3 / 24
魔女と魔獣
しおりを挟む
魔導の都として発展するカラート魔導王国王都ーーカラン。
その中心に、端から端まで馬で移動するほど広大で、堅牢な外壁に囲まれた王国の王城がそびえ立つ。
イザベルの仕事場である魔導研究所は、その広い敷地の外れにある建物だ。
危険な魔法実験にも耐えうる結界が張り巡らされた広い作業部屋では、現在ローブ姿の魔導士たちがいくつもの黒釜を取り囲んでいる。
「……イ……ル、イザベルったら! 魔力を込め過ぎじゃない?」
「ぁ……」
温かい湯気が高い天井まで上がる中、その一つをぼんやりかき回していたイザベルは、背中からかかった声にハッと我に帰った。
ーーしまったわ。っポーションは無事かしら……?
ぐつぐつと煮え立つ釜の制御に集中するが、時すでに遅し。過多な魔力注入によって、目前の大釜の中身は異形の塊になっていた。素材たちが採集期の状態に逆行している……これは、完全にやり直しだ。
大きなスプーンをかき回す手を止めると、視界の端に捉えた異様な動きにイザベルは思わず二度見した。素材の一つが、今まさに黒釜から脱走寸前である。
「逃さないわ!」
足を生やしたカブの魔草に、手を伸ばしつつ叫ぶ。
「あっ、虹蜥蜴の尻尾がっーー飛んで逃げるわ!」
縁をよじ登り逃走をもくろむ素材たちを同僚たちと追いかけ、おろしたり千切りにしたり、火でアブって粉状にしたりと、もう一度下処理に取り掛かる。そうしてまもなく、やっと騒ぎがおさまった。
よく通る女性の声が「皆、ご苦労様」と労いをかけてくれる。
「はあ~~。とりあえず……今日はここまでね。続きは休み明けにしましょう。さいわい素材はすべて回収できたわ」
伯爵家の次女であり、現場の責任者でもあるボルガ室長ことファリラ・ボルガは、石臼から手を離して額の汗を拭った。山亀型魔獣の甲羅を魔法で焼きながらすり潰すのは、結構骨が折れるのだ。
「ボルガ室長。それに皆さんにも多大なご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ありません……」
何人もの魔導士が連日交代でポーションを煮詰める。この作業は、魔力の匙加減が鍵だ。イザベルは魔力制御には自信があっただけに、このケアレスミスはこたえた。
珍しくうなだれたイザベルに、魔導学院時代からの先輩であるファリラは苦笑いだ。
「ーー貴女らしくないわね、こんな失敗」
学院時代にファリラがつけたイジィという呼び名はどこか幼い感じがして、くすぐったい。でも、魔女と呼ばれるよりずっといい。
「まあ、遅れはすぐ取り戻せるわよね? 魔境からの貴重な素材も、ほとんど貴女が持ち帰ったものだし。ーーこんなにたくさんの魔石が手に入ったなんて、今でも信じられないわ」
大蛇が魔獣の群れを始末した跡から、魔石や素材がどっさり手に入った。研究所は、それらを使ってせっせとポーション作りに励んでいるが、それはカラート魔導王国の事情に大きく関わっていた。
カラートはもともと、隣国シルタニア帝国の領土だった。
時折、魔獣が一気に増えて荒らし周る厄介な魔境と、だだっ広いだけで不毛な荒野だったが、帝国が領土を広げすぎて辺境まで手が回らなくなったのを機に、四代前の帝王時代に独立した。
領主だった初代カラート王は国を強くするため、優秀な民ーー特に魔導士を積極的に迎え入れた。魔境の魔獣を抑えこみつつ、広大な土地を開拓する魔導士に勲位を与えてカラートは発展してきた。メローズ子爵家もそうして生まれた新参貴族である。土魔法が得意な家柄であり、治める領地は農産業や建築業が盛んだ。
イザベルは貴族の令嬢でも、土いじりに慣れており、毛嫌いされがちな昆虫や爬虫類も割と平気である。そして、ポーションや魔道具開発など、地味な裏方作業を生業とする魔導士だ。騎士団と連携して実戦に加わる魔導師団の花形魔導士ではない。
「今回の遠征成果で、補充が十分に間に合うわ。できるだけたくさんの生産を目指すわよ。メローズ家の力、しっかり発揮願うわ」
「はい。遅れは必ず取り戻しますわ」
ファリラはイザベルが本気を出せば、二、三日かかる作業を半日程度でこなせると知っている。他の班と比べても桁違いなその効率に、今日のアクシデントは目をつぶってもらえた。
けれども、昇格試験に合格したとはいえ、イザベルはここではまだ新参者だ。就業後の掃除を言い付かり、しばらくして作業を終えると施錠してからイザベルは王立魔導図書館へとトボトボ歩いて向かった。
途中で魔導師団に属する魔導士たちとすれ違うが、彼らは誰もが自信に溢れて見える。
魔導の国として、質の高いポーションや魔導具などを誇り国力を大きく伸ばすカラートは、シルタニア帝国との小競り合いが最近ずっと続いている。
特に、カラートの王女アドリアナがもう一つの隣国アルバン王国の王子と婚約してからは、この二国間の強固な絆づくりにシルタニアとの雲行きは益々怪しくなった。いつ大きな争いが勃発しても不思議でない状況だ。
そこで大きな亀裂が入る前にと、近々、王都カランでカラートとアルバン、シルタニアによる三国会談が開かれる予定だ。
カラートは外交努力をする一方で、国としていくつかの対策を立てている。その一環が十分な国庫の確保であり、魔導士たちは万一に備え大忙しなのだ。
そうして着いた古今東西の魔導書が揃う立派な建物には、宮廷魔道士が閲覧を許される特別区画がある。
「……迎えにあがりましたわ」
閉館間際で周りにまったく人気のない棚をイザベルが見上げると、微かにパタンと本を閉じる音がした。
「もうそんな時刻か……今、下りる」
誰の目にも届かない本棚のてっぺんから、大蛇が音もなくすべり下りてきて、イザベルの腰に巻きついた。首の後ろにもスルッと胴体を回す。
「腹が減ったな、では帰るぞ」
「は、はいっ」
まずい。大蛇は腹を空かせている。
空腹はストレスの原因にもなるし、ましてや魔獣なのだ。近くの身体をパクッと齧りかねない。
イザベルは身の安全を確保するために、寄り道をすると決めた。メローズ邸では食事の用意が整っているだろうが、帰路は結構な距離がある。
ーー時が経つのは早いもので、イザベルたちが王都に帰還してから一週間以上経った。
あれからこっち、大蛇を従魔として身体に巻いているが、思ったより周りからあっさり受け止められてしまい案外拍子抜けだ。
青緑の胴体に金の斑紋模様を持つ幻の王蛇は、とても目立つ。でも、凶悪な魔獣だと騒ぎにならないのは、魔導書の記述にあるその特性’支配者のオーラ’のおかげだろう。意味不明なその特異性だが、効果はメイドや使用人で証明済み。けっして自分のーー赤い魔女の前評判のせいだとは、思いたくない。
この蛇に関しては、他にも気がついたことがある。
まずは、とことん秘密主義。自分のことはいっさい語らない。
様々な国から取り寄せた魔導書が揃っているこの図書館に、毎日通わされているけれど。どんな書物を読んでいるのか? それを聞いても、いつもはぐらかされる。
というか、そもそも魔獣なのに識字なんてできるのかさえ疑問だ……
もう一つ気がついたこと。それはありがたいことに、人と同じ食物を好む。てっきり魔獣をバリバリ呑み込むと思っていたのに、魔境帰りに寄った街の食堂で普通に煮込み肉を注文してきたのには驚いた。だが、柔肉は好物らしく、しょっちゅう美味しそうだとドレスの中に潜り込み、味見のようにイザベルをかじったり舐めたりするから油断はできない。
そんなことを考えながら警備の衛兵を怖がらせないため、イザベルはすっかり通い慣れた結界門をさっと通り抜けた。
「本日の成果の程は、いかがでしたか?」
「……一朝一夕で見つかるものならば、こんなところまで足を運びはしない」
適当な屋台が見つかるまで、大蛇の気を逸らそう。そう思って質問をしたが、蛇の返答はいつも同じだ。分かっていても一番気になる問題だから、聞かずにはいられなかった。
魔獣は何かを探しているらしい。
それが何なのかは教えてもらえなかったが、今日も進展はなかったようで、残念だとイザベルは心の中でため息をついた。大蛇の探し物が見つかれば、ひょっとして解放してもらえるのでは……と淡い打算を抱くゆえだ。だが無表情を押し通し、せっせと足を動かしつつ賑やかな街の広場を目指す。
「いいかげん、迎えの馬車を雇え。資金は提供しただろう?」
そんなイザベルの肩で不満げな声が上がった。
「お気遣いありがとうございます。ですが、邸の修繕が先ですわ。おかげでたいそう立派に仕上がっています」
「ならば、追金をだそう」
「今いる使用人の待遇改善を、と思っておりますので。残念ながら馬車には回らないかと」
「ーーはあ、まったく。頑固で折れないな……」
……シーン。
イザベルの羽織っているローブが風で靡いて、一匹と一人の間が静まりかえった。
沈黙はいけない。何か話題を探さなくては……
そう思っているうちにイザベルは裏道ーーそれも柄の悪い男たちが集まる通りに入り込んでいた。回れ右をするまもなく、ダミ声が呼び止めてくる。
「へいへいっ、ちょい待ちや。そこのローブ! 通行料忘れてるぜえーー金置いてけやぁ」
王都では新参らしい荒くれ集団に、心の中でこめかみを押さえる。
……はあ~~。どうして? こうも次から次へと、厄介ごとが起こるのかしら……
「お、こいつ魔道士だぜ。この紋章見ろよっ、てか上玉じゃねえか~~」
ナイフやら剣やらを取り出しては、ちょっと付き合えと取り囲んだ数人をまったく無視して、イザベルは大蛇に確認を取った。
「あの、どう対処しましょう?」
返事は男たちの悲鳴だった。
「ーーお、俺の手がぁあ⁉︎」
「ぎゃああ、俺っちの足ぃーー⁉︎」
イザベルに手を伸ばしかけていた男たちの両手両足は突然、石化した。
詠唱なしの短気とも言える乱暴な対応に、思わずいささか呆れた声が出た。
「いいのですか? そこまで悪い人たちではないかもしれませんわ」
「私のモノに無許可で触れようとした時点で、全員有罪だ」
ふんと放たれた蛇の鼻息が聞こえた。これは珍しい。不機嫌というよりは、拗ねているようにも見える。イザベルはそれでも淡々とした口調を変えない。
「そんな理屈は、衛兵には通じませんわ……」
ちなみに、大蛇は意思疎通したい者だけと話す。大声で騒ぐ良からぬ連中にはその声は聞こえない。
「おいそこっ! 何してるーーっ」
騒ぎを聞きつけた衛兵の隊長らしき人物が、部下を率いて駆けつけてくる。
「って、ありゃぁ、またあんたか……」
「ーーご苦労様ですわ。そちらこそ、偶然にしては連日ではありませんか?」
拍子抜けした顔を見て、イザベルも顔をしかめた。フードを取り、冷たい紺碧の瞳を衛兵隊長へ向ける。続いて「蛇がペットって似合いすぎ、おっかね~」と呟く衛兵たちを眺めた。
「トラブルだって言うから来てみれば……毎回あんたじゃねえか……」
いかつい顔の隊長は頭をかきかき、無遠慮な態度で続ける。
「ーー前にも言ったけどよお。あんたこそ、呪われてんじゃねえのぉ?」
くっ。思わず手に力が入った。
そんなイザベルを宮廷魔道士だと見知っている衛兵たちは、石化をどうにかしてくれと訴える新参者たちを取り調べにかかる。ポケットから出てきた盗品の数々に余罪はたんまりだとせせら笑った。
「貴様らなあ、石化ぐらいで済んでむしろラッキーだぞ。昨日捕まった奴はまだ留置所の床で動けねえって唸ってるんだからな」
「こっちは仕事も楽と言っちゃ楽だけどよう。いくらべっぴんでも、こんな怖いお嬢さんをわざわざ襲うなんて、お前らの気がしれないね」
全員……そんな目で見ないで欲しい。昨夜の戦斧を振り回した男に対応したのも、この蛇だ。
イザベルは会釈をして、早々にその場を去り表通りに向かった。
そして、何か言いたそうな大蛇の視線には気付かないふりをする。
「ーー何か隠してないか、イザベル」
「いいえ、そんな……」
大蛇の視線から目を逸らせたが、すぐ身体に異変を感じて自然と足を止めた。
「あ、うそっ……こんなところで……」
屋台は目と鼻の先だというのに、蛇がドレスの中にもぐり込んでいる。好物らしい柔らかな肉をゆっくり弄り始めた。鶏で言うならモモやムネ肉にあたる部位だ。
「ーー申すことがあるだろう。腹も減っているし、今日こそ手加減できないかもな」
「そんな、なにも隠してなんか……ぁ、や……」
微妙な動きをされて変な声が漏れそうになった。
「今すぐここで剥くぞ」
そんな非常識ーーいや魔物に、人の道理など通じるはずがない。このまま公衆の面前で大蛇に剥かれてストリップショーなどしたら、イザベルは社会的に終わってしまう。
相手は討伐ランクS級の魔獣で、いくら会話ができるとはいえその辺は容赦なさそうである。
「お願いですから……」
「なら、さっさと白状するのだな」
ドレスの胸元にもぐり込んだ蛇に膨らみをぎゅむぎゅむと揉みしだかれ、とうとうイザベルは涙目で口を開いた。
「ーー実はっ、男運がないんですわ!」
「は???」
その告白は、よほど予想外であったらしい。大蛇はぽかんとその口を開いた。
「だからっ、私は信じられないほどっ! 男運が悪いんですぅーーーーっ…………」
こんなこと。決して。金輪際口にしたくなかった。だって声にすれば……認めざるを得ない。
自分は縁結びの女神から見放されているらしい。
イザベルの小さく振り絞った声と震える握り拳に、さすがの魔獣も空気を読んだらしい。
「ーーとりあえず、そこに座れ」
大蛇はあたりを見回すと広場の噴水の縁を尻尾で示した。
その中心に、端から端まで馬で移動するほど広大で、堅牢な外壁に囲まれた王国の王城がそびえ立つ。
イザベルの仕事場である魔導研究所は、その広い敷地の外れにある建物だ。
危険な魔法実験にも耐えうる結界が張り巡らされた広い作業部屋では、現在ローブ姿の魔導士たちがいくつもの黒釜を取り囲んでいる。
「……イ……ル、イザベルったら! 魔力を込め過ぎじゃない?」
「ぁ……」
温かい湯気が高い天井まで上がる中、その一つをぼんやりかき回していたイザベルは、背中からかかった声にハッと我に帰った。
ーーしまったわ。っポーションは無事かしら……?
ぐつぐつと煮え立つ釜の制御に集中するが、時すでに遅し。過多な魔力注入によって、目前の大釜の中身は異形の塊になっていた。素材たちが採集期の状態に逆行している……これは、完全にやり直しだ。
大きなスプーンをかき回す手を止めると、視界の端に捉えた異様な動きにイザベルは思わず二度見した。素材の一つが、今まさに黒釜から脱走寸前である。
「逃さないわ!」
足を生やしたカブの魔草に、手を伸ばしつつ叫ぶ。
「あっ、虹蜥蜴の尻尾がっーー飛んで逃げるわ!」
縁をよじ登り逃走をもくろむ素材たちを同僚たちと追いかけ、おろしたり千切りにしたり、火でアブって粉状にしたりと、もう一度下処理に取り掛かる。そうしてまもなく、やっと騒ぎがおさまった。
よく通る女性の声が「皆、ご苦労様」と労いをかけてくれる。
「はあ~~。とりあえず……今日はここまでね。続きは休み明けにしましょう。さいわい素材はすべて回収できたわ」
伯爵家の次女であり、現場の責任者でもあるボルガ室長ことファリラ・ボルガは、石臼から手を離して額の汗を拭った。山亀型魔獣の甲羅を魔法で焼きながらすり潰すのは、結構骨が折れるのだ。
「ボルガ室長。それに皆さんにも多大なご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ありません……」
何人もの魔導士が連日交代でポーションを煮詰める。この作業は、魔力の匙加減が鍵だ。イザベルは魔力制御には自信があっただけに、このケアレスミスはこたえた。
珍しくうなだれたイザベルに、魔導学院時代からの先輩であるファリラは苦笑いだ。
「ーー貴女らしくないわね、こんな失敗」
学院時代にファリラがつけたイジィという呼び名はどこか幼い感じがして、くすぐったい。でも、魔女と呼ばれるよりずっといい。
「まあ、遅れはすぐ取り戻せるわよね? 魔境からの貴重な素材も、ほとんど貴女が持ち帰ったものだし。ーーこんなにたくさんの魔石が手に入ったなんて、今でも信じられないわ」
大蛇が魔獣の群れを始末した跡から、魔石や素材がどっさり手に入った。研究所は、それらを使ってせっせとポーション作りに励んでいるが、それはカラート魔導王国の事情に大きく関わっていた。
カラートはもともと、隣国シルタニア帝国の領土だった。
時折、魔獣が一気に増えて荒らし周る厄介な魔境と、だだっ広いだけで不毛な荒野だったが、帝国が領土を広げすぎて辺境まで手が回らなくなったのを機に、四代前の帝王時代に独立した。
領主だった初代カラート王は国を強くするため、優秀な民ーー特に魔導士を積極的に迎え入れた。魔境の魔獣を抑えこみつつ、広大な土地を開拓する魔導士に勲位を与えてカラートは発展してきた。メローズ子爵家もそうして生まれた新参貴族である。土魔法が得意な家柄であり、治める領地は農産業や建築業が盛んだ。
イザベルは貴族の令嬢でも、土いじりに慣れており、毛嫌いされがちな昆虫や爬虫類も割と平気である。そして、ポーションや魔道具開発など、地味な裏方作業を生業とする魔導士だ。騎士団と連携して実戦に加わる魔導師団の花形魔導士ではない。
「今回の遠征成果で、補充が十分に間に合うわ。できるだけたくさんの生産を目指すわよ。メローズ家の力、しっかり発揮願うわ」
「はい。遅れは必ず取り戻しますわ」
ファリラはイザベルが本気を出せば、二、三日かかる作業を半日程度でこなせると知っている。他の班と比べても桁違いなその効率に、今日のアクシデントは目をつぶってもらえた。
けれども、昇格試験に合格したとはいえ、イザベルはここではまだ新参者だ。就業後の掃除を言い付かり、しばらくして作業を終えると施錠してからイザベルは王立魔導図書館へとトボトボ歩いて向かった。
途中で魔導師団に属する魔導士たちとすれ違うが、彼らは誰もが自信に溢れて見える。
魔導の国として、質の高いポーションや魔導具などを誇り国力を大きく伸ばすカラートは、シルタニア帝国との小競り合いが最近ずっと続いている。
特に、カラートの王女アドリアナがもう一つの隣国アルバン王国の王子と婚約してからは、この二国間の強固な絆づくりにシルタニアとの雲行きは益々怪しくなった。いつ大きな争いが勃発しても不思議でない状況だ。
そこで大きな亀裂が入る前にと、近々、王都カランでカラートとアルバン、シルタニアによる三国会談が開かれる予定だ。
カラートは外交努力をする一方で、国としていくつかの対策を立てている。その一環が十分な国庫の確保であり、魔導士たちは万一に備え大忙しなのだ。
そうして着いた古今東西の魔導書が揃う立派な建物には、宮廷魔道士が閲覧を許される特別区画がある。
「……迎えにあがりましたわ」
閉館間際で周りにまったく人気のない棚をイザベルが見上げると、微かにパタンと本を閉じる音がした。
「もうそんな時刻か……今、下りる」
誰の目にも届かない本棚のてっぺんから、大蛇が音もなくすべり下りてきて、イザベルの腰に巻きついた。首の後ろにもスルッと胴体を回す。
「腹が減ったな、では帰るぞ」
「は、はいっ」
まずい。大蛇は腹を空かせている。
空腹はストレスの原因にもなるし、ましてや魔獣なのだ。近くの身体をパクッと齧りかねない。
イザベルは身の安全を確保するために、寄り道をすると決めた。メローズ邸では食事の用意が整っているだろうが、帰路は結構な距離がある。
ーー時が経つのは早いもので、イザベルたちが王都に帰還してから一週間以上経った。
あれからこっち、大蛇を従魔として身体に巻いているが、思ったより周りからあっさり受け止められてしまい案外拍子抜けだ。
青緑の胴体に金の斑紋模様を持つ幻の王蛇は、とても目立つ。でも、凶悪な魔獣だと騒ぎにならないのは、魔導書の記述にあるその特性’支配者のオーラ’のおかげだろう。意味不明なその特異性だが、効果はメイドや使用人で証明済み。けっして自分のーー赤い魔女の前評判のせいだとは、思いたくない。
この蛇に関しては、他にも気がついたことがある。
まずは、とことん秘密主義。自分のことはいっさい語らない。
様々な国から取り寄せた魔導書が揃っているこの図書館に、毎日通わされているけれど。どんな書物を読んでいるのか? それを聞いても、いつもはぐらかされる。
というか、そもそも魔獣なのに識字なんてできるのかさえ疑問だ……
もう一つ気がついたこと。それはありがたいことに、人と同じ食物を好む。てっきり魔獣をバリバリ呑み込むと思っていたのに、魔境帰りに寄った街の食堂で普通に煮込み肉を注文してきたのには驚いた。だが、柔肉は好物らしく、しょっちゅう美味しそうだとドレスの中に潜り込み、味見のようにイザベルをかじったり舐めたりするから油断はできない。
そんなことを考えながら警備の衛兵を怖がらせないため、イザベルはすっかり通い慣れた結界門をさっと通り抜けた。
「本日の成果の程は、いかがでしたか?」
「……一朝一夕で見つかるものならば、こんなところまで足を運びはしない」
適当な屋台が見つかるまで、大蛇の気を逸らそう。そう思って質問をしたが、蛇の返答はいつも同じだ。分かっていても一番気になる問題だから、聞かずにはいられなかった。
魔獣は何かを探しているらしい。
それが何なのかは教えてもらえなかったが、今日も進展はなかったようで、残念だとイザベルは心の中でため息をついた。大蛇の探し物が見つかれば、ひょっとして解放してもらえるのでは……と淡い打算を抱くゆえだ。だが無表情を押し通し、せっせと足を動かしつつ賑やかな街の広場を目指す。
「いいかげん、迎えの馬車を雇え。資金は提供しただろう?」
そんなイザベルの肩で不満げな声が上がった。
「お気遣いありがとうございます。ですが、邸の修繕が先ですわ。おかげでたいそう立派に仕上がっています」
「ならば、追金をだそう」
「今いる使用人の待遇改善を、と思っておりますので。残念ながら馬車には回らないかと」
「ーーはあ、まったく。頑固で折れないな……」
……シーン。
イザベルの羽織っているローブが風で靡いて、一匹と一人の間が静まりかえった。
沈黙はいけない。何か話題を探さなくては……
そう思っているうちにイザベルは裏道ーーそれも柄の悪い男たちが集まる通りに入り込んでいた。回れ右をするまもなく、ダミ声が呼び止めてくる。
「へいへいっ、ちょい待ちや。そこのローブ! 通行料忘れてるぜえーー金置いてけやぁ」
王都では新参らしい荒くれ集団に、心の中でこめかみを押さえる。
……はあ~~。どうして? こうも次から次へと、厄介ごとが起こるのかしら……
「お、こいつ魔道士だぜ。この紋章見ろよっ、てか上玉じゃねえか~~」
ナイフやら剣やらを取り出しては、ちょっと付き合えと取り囲んだ数人をまったく無視して、イザベルは大蛇に確認を取った。
「あの、どう対処しましょう?」
返事は男たちの悲鳴だった。
「ーーお、俺の手がぁあ⁉︎」
「ぎゃああ、俺っちの足ぃーー⁉︎」
イザベルに手を伸ばしかけていた男たちの両手両足は突然、石化した。
詠唱なしの短気とも言える乱暴な対応に、思わずいささか呆れた声が出た。
「いいのですか? そこまで悪い人たちではないかもしれませんわ」
「私のモノに無許可で触れようとした時点で、全員有罪だ」
ふんと放たれた蛇の鼻息が聞こえた。これは珍しい。不機嫌というよりは、拗ねているようにも見える。イザベルはそれでも淡々とした口調を変えない。
「そんな理屈は、衛兵には通じませんわ……」
ちなみに、大蛇は意思疎通したい者だけと話す。大声で騒ぐ良からぬ連中にはその声は聞こえない。
「おいそこっ! 何してるーーっ」
騒ぎを聞きつけた衛兵の隊長らしき人物が、部下を率いて駆けつけてくる。
「って、ありゃぁ、またあんたか……」
「ーーご苦労様ですわ。そちらこそ、偶然にしては連日ではありませんか?」
拍子抜けした顔を見て、イザベルも顔をしかめた。フードを取り、冷たい紺碧の瞳を衛兵隊長へ向ける。続いて「蛇がペットって似合いすぎ、おっかね~」と呟く衛兵たちを眺めた。
「トラブルだって言うから来てみれば……毎回あんたじゃねえか……」
いかつい顔の隊長は頭をかきかき、無遠慮な態度で続ける。
「ーー前にも言ったけどよお。あんたこそ、呪われてんじゃねえのぉ?」
くっ。思わず手に力が入った。
そんなイザベルを宮廷魔道士だと見知っている衛兵たちは、石化をどうにかしてくれと訴える新参者たちを取り調べにかかる。ポケットから出てきた盗品の数々に余罪はたんまりだとせせら笑った。
「貴様らなあ、石化ぐらいで済んでむしろラッキーだぞ。昨日捕まった奴はまだ留置所の床で動けねえって唸ってるんだからな」
「こっちは仕事も楽と言っちゃ楽だけどよう。いくらべっぴんでも、こんな怖いお嬢さんをわざわざ襲うなんて、お前らの気がしれないね」
全員……そんな目で見ないで欲しい。昨夜の戦斧を振り回した男に対応したのも、この蛇だ。
イザベルは会釈をして、早々にその場を去り表通りに向かった。
そして、何か言いたそうな大蛇の視線には気付かないふりをする。
「ーー何か隠してないか、イザベル」
「いいえ、そんな……」
大蛇の視線から目を逸らせたが、すぐ身体に異変を感じて自然と足を止めた。
「あ、うそっ……こんなところで……」
屋台は目と鼻の先だというのに、蛇がドレスの中にもぐり込んでいる。好物らしい柔らかな肉をゆっくり弄り始めた。鶏で言うならモモやムネ肉にあたる部位だ。
「ーー申すことがあるだろう。腹も減っているし、今日こそ手加減できないかもな」
「そんな、なにも隠してなんか……ぁ、や……」
微妙な動きをされて変な声が漏れそうになった。
「今すぐここで剥くぞ」
そんな非常識ーーいや魔物に、人の道理など通じるはずがない。このまま公衆の面前で大蛇に剥かれてストリップショーなどしたら、イザベルは社会的に終わってしまう。
相手は討伐ランクS級の魔獣で、いくら会話ができるとはいえその辺は容赦なさそうである。
「お願いですから……」
「なら、さっさと白状するのだな」
ドレスの胸元にもぐり込んだ蛇に膨らみをぎゅむぎゅむと揉みしだかれ、とうとうイザベルは涙目で口を開いた。
「ーー実はっ、男運がないんですわ!」
「は???」
その告白は、よほど予想外であったらしい。大蛇はぽかんとその口を開いた。
「だからっ、私は信じられないほどっ! 男運が悪いんですぅーーーーっ…………」
こんなこと。決して。金輪際口にしたくなかった。だって声にすれば……認めざるを得ない。
自分は縁結びの女神から見放されているらしい。
イザベルの小さく振り絞った声と震える握り拳に、さすがの魔獣も空気を読んだらしい。
「ーーとりあえず、そこに座れ」
大蛇はあたりを見回すと広場の噴水の縁を尻尾で示した。
1
お気に入りに追加
91
あなたにおすすめの小説
離婚した彼女は死ぬことにした
まとば 蒼
恋愛
2日に1回更新(希望)です。
-----------------
事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。
もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。
今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、
「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」
返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。
それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。
神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。
大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。
-----------------
とあるコンテストに応募するためにひっそり書いていた作品ですが、最近ダレてきたので公開してみることにしました。
まだまだ荒くて調整が必要な話ですが、どんなに些細な内容でも反応を頂けると大変励みになります。
書きながら色々修正していくので、読み返したら若干展開が変わってたりするかもしれません。
作風が好みじゃない場合は回れ右をして自衛をお願いいたします。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる