……」
「何を言っている?」

切れ長の三白眼。シャープな顎。長い長い胴体は青緑と金の斑紋模様。ーー今さらながら、どこからどう見ても立派な蛇である。
けど。大蛇だけど。人をも食らう魔獣なのだけれど。
ここのところ、この蛇と一緒にいると切ないような温かな気持ちにさせられることも多くて。相手は魔獣の大蛇だと、イザベルは心の中で何度も自分に言い聞かせる。
言葉に詰まったイザベルの動揺などお構いなし。大蛇はひどく現実的な意見を述べた。

「まあよい、それより夕食だ」
「……きっともう、出来ていますわ。こんな時刻ですもの」

イザベルが近づくとキィと音のする古い魔導具の門が開いた。郊外の森の中だけあって敷地は広大だが、堅牢な外壁に囲まれた館はいい感じにうら寂れている。不気味な感じのする魔女の館と呼ばれるメローズ邸は、今すぐ手入れを必要としていた。

「もう暗い。今日は魔草の間引きをする時間はないぞ」
「わかっていますわ」

もう少し早く帰ってこればよかった。
裏庭に続く小道に視線を向けたイザベルは、植物が生い茂った敷地に目を戻す。と、玄関扉の前には執事が立っている。
色とりどりの花が咲き乱れる前庭をゆったり歩いて、緑の香りを吸い込むイザベルの身体から大蛇はするりとすべり下りた。老齢にかかる執事は丁寧に腰を折って迎える。

「お帰りなさいませ」
「ただいま、セバス。晩餐は整っているかしら?」
「もちろんでございます。先にお召替えになさいますか」

後は任せたとばかりイザベルは自室へ向かった。魔導士のローブを受け取った執事は、大蛇にもごく慇懃な態度で接する。

「食堂へご案内いたします」
「うむ、ご苦労。ではイザベル、私は先に行っているぞ」

階段を登る途中で声をかけてきた大蛇に、イザベルは軽く頷いた。
大蛇はこの邸では皆に聞こえるように話すことが多い。メローズ邸は貴族の屋敷には珍しく王都の中心からかなり外れた郊外の森の中に建っている。得意の土魔法で管理された広大な庭を持ち、プライバシーが守られた屋敷に大蛇がいても見咎められることはない。

「本日は珍しい香辛料が手に入ったとシェフが申しておりました。ご期待ください」
「そうか、それは楽しみだ。いつも期待以上で驚かされるからな」

だからなのか、大蛇は堂々と廊下を這って移動する。そんなことをしたら怖がられるんじゃないかと最初は思ったが、妙に貫禄ある姿はその特性を発揮しつつだからか、普通に受け止められている。
初めて大蛇を腰と首に巻いて帰還した日は、悲鳴を上げて気味悪そ~うに遠巻きにしたメイドたちも、今ではすっかり慣れた感じだ。
何よりこの大蛇、話し方に品があり粗暴な感じがせず、食事マナーまでもが完璧だ。
イザベルが着替えを済ませ降りてくると、大蛇は椅子の上でとぐろを巻き、魔法でカトラリーを操って満足そうに食している。
どう見ても異様な光景なのだが、誰も何も言わないどころか、にこやかに給仕に徹していた。

「遅れまして、申し訳ございません」
「ああ。イザベル、今夜のメインディッシュメインのソースはコクがあって素晴らしい。南の香辛料が隠し味として用いられている」

その上、大蛇の口から飛び出すこのセリフ……この蛇はかなりの食通だ。子爵我が父と通じるものがある。でも父と違って、たかが香辛料ごときに大枚を払ったりしない……と思いたい。
イザベルは大蛇の向かいの席に座ると、ついこめかみに片手を当てた。

「それはようございましたわ」
「どうした、気分が優れぬのか。頭痛の類か……?」

大蛇が蛇の尾で合図すれば、給仕が素早くイザベルのグラスにワインを注いでくる。
その阿吽あうんの呼吸の連携に、イザベルの胸中はますます複雑になった。
ーーこの短期間で、どうやって……? 邸の者たちが見事に手懐けられてしまっているわ……
イザベルは天井をぼんやり見上げた。子爵の道楽で傾きかけた身代屋敷も綺麗に修繕されている。どころか、一流の飾りつけが施され随分と立派な仕上がりだ。
そういえばーー屋敷中あちこちにあった雨漏りや水漏れ跡も、見かけなくなった。……この大蛇が子爵が求めた幻の調味料を所持していたのも、今ならうなずける。アレほどの食い道楽は他にいないと思っていたから、あの時は怪しんだけど。
黄金より高いとされる幻の調味料を贈呈された子爵は、王都ここに心残りなしと領地に飛んで帰った。
大蛇はこの屋敷に居座る権利をもぎ取ったのだ。
イザベルは改めて、器用にフォークを操る姿に視線を戻した。

「……果物だけを少しいただいても? 先ほど、食べ過ぎてしまったようですわ」
「ああ、そうだったな。今晩は早く休むとよい」

出てくる料理はシェフが張り切って腕を振るうので、とても美味しいし……文句のつけどころがない。まるで見違えた我が家を実感したイザベルは、食事を終えると着替えもせずそのままベッドに仰向けになった。令嬢にあるまじき行儀だとよくよく分かっていても、気が抜けたように放心してしまう。

「お嬢様。湯浴みの後のお着替えは、こちらの夜着をどうぞ」

古参のメイドがテキパキ準備をし始めて、慌てて起き上がり湯船に向かう。

「素敵な生地ね。ーーこんなの持っていたかしら?」

ふんわりした夜間ドレスは見覚えがない。湯浴みを済ませたイザベルは胸の大きく開いた大胆なデザインに袖を通すのを手伝ってもらいながら、不思議に思って尋ねた。

「大蛇様のお言いつけで、新しく買い足しました」
「っ……」

イザベルはふて寝を決めた。
誰もかれもが二言めには大蛇様、だ。
自分だって邸の状況には心を痛めていた。ドレスを新調するのを後回しにしてまで、父に代わって最低限の維持だけはしてきたつもりなのに。
……邸の裏にある魔草畑の手入れや、魔道具にかけられた呪いを解くといった小金稼ぎアルバイトをすると、大蛇に呆れられたのを思い出し胸の内のモヤモヤはさらに膨らむ。
今晩はもう、早々に寝てやる。
自分でも何が気に入らないのか分からない不機嫌なイザベルが、暗い部屋で頭まで寝具の上掛けをかぶってベッドに横になっていると様子を伺うように扉がそっと開いた。

「もう寝たか?」

大蛇の低い問いにも、わざと返事をしない。
……今夜はそう、たとえ身体を弄られても、ぜったいに喘いだりしないわ。
硬い決心をしたイザベルだが、大蛇が近づいてくる床が擦れる音で身体が勝手にびくっと震える。けれども、枕元にきた大蛇はすぐに動かなくなった。
しばらくしてイザベルがそうっと寝具を持ち上げれば、とぐろを巻いたマリンブルーの瞳がこちらをじっと見ている。
とっさにふいと顔を横に向けたら、今度は蛇の尾が髪を優しく撫でてきた。気遣うような撫で撫では、いつまでも止まらない。
意地を張っていつまでも目を閉じたまま大蛇を見なかったイザベルだが、髪を撫でられる心地よさにやがて深い眠りに落ちていった。
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